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何もしなかった、けど

この1ヶ月、なーんにもしなかった。
経済活動を。

経済活動をしないと、「何も」しなかった感がものすごい強くなるんですね。
改めて実感しました。

春の時点で、7月はひと月休むと決まっていたし、決めていました。
気持ちも体も、ゴミ屋敷のように整理整頓がつかないまま、ブルドーザーで全部押しながら生きてるような雑な感じだったので、「…ちょっと…タンマ!!」というような思いでした。
死ぬまで働き続けなきゃならん立場なはずなのに、本当何やってんだ…と思いながらも、
結構強い意思(志まではいかないけど)を持って、7月に臨みました。

とにかく。
贅沢ですが、身体第一にすること。
自分以外の人を気にして、ものすごく体調悪いのに大丈夫なフリ(まぁ、脂汗かいて無言になってもやれるっちゃやれるんだけれど)をしない。
私の場合は、家族にも具合悪いのを見られたくないので、無理して部屋から出ないことにします。
心配かけてしまうことが更に心苦しくなってしまうので、放置してもらう。
いよいよになったら必ず助けてと言うから、と。
(でも私は具合悪いことに敏感なので、逆に大病しないタイプだと思います。。)

時に、寝食を忘れてしまったりしても「生活リズムが…」とか細かく気にしない。
読んだり、考えたり、書いたり、
今でなければ流れていってしまう、
今まで散々流してきてしまった色々に
好きなだけ時間を細切れにせずに
向き合おうと思いました。

自分のことだけを考えました。
最低限のことだけ他者のリズムを配慮して、それ以外は
「私だけの」1ヶ月にしようとしてきました。

おかしなものです。
普段から誰しも「自分だけの」時間しか、生きられないのにね。

自分の人生しか、生きてないのにね。

私は、私の分しか生きてない。
なのに、なんだっていつもいつも
追っかけられてるような「気分」だけしながら過ごしてるんでしょう。

追っかけてるのは、多分、
私自身なんですよね。
誰も私を追い立てたりしてないですから。
なのに、ひとりで焦ってる。
すごいズボラでのん気なクセに、
気がついたら真逆なことしたりして。

まぁ、どちらも自分なんです。
昔からそうなんです。
辻褄が合わないなぁと思いながらも、
真逆のどちらも、私には絶対に必要なんですよね。

次々にやってくる「期限」に向かって、計画を立てて、たくさんの皿を回しながら進むのも、
やりがいやひとつひとつの達成感があって好きなんですが、
いかんせん要領が悪いんです。
たくさんの皿を回せないんですよね。

たくさん回せない場合、
皿を減らすのがいいですよね。
皿をプラスチックにするのがいいのかな、とも思ったんですが、
それでも結局落とす訳ですから。
(自分が皿である場合は、
プラスチックになっといたらいいな
とは思います。)

なーんにもしなかった1ヶ月が、もうすぐ終わります。
心から本を読み、興味関心を調べまくり、また新たな枝葉が広がっていく。
結局は、私だけの世界なので
「世のため人のため」にはなりませんが、人は、その人の分しか生きていないから。

誰かの役に立ちたい、
力になりたい、
そういう人になりたい、という気持ちは
いつも心に置いておくだけでも良いのかもしれませんね。
心に置いて、
やれることを一生懸命にやる。
誰かに望まれたことも、
自分が望んだことも。
誰にも特に望まれなくても、
自分が望んだら。

誰かの分は生きられないから、
その時は、
誰かを自分の一部として。

やれることと、
やりたいこととは別だから、
結構悲しかったり辛かったりすることもあるけど、

私の分を生きているのだから
私に対して一生懸命になることは
ジコチュウではないように思いました。

晴れても曇っても土砂降りでも

私だけの時間は、流れていきます。


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