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もし世界が終わるなら

Netflixで「終末のフール」と言う韓国ドラマを見た。
隕石が地球にぶつかる。そして、韓国は壊滅する、と言う設定。
権力者やお金持ちは飛行機や船で逃げ、力が無い者達はその日を待つしかない。残された日数は200日。

エピソードが進むにつれて、日数も減っていく。最終話、あと1週間となってくると、私だったら誰と過ごすかな?と考えてしまう。

夫ではないな、とすぐに思った。
息子でもない、と続けて思う。
夫と息子が2人で過ごせばいいよ、私は遠慮しとくわ。気ばっかり使って疲れそうだから。(笑)

先月別れた元彼がいいな、と言うのが正直な気持ち。
けれど、彼はそれを望まないだろう。
私は「求め求められ」の相手と最後は過ごしたい。それもお互い「熱烈に」求め合う関係の人と、いっときも離れずに最後の1週間を過ごして滅亡を向かえたい。

それが出来ないなら、最後もヒトリで居たい。誰にも気を使わず、使われず、ヒトリで過ごしたい。
ドラマの中のイナ中隊長があまりにもしっくりきて、最後にバイクで走り去った瞬間、涙が流れた。胸が熱くなった。潔くてなんてカッコいいのだろうか、と。

少しだけ、ほんの少しだけ、絶縁して5年以上会っていない両親の顔を見に行こうか?とも考えたけど。
すぐに、今更だわ…と思った。

毎日、なにも考えずに眠れるのは、明日、必ずまた起きる、と信じて疑わないから。老人になると、明日また起きられるかしら?と考えながら眠る、と何かのドラマの台詞で聞いた事がある。

毎日毎日、色んな選択をして、今の私が居る。だから、明日もまた私は何かを選択して、また人生の駒を進める。

後悔がないように、とよく言うけれど、後悔ばかりの気もするし、戻ったとしても同じ選択をして、またここに居る気もする。

明日、地球が滅亡する事はないだろう。それでも、1週間後、命がなくなるとしたら?と言う問いは、頭の隅にいつでも置いておきたい。

面白いドラマだった!!!

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