初めてのレスは『あなたには理解できないよ』だった。確かに、それは正しい判断だ。 ~作家売買~

中年の私が、初めて『書き込み』ってことをしたのは、大分昔なんです。


それでも、その書き込みは鮮明に覚えている。


ずっと、閲覧だけしてた小さなとあるネットの社交場という暇人の集まり。

本当にビックリするほど、分別がない書き込みがあり、カッコよく言えば「多種多様」、本音を言えば「雑多」な言葉が並んでいた。

面白いモノも、ひどいモノも。


その中で、読んでいると1つの気になる書き込みがあった。

いつの時代もある若者特有の苦悩だった。いつもなら「在り来たりな言葉だな」なんて通り過ぎるのに、その時は反応して、ついつい長文を書き込んでしまった。

読んだ方々は、さぞ読みにくかっただろう。ってか、実際は誰も読んでいなかったのかもしれない。

それでも、今よりちょっと若かった私にとっては人生初の書き込みだった。


ネットの誰が誰だかわかならい書き込みなんて意味がないって思っていたから。

なのにダラダラ閲覧して、終いにゃ長文レスを付ける始末になるほど、無意識の中で、確実にネットに溺れている時期だった。


その誰だかわからない若者の苦悩の書き込みに、私の一人ヨガリな長文。

そして、これまた誰だかわからない人がレスしてくれていた。

「あんたには、理解できないんだよ。」


自己満足の長文を書き込めば、見ず知らずの書き込み者に理解をしてもらえるなんて、私は驕っていたんだと、後になって気づく。


最初は『あんたには、理解できないんだよ。」って返されて憤った。

「なんで、”私が”せっかく長文で、相手を気遣った悩みに対する言葉を綴ったのに”理解できない”なんてレス付けられなきゃならないの!」ってね。

次に、悲しんだ。「どうして、”私は”悩みを解消する手助けになることを書いて”あげた”のに、こんなひどいレスを付けられるの?」っとね。

そんで、最期に自分の書き込みを消して、逃げた。

全ての言葉の主語は、悩みを書き込んだ者ではなく「私」であるのにも気づけていないのである。


”私は”、勝手に書いて、勝手に怒って、勝手に悲しんで、勝手に消える。

絵に描いたような、ネットの書き込みアルアルを経験した。


そして、ずっと頭に残り続ける言葉『あんたには、理解できないんだよ。


確かに、私は最初の若者の苦悩を書いた人のことを、コレッポチモ理解していなかった。

ただ、ただ自分のことだけを謳ってた。

とても、正しい書き込みだったのだ。


未だに、色んな事を『理解できる』ことはないなっと。誰かの書き込みで教えてもらったことを思い出す。

『相手を理解して』なんて、ポイポイと言う人に出会って、理解するってのは生半可なもんじゃね~と思うんだよな~って理解できない自分との会話でした。


今日も、誰かに笑われていますように。