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言葉とパワー「ありがとう」のおまじない

日本語には「言霊」という言葉がある。
言霊とは「言葉に宿ると信じられた霊的な力」を意味する。
日本には、そんな言葉ができるほど、きっと、昔から日本人は言葉に魂を込めてきたのであろう。

たとえ、ちょっとした一言でも、言葉は私たちの人生を大きく左右する。

それだけ、言葉には強い、強い、パワーがあるのだ。

言葉を大切にする心

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私は、自分の言葉を大切にしている。

今noteに記している言葉も、一つ一つの言葉を大切に扱うように気をつけている。時に、私の今の気持ちを示す表現の適切さを考え、国語辞典を開くことだってある

文章を発行する前には、必ず音読をする。
何度も何度も音読を繰り返す。

それでも、ミスは減らせないのは私自身のおっちょこちょいな性格と割り切っているにせよ、記録として残る文章であるからこそ、私は自分が今、発している言葉に責任を持ちたいと考えているのだ。

言葉と暴力

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なぜ、私はこれほどまでに、自分の言葉に気をつけているのだろうか?

その理由は、言葉は時として暴力となってしまうことがあると意識しているからである。

例え冗談だとしても、「頭悪いよね。そんなのもできないの?馬鹿じゃないの?」と鼻で笑われながら言われて、気分のいい人なんて誰一人いない。

そういった言葉は、言われた人も、発した本人でさえも、深い傷として、心に残るものである。

私は高校生の頃、大学受験や人間関係でストレスを抱え、一度だけ祖父に「早く死ね」と叫んでしまったことがある。

もう亡き祖父に対する言葉であり、私の思春期の苦い思い出であるからこそ、時効と言えば、もう時効なのかもしれない。

だが、その言葉を発した私の心の中には、深い深い傷が残っている。「早く死ね」なんて言葉を孫に言われる時の祖父の気持ちを考えるたびに、私の心がとても痛む。

この痛みは、きっと私の心の中に一生残るであろうし、この痛みを感じ、過去を振り返りながら、私はあの言葉を発してしまった罪の償いを、今の行動として表していくべきだと感じている。

心が明るくなる言葉を発しよう

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私は「言葉」に敏感である。

その人が発している言葉、選んでいる言葉。その全てが、その人そのものを表しているような気がするからだ。

言葉の選択とは、無意識のレベルの習慣だ。

だからこそ、常に心が明るくなる言葉を発している人は、どんな時でも、明るくて素敵な言葉を発し、周囲を笑顔にしてくれる。

一方、暴力的でネガティブな言葉を発している人は、その要素がどんな時でも出てしまう。

やはり、日本語の「言霊」という言葉が示すように、言葉そのものには、とても強いパワーがあり、私たちが選択する言葉次第で、周囲に集まってくる人々の顔ぶれまで変えてしまうものなのかもしれない。

幸せになるためのおまじないは「ありがとう」

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私はある時から、「ありがとう」という言葉を意識して、たくさん使うようになった。なんでも、小さなことに対して「ありがとう」と言う。

たった5文字の言葉だけれども、この言葉にはとてつもない幸せのパワーがある。

この「ありがとう」という言葉は、身近で、何気ない人にこそ使うべきであると考える。その身近な人とは、家族であり、パートナーとなる人のことだ。

一番身近で、生活を共にする仲間である家族には、遠慮なく何でもお願いでき、わがままも言いやすい関係性かもしれない。

だからこそ、人びとはそれが当然のようになり、照れ臭さも重なり、感謝の言葉を忘れてしまう。

でも、たった一瞬の「ありがとう」という言葉が、自分を含め周囲の人みんなを幸せにするおまじないなのである。

それを身近な人に使えば使うほど、必ず自分自身が一番幸せになる。

私は、そう、信じている。

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