見出し画像

ラスベガス旅行の思い出

私がまだ学生でシカゴの大学に留学してい頃、ルームシェアをしていた韓国人のSちゃんとラスベガスに旅行しようという話になった。
それは11月のホリデーシーズンだった。アメリカでは11月にサンクスギビングというホリデーがある。この時期から年末までなんとなく休み気分になり、アメリカ人はターキーを食べながらアメフトの試合を観て、セールで買い物をしたりする。

アメリカ人の多くが家族と過ごすので、旅行するのならこの時期は結構良い。ラスベガスはカジノで遊んで欲しいため、ホテルも安価なものが多いのだ。

私は旅行の際、なんとなく大まかな計画は立てるが、天候や気分で変えてもいいように、行きたい場所を2、3箇所決めて、あとは自由に行きたいところに行ったり休んだりするという割といい加減な旅行をする。

一方、Sちゃんは割としっかり計画を立てる人だった。私はSちゃんと初めて旅行に行くので、そういうことをよくわかっていなかった。なので、Sちゃんと旅行の計画を立てる前にしたことは本屋でラスベガスのポケットガイドを一冊買っただけだった。このとき私が買ったこのポケットガイドのせいで、私たちは思いもよらない事態に陥るのだが、その時の私は全く何も考えていなかった。

さて、ついに旅行前夜。その日まで課題やなんかで忙しく、Sちゃんと旅行について腰を据えて話すのはこの時が初めてだった。もちろんシカゴからの飛行機とホテルは事前に予約してあった。飛行機の時間を考えると、だいたい朝の4時半くらいに家を出なくてはならないので、私は早く寝たかった。なのでSちゃんに私はこことここに行きたいかな、あとは適当でいいよ、というような事を言ってさっさと寝てしまった。しかしSちゃんはものすごく張り切っていて、「この旅行は最高のものにする。全て私に任せて!」というような事を自信満々に言っていた。

Sちゃんは私より一つ年上で、なんとなく頼りになるお姉さんという雰囲気をしていたので、私は頼もしいなぁと思って寝た。実はSちゃんが少し、いや、かなりおっちょこちょいな人だということを私はまだ知らなかったのだ。

最初の事件は翌朝から始まった。
私は予定通りなんとか朝4時に起きた。シカゴの朝はまだまだ暗い。顔を洗って身支度をして、さぁいつでも出かけられる状態になった。しかし、Sちゃんの部屋が妙に静かだ。Sちゃんの部屋にはバスルームもついてるので、Sちゃんの姿が見えなくても心配していなかったのだが、あまりにも静かすぎる。

時刻は4:20で、あと10分でタクシーを呼ばなければならない。私は恐る恐るSちゃんの部屋のドアを叩いた。返事はない。というか音が全く聞こえない。これはまずい。確実に寝ている。あと10分で家を出なけばならないのに。

Sちゃんの部屋のドアには鍵が掛かっていたが私はそれをこじ開けた。コインなんかで簡単に開く鍵なのだ。
Sちゃんはやはりベッドの中でぐっすりと眠っていた。私はSちゃんを必死に起こした、Sちゃんは物凄く機嫌が悪く、ほとんど激怒していたが、時間を言うと途端に慌て出した。なんとSちゃんは昨日からシャワーも浴びていなければ荷物のパッキングもしていなかった。

一体全体昨日から何をしていたんだ。でも、もうSちゃんを責めている時間もない。飛行機の出発まで1時間前に着く計算で家を出る予定だったが、30分前でも搭乗は可能だ。なので5時までになんとか準備を全て整えるようにSちゃんに命じた。
さて、なぜしっかり者のSちゃんが寝坊をしたのか。Sちゃんはちゃんと朝の4時に携帯電話でアラームをかけていた。でも、アラームは鳴らなかった。何故なのか?

実はSちゃんがアラームをセットしたのは朝の4時過ぎだったからだった。つまりSちゃんは朝までかけて旅行の計画を立てていたのだ。外が暗いのでまだ夜だと思い、時間を確認せずに寝てしまったのだ。大馬鹿ヤロウである。でも、そんな事を言ってもいても仕方がない。

Sちゃんはシャワーを浴び、濡れた髪をなんとかまとめて、大急ぎでパッキングをして、タクシーで空港に向かった。搭乗時間にはなんとか間に合ったが、タクシーで一悶着あり、30分前には間に合わなかった。Sちゃんが慌ててまとめたスーツケースはギリギリ手荷物にできない大きさで、チェックインが必要だった。しかし荷物のチェックイン時間は終わっていて、仕方なく私たちは別の飛行機に乗ることになった。

次の飛行機が来るまで、Sちゃんはひとしきりタクシーの運転手を罵っていた。タクシーの運転手が私たちを乗せたあと、ガソリンが足りないと給油したのだ。そこで5分ほどロスしたせいで飛行機に乗り遅れたと言うのだ。私から言うことはなにもなかった。Sちゃんは、「寝坊はしたが、旅行の計画は完璧に立てた。これから挽回させてくれ」と弁解した。

人生初めて飛行機に乗り遅れたが、結果的には追加チャージは無く、別の飛行機に乗れたので一件落着だが、ここから先が思いやられると少し暗い気持ちになった。

それでも飛行機がラスベガスに着くと気分はガラッと変わった。
シカゴとは違う暖かい空気。澄んだ空。そして賑やかなラスベガスの街。

Sちゃんが予約してくれたレンタカーでひとまずラスベガスという街を端から端までぐるりと回る。ラスベガスといえばカジノというイメージだが、実際にはラスベガスはショービジネスの街でもあり、一流の観光地だ。観るものはカジノ意外にもたくさんある。まず一つ一つのホテルが面白い。色々な国の有名な街並みがミニチュア版というふうに並んでいる。まるでディズニーランドとUSJがそのまま街になったようだ。見ているだけでワクワクする。その後ホテルに車を停めて、実際にラスベガスの街を歩いた。

有名人の蝋人形があったり、ラインダンスのダンサーの格好の人と写真を撮ったり、とにかく楽しかった。もう朝のギスギスした空気は微塵も残っていなかった。
私たちは軽くショッピングをして、夕食を食べ、夜はナイトクラブに行った。
まぁ、二人とも成人しているし、クラブくらい行く。というか今行かなかったらクラブなんて一生行けない。

ところでSちゃんはまともな服をほとんど持ってきていなかった。手荷物にできないくらい大きいスーツケースにはブーツが3足とコートが3着も入っていた。どちらも11月のシカゴでは必需品だが、ラスベガスではまったく不要なものだ。ウェスタンブーツならまだ良かったけど、Sちゃんのブーツはしっかりした冬用ブーツだった。
仕方がないので私が持ってきたカジュアルなTシャツを1枚貸した。そうでなければとてもクラブには行けなかった。

そんなわけで、クラブで良い感じに遊んだ。ラスベガスのクラブだ。シカゴのクラブとは比べものにならないほどクールなクラブだ。シカゴだってそこそこの都市だが、ラスベガスにはとても敵わない。まず、内装にお金がかかってる。モデルような抜群の容姿のダンサーがステージで踊っている。DJの音楽もすごく良い。

そして、女子トイレが綺麗で面白かった。トイレの個室のドアがガラス張りなのだ。中が丸見えじゃないかと思うが、ドアの鍵を閉めると一瞬でドアが曇るのだ。こんなトイレは生まれて初めて見た。因みに男子トイレは普通のトイレらしい

私たちは何人かの人に声をかけられた。なんといっても20代の女が二人でクラブに行けば声くらいかけられる。そのうちのアジア人の二人組みが素早く飲み物を持ってきてくれて、彼らはVIPエリアに席もあったので、その二人と一緒に過ごした。と言っても飲み物を飲んで踊って話をしただけだ。私たちは割と真面目な学生なのだ。二人とも韓国人で、私と同い年だった。Sちゃんが韓国人で歳上だと知ると急に大人しくなった。韓国では年齢の上下関係が日本よりシリアスなのかもしれない。

私たちは明日も早いので、クラブを早々に切り上げた。最高にクールなクラブでも、人が多すぎた。私はお酒をそんなに飲めないし、Sちゃんも運転があるので一杯くらいしか飲めなかった。(アメリカでは1、2杯のアルコールなら捕まらないのだ)

ラスベガスの夜は昼よりもさらに陽気だった。殆どの人が酔っ払って歩いている。路上で飲んでいる人もいる。私たちが留学しているシカゴでは州法で路上での飲酒が禁止されているので、これは珍しい光景だ。

とても良い気分で長い一日を終えられると思っていたが、この旅はそんな生易しいものではなかった。ホテルの部屋に着いてからSちゃんが騒ぎ出した。買ったばかりの手袋がないと言うのだ。そう手袋だ。11月のラスベガスで手袋だ。

私たちは今日ちょっとした買い物をした。サンクスギビングのセールが始まっていて、バッグや手袋などの小物が半額くらいで買えた。シカゴの冬の寒さはこれからどんどん厳しくなるので、私とSちゃんは同じブランドショップで手袋を買った。革のちょっと良い感じに手袋だ。シカゴできっと多いに活躍してくれるであろう手袋だ。

しかし、Sちゃんは買ったばかりの手袋をどうしてもラスベガスでも付けたいと言い出した。何度も言うが11月のラスベガスはとても暖かい。夜だろうが半袖でも良いくらいの気候だ。私はSちゃんに「I don’t think so」と言った。その時、私たちはクラブに行く準備をしていた。メイクを直して、ちょっとセクシーな服に着替えた。クラブには余計な荷物は不要だ。財布と携帯とまぁあとはリップくらいでよい。手袋なんて絶対に邪魔になる。

しかし、Sちゃんは買ったばかりの手袋を付けたいという欲求に勝てなかった。手袋を付けて、クラブがあるホテルの駐車場まで運転した。まるで日本のタクシー運転手のようである。しかしあっという間に手袋が暑苦しくなり、車を降りる時にはもうその手袋を外した。そしてその時、その手袋はどこかに落ちてしまったのだ。Sちゃんの推測では、おそらく駐車場で上着を畳んだ時にその上に載せていた手袋が落ちたのではないかとのことだった。駐車場はとても暗く、良く見えなかったと言う。

Sちゃんはひどいショックを受けていた。すぐにその駐車場があったホテルに電話し、事情を話し、落し物が届いていないか問い合わせた。しかし、落し物に手袋は無かった。Sちゃんはもちろん車の中も入念に調べた。車の中のどこにも手袋はなかった。
そうしてもやもやした気分の中、旅行の1日目が終わった。

そして次の日の朝4時にSちゃんの携帯電話のアラームがけたたましく鳴った。そう、本来は24時間前に鳴るはずだったあのアラームだ。Sちゃんは泥のように眠り、ピクリとも動かなかったので、私がそのアラームを止めた。割と温厚な性格の私だが、この時ばかりはSちゃんの携帯を叩き割ってやろうかと思うくらい怒り狂っていた。

そんなこんなで、ラスベガスの2日目が始まった。この日は私も希望していたグランドキャニオンを見に行く予定だった。Sちゃんの計画では、朝早く出発してオリエンタルマートで昼食を買って、車で1日がかりでグランドキャニオンを観光する予定だった。

しかし、昨日無くした手袋をまだ諦めきれないSちゃんはもう一度ホテルに問い合わせをした。やはり落し物は届いていなかった。Sちゃんは実際に駐車場まで行って手袋が落ちてないか探したいと言う。私は朝4時のアラームでまだイライラしていたが、この提案を了承した。なんと言っても昨日買ったばかりの手袋だ。私も少し違う形だが、同じような手袋を買った(因みに私は10年近くこの手袋を愛用していて、たまにしか使わないが、まだ持っている)ので、大馬鹿ヤロウのSちゃんの気持ちもわからないでもない。

私は免許を持ってないし、今日一日Sちゃんには運転を頑張って貰わないといけない。私だって手袋は見つかってほしい。なので、朝から駐車場を探し回った。でも手袋はどこにも落ちていなかった。新品の手袋だから誰かが持って行ったのか、もしくは捨てられてしまったのか。真相はわからない。でも徹底的に探したことでSちゃんの気持ちも吹っ切れたようで、この後は予定より少し遅れたが、計画通りお昼を買ってグランドキャニオンに向かった。

このグランドキャニオンへの道のりをSちゃんは非常にこだわっており、文字通り寝ずに考えたルートを熱心に語った。日本や韓国ではまずお目にかかれない真っ直ぐの道。荒涼とした風景。大陸に来たという景色の連続だった。私たちは途中で何度も車を停めて、写真を撮った。天気も良く、絶好のグランドキャニオン日和であった。

だんだん、それらしい風景が現れだして、あの大きな岩山を超えたらそろそろグランドキャニオンじゃない?ナビだともう後数分で到着って出てるよ。そろそろじゃない?もういつ見えてもおかしくないよね?

こんなやりとりを何度も繰り返した。私たちのテンションはマックスだった。
しかし私たちの期待をよそに、グランドキャニオンはいっこうに姿を見せない。それどころか道はだんだん普通の道に入り、砂漠や岩山は消え、建物まで見えてきた。

これは何かおかしい。道は一本道だったので間違えるわけがない。しかもあのグランドキャニオンだ。あんな広大なモノを見逃すはずがない。

私たちは道を引き返した。そして案内板が立っている駐車場に車を停めて、そこの地図と私が買ったあのポケットガイドの地図を見比べた。私たちは目的地にいるはずだ。しかしおかしい。なにかがおかしい。なんなんだこの違和感は。

そこで近くにいたアメリカ人の夫婦にグランドキャニオンはどこかと聞いた。彼らはちょっと変な顔をして、グランドキャニオンはもっとずっと向こうだと言った。

そう、ここにグランドキャニオンはない。
私とSちゃんはポケットガイドをもう一度良く見た。私が丸をつけたページをもう一度よく読んだ。そこには「レッドロックキャニオン」と書いてあった。グランドキャニオンではなく、レッドロックキャニオンだ。

説明には「グランドキャニオンは遠くて観光にも時間がかかるので、手軽に行くことができる観光スポット」というような事が書いてあった。

そう、そもそも目指していた場所が違っていたのだ。
あの岩山を超えたらそろそろグランドキャニオンじゃない?と言っていた「あの岩山」がレッドロックキャニオンだった。

私たちは文字通り膝から崩れ落ちた。
笑った。
腹の底から笑った。
顎が外れるかと思った。

すでにお昼に近い時間だったので、私たちはその広大な土地を見ながら、サンドイッチを食べた。レッドロックキャニオンを見ながら食べたツナサンドはとても美味しかった。

グランドキャニオンは見れなかった。そもそも私が買ったポケットガイドにグランドキャニオンは載っていなかったのだ。私もSちゃんもそのことに全く気がついていなかった。私もSちゃんに負けず劣らず大馬鹿ヤロウだった。

しかし、私たちの絆は確実に強くなった。それまで何度も喧嘩や気まずい空気を味わってきたが、私たちは同じ過ちを犯した。こんなことほかの友人たちにはとても話せない。アホすぎる。

グランドキャニオンとレッドロックキャニオンを間違えるなんて、(ガイドには、もちろんグランドキャニオンの写真だって載っていなかった)誰にも言えない。そんな秘密を共有したのだ。

その日の夜は昨日クラブで知り合った二人組の韓国人と食事をした。グランドキャニオンはどうだった?と聞かれて二人とも苦笑いするしかなかった。
こうして私たちの幻のグランドキャニオンへの挑戦は終わった。

そして3日目。翌日の朝にはシカゴに帰るので、この日はラスベガスで過ごす最後の日だ。

この日もSちゃんの計画で予定はびっしりだった。
まずはIN-N-OUTバーガーで少し早めの昼食をとる。昼過ぎにショッピングをして、夜景を観ながらホテルの屋上にあるコースターに乗る、そしてオールドタウンでステーキを食べる、そして最後にこの旅のメインイベント、シルク・ド・ソレイユの公演を観る。

私はシルク・ド・ソレイユにそれほど興味がなかったが、Sちゃんはシルク・ド・ソレイユの観劇に並大抵ではない情熱を注いでいた。シルク・ド・ソレイユのショーはここでしか観れないのだと、素晴らしいショーなのだと、繰り返し熱弁していた。割と日本にも来るけどなぁと思ったけど、話がややこしくなるので黙っていた。

しかし、やはりと言うか、それほど事はうまく進まなかった。
ハンバーガーもショッピングも夜の夜景を観ながらのコースターも凄く楽しかった。ここまでは完璧に進んでいた。Sちゃんが予約していたオールドタウンのレストランもとても素晴らしいレストランだった。ただ、料理が出てくるのが、思ったより遅かった。

公演まで時間が迫っていて、私たちは結構焦っていた。でもお店の人たちはすごく良くしてくれて、料理をキャンセルして出て行くなんてことはとても出来なかった。ようやく食事が出てきて、私たちはかなり急いで食べた。じっくり味わいたいほど美味しかったがもう公演まで30分もなかった。

食事をあらかた食べて、急いでシルク・ド・ソレイユの劇場に向かった。しかし、ラスベガスの夜の道は思った以上に渋滞していた。Sちゃんは焦っていた。もう公演は始まる時間になっている。でも車はちっとも進まない。ピリピリした空気の中、ようやく劇場に着いた。しかし駐車場に車を停めるのも結構時間がかかった。ようやく私たちが席に着いた時、無情にも公演の半分が終わっていた。

私は初めてシルク・ド・ソレイユの公演を観て、とても感動した。ちょっとしたサーカス団だと思っていたが、サーカスとは全然違った。もっとダイナミックなもので、今まで見たことがないようなショーだった。劇場自体が普通ではなかった。出演者のほとんどは水に浸かっていたし、水中で動き回っていた。セリフもなく、ストーリーは観る人によって考えさせるようなものだった。

半分しか観れなかったのは残念だったが、私は結構満足していた。
しかし、Sちゃんは立ち直れずにいた。というか泣いていた。
可哀想なSちゃん。結局最後の日まで、Sちゃんの思い通りにはならなかった。
よりによって一番楽しみにしていたシルク・ド・ソレイユをちゃんと観れなかったなんて。

なんて言って慰めたらいいかわからなかったので、とりあえずシルク・ド・ソレイユっぽい変なポーズを取ってみたが、すべっただけだった。

ところでカジノについてだが、私たちは結局一度もカジノに足を踏み入れなかった。二人とも賭け事に興味がなかった。しかし帰りの飛行機の搭乗前に空港にあったスロットで少しだけ遊んだ。それだけだ。

結構ひどい目にも合わされたが、私はこの旅が結構楽しかった。
旅にはハプニングが付き物だ。こんなに思い通りにならない旅も珍しいが。

Sちゃんとは韓国に行った時も一緒に行動した。Sちゃんが韓国を案内してくれたのだが、その時も結構思い通りにならなかったので、たぶんSちゃんに関わるとそういう事になるらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?