終わるカラはじまる。 ~明日、親が介護施設に入居します! ⑦~
「親を介護してます。」
って言うとね。
結構な高確率というか、
超絶、私個人体験から導き出した数字だけど
100%の確率で「同情」される。
カワイソウ
ってね。
ご苦労されてますね。
ってね。
じゃあ、あなたの立場を代わってあげます!なんて人は現れない。
家族の代わりはいないから。
とても尊い存在であり、とても、とても、とても、、、、同じようにみえるけど、各人によって見え方が違うモノ「 」そんな存在が家族なのだろう。
そう、確かにシンドイ。
稀に育児されてる方と介護について話したことがあった。あくまでその人曰くですが・・・
『育児は確かに大変。でも、確実に成長を感じるので、そこにやりがいや心の糧にしてなんとか踏ん張れる。成長に伴い育児の終わりが見える。
オムツしてるのは、どれぐらいの期間。
離乳食はどれくぐらいの期間。
そして、成長していってくれれば、手がかからなくなる。
けど、介護は逆である。
どんどんと弱っていく。
オムツもしてくれた方が介護しやすいが、本人のリハビリやプライド、精神面を考慮して対応することもある。
赤子より10倍近く思い体重をささえ、オムツじゃなくパンツ替えしたり、その周りを拭くこともする。
それでもどんどんと、弱っていく。
本人の意思で離乳食のような介護食事を拒否され、投げつけられても、どうしようもない。』
その人は、育児にご苦労されている方で、介護経験はなかったので、とても私に同情して下さる優しい方でした。
生きるという義務と権利の為、誰もが正論を振りかざす。私も、親も、介護に携わって下さった専門家の方々も。
悪人は一人もいない。
ただ、老いていくその様を見つめていくことを強いられる。
家族というとても近しい、親しい、そして時に悍ましく感じてしまう、とても一言で表せない関係の人なのに「家族」って一言で表してしまう、めちゃんこ長い付き合いの他人
終わるカラはじまる。
終わらなければ、はじまらない。
受け継がれていくもが確かにあるから、今、こうしておバカな私でも、ネットがどうゆう構造や理屈やら技術で動いているかも知らんけど、指先数本でボタンを押すだけで、見ず知らずの世界中の人に言葉を届けることができる。
読んでもらえる保証なんてなくてもいい。
終わらせるのも人の役目。そして、そこからはじまる。
それが「生」ということなのかな~って、介護の自己肯定感を高めるための殴り書き。
今日も、どうかあなたに爆笑されてますように。