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むかしむかし大好きだったひとのこと

新しいもの好きで、おしゃれで、自意識が過剰気味。
ちょっと特殊な?仕事をしていて、かつ業績が良かった人なので、
同年代の人たちよりもお金回りも良かった。

一般的にいうと「複雑な家庭環境」で育ったとも言える人だった。
詳しいことを根掘り葉掘り聞いたことはないけれど、お母さんの違う兄弟が数人いた。だけど、お父さんを大きな軸に、兄弟仲良く力を合わせて家業を盛り立て支え合っていた。
兄弟みんな、お父さんをとても尊敬し、誇りに思っていた。

新しいもの好きの彼は、世の中にインターネットが出始めた頃から、どんどん利用していた。
だから、今でいう「誹謗中傷」の嵐にも早くから遭っていた。
そして、自分もネット上でトラブルを起こした感じになり、ブログやツイッターを早くに閉じたようだった。

「ようだった」というのは、疎遠になってからのことなのと、私自身今もSNS等がよくわからないから。
ただ、親しかった時期、
私は本当に彼の仕事に対する情熱を尊敬していたし、その姿勢を心から美しいと思っていた。

彼はその業界で目立っていたし、その上流行り始めのインターネットを活用して、業界の外に向かって開いている人だったので、
やっかみもかなり多かった。
そういう業界の狭い人間関係を疎ましく思っているようだったから、尚更外に向いていくような感じだった。
彼自身は、話し方も声のトーンも全く潑剌とした感じではなく、顔は広いけれど派手なイケイケ感はなかった。
少なくとも、私は感じなかった。
業界の外の人間である私は、彼が仕事やプライベートのことで悔しがったり悲しがったりするのを、
彼の日常の世界に漏らすこともないから、言いやすかったのかもしれない。
実際、そんなことを考えもしなかったし、むしろ、ただ聞いているだけで、 
本当にはわかってあげられてないんだろうな…と悲しかったりした。
いっしょに泣いたりすることくらいしか、できないんだな、と。
今思えば。
あの人は、とても強い「許す力」を持った人だったのかもしれない。
「許し、許されて生きること」を
素で理解できている人だったのかもしれない。


あれから20年くらいが経っていた。
最近、なぜかそのくらいの時期のことをよく思い出す。
あの頃のこと、
疎遠になってからのこと。

どうしているのかな、と思った。

私自身、本当にいろんなことがあった。
外見も、もう大きく変わってしまった。
それでも、
彼は今も変わらずその業界で、
変わらぬ情熱を持って生きていると知った。
相変わらず美しく。


時が流れて
すったもんだも様々あって
泣いて、塞いで、
カラ元気でも出せるなら出しとけって
その時どきを結構必死にやってきて。

今、
あの頃のことを思い出して、
彼が変わらず美しい姿勢でいることに

なんだか感動した。

私は
何も変われてないって、
成長してないって、
立ち止まってる感に苛まれていたけど

相変わらずひとり相撲ばっかりだけど
「変わらない」姿も励みになると知った。

変わってないように見えても、
何もなかった訳がない。

たくさんたくさん何かがあって、
それでもそれは、内側にちゃんと積み重ねられていて。
その上で「変わらない」ものがあるということ。

ないものを、ないないと悩むのではなくて、
あるものを、持ち続ける。

意識していなくても守り抜いた何かが「変わらず」見えたから、
私はきっと、
うれしくて、感動して、
励まされたんだと思うのだ。


あの人に
いつかまた会えたら、
「やっぱりあなたは、すごい人だよ。
ありがとう」と伝えたい。

今までのすべてが
今のわたしにつながっている。

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