『仕事改革』って言葉だけを発するのではなくて、『毎日、残業してる会社は、仕事ができない会社。経営できてない会社』って感覚が根付け ~作家売買~
タイトルのままですけど。
たまに他の方々もチラホラ言っていたりする言葉ですね。
昔、お話を聞かせてもらった、どっかの海外の方の感覚だと、「残業っていう非効率な業務」って感覚が当たり前らしいです。
私自身、会社員の時、平均12時間勤務+朝の満員電車+終電で帰るか終電無くなりタクシー、てか帰るのしんどくて会社近くのホテルに泊まって早朝から仕事とかしてました。
生きる為の仕事っていうより、『仕事をする為に生きていた』状態でした。
一人の長時間労働の体験者として、長時間労働は体壊すとかの問題も多々ありますけど、それ以前に、
長時間労働って、ただの非効率!なんです。
昔みたいにPCやネットがなくて、機械は補助的に存在してた時代。
メインの労働力が「人力」だった時代なら、人間が長時間労働することで生産性が上がったんでしょうけど、(その分、過労による問題も多々、昔から発生していましたけど)
今は、正直、ある程度、機械(PCソフト、アプリ、AIなど)にやってもらった方が効率いい仕事がたくさんある。
何より、機械化することで、誰がどう動いたかって履歴も残るので責任の所在がより明確になったり、間違いが起こった時もどう誤ったか機械処理の履歴を確認して原因を理解することで、再発を防ぎやすくできたりもする。
アナログだけを否定するのではなくて、
デジタルだけを肯定するのではなくて、
時代にあった、効率の良い仕事をする!
って、考えると本当、長時間労働って非効率で、非生産的な行為なんです。
長時間労働でも極一部、成果を出す方もいるんでしょうけど、そうじゃない方もいる。
っていう感覚が私の中に芽生えてから、長時間労働してる方を見ても、「仕事頑張っているんだな。」って感覚より
「非効率な仕事でもしてるのかな?」
「仕事ができない人なのか?やり方が下手なのか?ってか、この会社の経営って大丈夫なの?」
って、感覚で見るようになってきました。
昭和をちょっとだけ見たことある中年な自分の「仕事」に対する刷り込みが変わった瞬間ですかね。
私も、昔は長時間労働の先に幸せがあるって幻想抱いてました。
長時間労働の先にあるのは「疲労」だけ、その先に病や死が平気で大きな口を開けて待っています。
蓄積された疲労からの回復だって、数年、下手すりゃそれ以上の長い年月を要することがある。
一度、ぶっ壊れたモノは、まるっきり同じように元に戻せないのと一緒です。
人間ぶっ壊す前に、仕事改革、長時間労働是正という言葉だけを見出しにするんじゃなくて、
「長時間労働は、非効率で非生産的な仕事である」
「長時間労働をする人は、その仕事に対する理解がないから時間管理ができていない」
「長時間労働をしてる会社の経営者は、経営者としての仕事ができていない。」
とか、ただの長時間労働は非効率・非生産的な行為だって根付かせる広報すればいいのに。
労働は美徳ってのも表現の自由ですけど。
意味のない長時間労働はタダの無駄!っていう表現も自由でしょ。
長く仕事してりゃ、どうしようもない事情がぶっこまれて、一定期間だけ長時間労働になるってのはわかるけど。
初めから「従業員は長時間勤務当たり前」って計算で、会社運営してるんなら、その会社、実質破綻してるでしょ?って感覚が根付けばいい。
単純に、無理矢理、オフィスの電気を消して退社時間です!って……お子サマの部活の合宿の消灯時間みたいなパフォーマンス的な労働時間削減キャンペーンじゃなくて、本質的に仕事の中身を分別しましょうよ。
分別できないってことは、その受注した「仕事」自体がわかってないってことなんです。
本当に自分が率先して「やりたいこと」だと、長時間でも効率よく、気持ちよく動けるんです。
生きる為に働くんでありたい。
働く為に生まれたわけじゃないじゃないですか。
奴隷制度は既に廃止されたハズですけど?
じゃ、ちょっと今日も働いてきます。
今日も、誰かに笑われていますように