みんな『自分の体験したこと=世界』と思い込んで生きている。 ~作家売買~
会話をしている時、安易に「海外は~」「他社は~」「普通は~」などなど、比較対象を選別する時は気を付けるようにしてます。(まあ、実際はバリバリ間違った表現ばっかりしてるけど。バリバリにね。)
例えば「(日本に比べて)海外は○○が進んでいる」って言葉。
「海外って具体的に、どこの国?日本以外全ての国?」
「どうやって○○について日本より、他国が進んでいるというデータを取ったの?」
「データの比較方法は、どういった形式でとったの?そのデータを出した機関が正しいという信ぴょう性はどこから得たの??」
などなど。
今、私は通信制の大学生してるので、一番最初のレポートの書き方の講義で、講師の方が話してくれた話でもあります。
っていうか、生きてりゃ、みんなが感じたり、ブツカル疑問ですよね。
「あれ?おかしくね??世界ってそんなに狭いの???1つの結果しかないの????」って。
「他社比較」だって、同業他社って業界何位までの会社と比較するの?
その比較データ自体の信ぴょう性は?
企業秘密なことが多いんだから、どうやってそのデータ集計したのかな?
ってことです。
キツイのは「普通」という比較なんて、ね。
普通という、ただ一個人の感想をさも一般大衆化された制度かのように語る手法だと思っています。
基本、みんな、「自分の体験したこと=世界」だと思っている。
最近、留学体験した方とお話しました。他国で学ぶというのは素晴らし体験だと思います。私も数年後には留学を検討して動いています。
けど、たまに留学経験者さんが、悲しいこと伝達します。
「海外はもっと進んでいる。」
もったいないですよね。それって留学先の自分の一体験から感じた一個人の感想であることなのに、それを『海外という世界』と表現を止めてしまう。
もったいないな。
っつって、私もウン十年も待ち望んだ留学したら「世界は素晴らしい!」って、テンション上がって、逆に世界を狭める表現をして帰国しそうなんで、先に自戒しておきます。
(追記)
っつーか、これも「一人の留学経験者と話した私の一個人の感想」でしかなくて、他の留学体験者と話をすると、また違った感想ができるんですよ。
すでに、私はこの何でも無意味に比較することをしちゃっていますね。
まあ、人間ってこんなモンでしょうかね。
(追記おわり)
新しいことって楽しいですから、どうしてもスっポーンとなっちゃいますよ。
いくつになってもね。
今日も、誰かに笑われていますように。
執筆者:さわ