見出し画像

騙る絵と作り手のエチュード。

一つの局面に集中すると、どうなるのか?
絵描きが物事の見方を習得して、思ったことなどをしゃべります。

美術の教科書などに出てくる、「ルビンの壺」。絵のタイトルは知らなくても、「この絵」は見たことある人多いんじゃないでしょうか。

注目するところによって、「人が向かい合っているように見える」か「壺に見える」かが分かれる、アレです。

他にも、「カメラのピントを合わせてボケ補正」することで、手前のものをハッキリさせるか、奥の風景をハッキリさせるかを選択したり。

着目する主題を決めて、周りの書き込みを調整する。という技法は、芸術分野だと割とよく見かけたりします。

閑話休題。

仕事でライティングとか絵をかかせていただき、「この部分を立たせたい、他はあまり見えないようにしたい」という依頼をいただくことがあります。

具体的には、
「赤ちゃんのおでこが目立っているように見えるから、前髪をもう少し生やしてほしい」
「眉の角度はこんなにシャープでは無いので、もう少しソフトなカーブにしてほしい」
「この点を書いて公開してしまうと、ネガが発生する可能性があるから、もっと伝え方を変えて欲しい、もしくは別の点に書き換えて欲しい」

などなど。

かかなきゃ分かんないこといっぱいあります。そんで、フィードバックを貰うことで「あ、確かにー!直します!」ということも結構あります。

自分が納得したことなら直しようがあるので、「修正依頼の理由」は必ず聞くようにして、思うことを話し合います。前言ってたことと矛盾があれば質問するし、ケースバイケースなら主軸がどこかを尋ねます。

そうすると、大抵の場合は「散りばめる」か「一点集中」かの2つに分類されます。

「散りばめる」場合は、「アレもコレもドレも良い!伝えたいことがたくさんある!」と言う場合。イケメン美女の似顔絵は大抵コレです。どこもかしこも整っていて、パーツ位置をどこに置くか勝負だったりするので、1mm単位で修正を重ねたりします。バッチリハマると「良いね!」となりますが、どこかがズレてるとすごく時間がかかります。完璧主義にならざるを得ないケースです。

一方、「一点集中」の場合。「主題」をものすごく濃くして、周りは割と書き込まないで良い。もしくは、主題を「空白」「まっさら」にして、周囲をめちゃくちゃ書き込むかのどちらかです。パッと見てわかりやすいのはこの「一点集中」のパターン。適当さが味になったりするので、ラフなスタイルの絵に向いています。「見えないものを作る」「見せずに魅せる」と言い換えるとカッコよく聞こえる気がする。笑

そんなことを考えていた時に、思い出した「ルビンの壺」。

なんと綺麗な絵なんでしょう。主題がどちらでも良い。

「見えないものを見ようとした」時に「見えた!」という快感は、何物にも代え難いものがある気がします。

それは、誰かの本心が見えた時だったり、何かの謎を解いた時だったり。

相手が置いてった絵筆の跡をひとつひとつ追いかけていって、そこに残ったもの、もしくは描かれなかったもの。

そこから導き出される、とある真実。あるいは嘘。虚実。言葉。夢幻。現実。

そういうものを「見た」「見えてしまった」時、どういう感情や思いが心の像を結ぶか。勝ち負けか、善し悪しか、好き嫌いか、快か不快か。あるいはどれでもない、無か。

なんてごちゃごちゃ考えて、挫けそうになって、それでも「良いね」という言葉をいただいて。それが嬉しくて。

そんな過去を灯火にして暗闇の中を進む。

ふ、とした時に貰える言葉や、笑顔を見た時の心の温かさを胸にしまって、冷たい洞窟の奥を進んで行った先に見える、冷たくて美しい創作の源流。

水を汲んで戻ってきて、地上の光を見て、ホッとした時の胸の暖かさと身体の冷たさ。

結局、こうしてnoteを綴ることも、日頃作品を作っている時も、言うことを選択して言わないことを作っているわけです。わたしは作品を作っているのではなく、作品以外を作っているのかもしれない。壺と思わせて、実は向かい合う人も感じ取ってもらいたいのかもしれない。

インテリアの紹介と見せかけて、それを映し出す生活を感じ取ってもらいたい。とか。
絵本と見せかけて、それを作った背景や人物像を感じ取ってもらいたい。とか。

どこまでデザインして、どこまでスタイリングして、どんなところまで感じとってもらえたら良いかをイメージして、そんで描き書き。

そんな作品が好きだし、作っていきたいな、と思った次第です。

でも、どう捉えられるかは人それぞれですし、そのいただいた反応をこちらがどう捉えるかもわたしに委ねられているわけです。自分の感性は自分のもので、それはあなたもわたしも保証されて然るべき。だから、揺れ動くし、面白いんだと思います。

なんて。
ま、ここは作家のエッセイ場だし、どこまで本当でどこまで嘘かなんて言うのはそれこそ「戯言」で「騙る」ことかもしれないので。話半分に聞いていただければと思います。笑

ちょうど良いタイミングで、洗濯機に呼ばれました。

長くなりましたが、今日はこんな感じで。

遠藤さやえんどうでした。
お読みいただき、ありがとうございました!

それでは。

よろしければサポートもお願いします!メッセージも受け付けております…!!