短編BL小説「年下のイケメンを拾いまして。」

 体にのし掛かる疲労感。
 夜よりも朝に近い午前三時に俺は家に向かっていた。
 もはや生きるために働いているのか、働くために生きているのかわからない。
 就職して五年。二十七歳。保険会社の営業として働いてきたが、求めらているのは人間性よりも結果。
 もちろん社会では結果が全てだ。
 だが、今の俺に欠けているのは自分の人間性を認めてくれる存在である。

「癒されてぇ」

 思わず俺はそう呟いていた。
 家の近くにある自動販売機の前。誰もいない場所で吐き出した心の声。
 もちろん返事などあるわけがない。
 しかし、思わぬ返事が返ってきた。

「じゃあ僕が癒すので、拾ってくれませんか?」

 いきなりの返答に俺は驚いて声を上げてしまう。

「うわっ!な、何?誰?」
「えっと、綾人、二十二歳です」

 自動販売機の光に照らされた声の正体は、座り込んだ細身の男性だった。
 紫色の派手なシャツを着た彼は、声を聞かなければ性別がわからないほど可愛らしい顔をしている。
 疲れ果てた俺は面倒だと思いながらも聞き返した。

「え、何?綾人?二十二歳?」

 すると、綾人は人懐っこい笑顔を見せる。

「はい、綾人です。噛みつかないし、ご飯もトイレも自分でできます」
「どう見たって犬じゃないから、そりゃできるだろうよ」

 俺がそう言い返すと綾人は頷いた。

「ははっ、ですよね。あ、でも特技は癒すことです。お手もできますけど」
「何言ってるんだよ。こんな時間に男が男に拾ってくれって、怪しすぎるだろ。しかも派手な服・・・・・・新手の詐欺か何かか?」

 そう言いながら、綾人に疑いの眼差しを向けると彼は自分の服装を見てから笑う。

「そんなに派手ですかねぇ、ってか怪しいですか?」
「怪しさしかないだろうよ。疲れてるんで他の人に拾ってもらってくれ。自分のことでいっぱいいっぱいなんだ」
「こんな時間に他の人なんて通りませんよ。このままだとここで餓死してしまいます」

 そう言いながら綾人は立ち上がり、顔を近づけてきた。

「な、何?」
「お願いです。拾ってくれませんか?」

 懇願する綾人の表情はまるで餌をねだる子犬のようでもあり、妖艶な花のようでもある。
 色気と可愛らしさを醸し出していた。
 既に仕事で疲れ果てていた俺は問答が面倒になり、ため息をつく。

「はぁ・・・・・・分かったよ。男同士なんだし、何もないだろ。言っとくけどうちに金目の物なんてないからな」
「じゃあ、ついて行ってもいいんですか!」
「早く寝たいだけだ。明日も朝早いからな。ここでお前と言い合いするよりも効率的ってだけだ」

 俺がそう言いながら家に向かって歩き始めると、綾人は軽い足取りでついてきた。

「明日っていうか、もう今日ですよね」
「やめろ、現実を突きつけるな。現実離れした存在のくせに」
「そういえば、名前教えてくださいよ」
「馴れ馴れしいな、捨て犬のくせに」
「わん!で、名前は?」

 そう尋ねてくる綾人。
 俺はあくびをしながら答えた。

「伊達 和馬だ」
「和馬さんですね」
「伊達さん、な」
「和馬さん」
「うぜぇ、捨ててくぞ」
「クーリングオフ対象外です」

 そこから俺と綾人の奇妙な同居は始まったのである。
 言っていた通り、綾人は料理が出来た。
 毎日深夜遅く帰る俺に温かみのある手料理を用意して待っている。
 長らく手料理など食べていなかった俺は不意に泣きそうになってしまった。

「う、うまいな、これ」
「でしょ?料理得意なんですよ」

 俺が褒めると綾人は屈託のない笑顔を浮かべる。

 朝早くから仕事に行き、夜遅く帰ってくる俺のために綾人は毎朝起こしてくれた。
 朝食を用意し、お弁当も作ってくれる。
 夜は何時に帰るかわからない俺のためにご飯を用意し待っていた。
 なんのために綾人がここまでしてくれるのか俺には理解できない。
 この家に住むための家賃代わりなのかと思っていた。
 同居して一週間が経った頃には俺は完全に綾人を信頼するようになっていたのである。

「今度の土曜日空いてるか?」

 深夜、帰ってきた俺が綾人の作った麻婆豆腐を食べながら問いかけると、洗濯物を畳んでいる綾人が停止した。
 鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべて、言葉を失っている。
 
「おい、聞いてるか、綾人」
「は、はい。聞いてます。それってデートってことですか?」

 戸惑いながら聞き返す綾人。
 俺は呆れながら答えた。

「ばぁか。いつも料理作ってくれてるからな。お礼ってことでご飯でもどうかと思ってな」
「行きたいです!」
「じゃあ、予定に入れといてくれ」

 そう言いながら俺は少し照れてしまう。
 何故、照れているのかは分からない。ただ、男同士で食事にいくだけの話だ。
 もしかしたら顔が赤くなっているかもしれないと思い、俺は言い訳を言葉にする。

「あー、辛い」
「そうですかね?」

 そう言いながら綾人は俺に笑顔を見せた。

 そして土曜日。
 俺はいつもよりも遅く起きて、綾人に挨拶をする。

「おはよう」
「おはよう、和馬さん」

 いつも通り綾人は朝食を用意していた。
 俺は綾人の隣に座り、朝食のパンを手に取る。
 それを口に入れようとした瞬間、俺のスマホが鳴った。
 画面には見たくない文字が表示されている。

「うわ、会社からだ。ちょっと出てくるわ」

 そう言いながらスマホを手に取り、立ち上がってからスマホの画面に触れ応答した。

「はい、伊達です」

 電話の向こうでは焦った上司が早口で内容を話している。

「休みのところすまないんだが、出社してくれないか。うちの保険に入っている会社が大きな事故を起こしてね。早急に対応しなければならないんだ。現場確認と損害額の計算、とにかくやることはいくらでもある」

 そう言われた俺は振り返って綾人の顔を見た。
 すると状況を察したのか、綾人は少し残念そうな表情で頷く。
 仕方ないか。仕事だしな。
 そう思いながら俺は電話の向こうにいる上司に返事をした。

「あ、はい。分かりました。準備したらすぐに出社します。後で内容確認したいので折り返します・・・・・・はい・・・・・・そうです・・・・・・はい・・・・・・はい、失礼します」

 電話を切った俺は綾人に話しかける。

「約束してたのに申し訳ないんだが、仕事が入ってしまった。食事はまた今度でもいいか?」
「はい、仕事なら仕方ないです。休みなのに大変ですね。無理せず頑張ってください」

 そう答える綾人は笑顔を見せてはいるが、どこか残念そうだった。
 例えるならば、遊んでもらえなくてしょんぼりしている犬のようである。
 そんな綾人に見送られて俺は仕事に向かった。

 突然の仕事。
 保険会社に勤めている以上、急な対応は仕方がないことだ。
 過去にも同じような対応を何度かこなしてきたのだが、何故か今日は集中できない。
 頭の中に綾人の残念そうな表情がちらつき、胸の奥に小さなトゲが刺さっているようだった。
 心の中で薔薇が蕾をつけ、トゲトゲの茎が巻きついているような感覚。
 そんな状況でもなんとか仕事をこなし、帰宅できるようになったのは深夜二時だった。

「疲れた。さすがに疲れた。酒でも飲んで寝よう」

  いつもの道を歩いていた俺はそう思いつき、コンビニに向かう。
 コンビニは帰り道にはなく、少し離れた場所にあった。

 そこはいわゆる飲み屋街で居酒屋、バー、キャバクラやホストクラブなどが立ち並んでいる。普段は行かない場所だ。
 コンビニに立ち寄った俺は缶ビールを買って、外に出る。
 見慣れない飲み屋街の明かりをなんとなく眺めた。
 疲れた目に光が染みる。
 すると、視界の端に見慣れた顔が入ってきた。
 綾人だ。
 少し離れた場所で綾人が満面の笑みで女性と抱き合っている。

「綾人・・・・・・」

 思わず呟きながら俺は缶ビールの入ったレジ袋を落としてしまった。
 その瞬間に音に反応した綾人と目が合ってしまう。
 何故だろうか、心に巻きついた薔薇が強く締め付けてきた。
 胸を押さえながら俺は振り返り家に向かって走る。

「和馬さん!」

 背後から綾人の声が聞こえたが、俺は真っ直ぐ走った。
 なんで俺は逃げたんだろう。
 どうして胸が痛むのだろう。
 この気持ちは何なんだろう。
 頭の中に溢れかえる疑問を受け流しながら進み、気づけば綾人と出会った自動販売機の前に立っていた。

「何だよ、あの笑顔・・・・・・」

 自分が綾人にとって特別な存在なんだと思っていたのだと気づく。
 そしてそれを恥ずかしく思った。
 大きな勘違いだったのだ。
 綾人にとって俺はただの家主。
 住居を提供するだけの男だったのだ。

「ただの同居人か・・・・・・」

 思わず呟く。
 もちろん返事などあるはずがない。
 しかし、思わぬ返事が返ってきた。

「そんなわけないじゃないですか!」

 声に驚き振り返る。
 そこには息を荒げた綾人が立っていた。

「綾人・・・・・・」
「ただの同居人なわけないじゃないですか!」

 そう言いながら綾人は俺の肩を掴む。
 俺は綾人の手を振り切ろうと体を揺らした。

「離せっ!」
「離しませんよ」

 真剣な眼差しで綾人は俺の目を見る。
 その視線が俺の心を乱すんだ。
 そんな目で見るな。
 そう思いながら俺は問いかける。

「お前にとって俺は何なんだ。同居人じゃなきゃ何なんだよ」
「好きな人ですよ!」

 綾人は言い放った。
 好きな人。その言葉が頭の中でこだまし、心を波立たせる。
 好きって何だ。
 何を言っているんだ。
 動揺しながら俺は言い返す。

「お、男同士だろうが!」
「好きに性別なんて関係ないでしょう」
「いや、それは・・・・・・だ、だとしても、俺とお前は偶然出会って仕方ないから一緒に住んでるだけだろっ」

 俺がそう話すと、綾人はため息をついた。

「はぁ・・・・・・馬鹿なんですか?」
「何だと?」
「いいですか?男が男に拾ってくださいなんて言うわけないでしょう」

 お前がそれを言うのか。
 意味がわからない。
 混乱しながら俺は言葉を返す。

「言ったんだろうが」
「それに、毎日料理作ったりしますか?」
「してただろうが」
「それは好きだからですよ」

 恥ずかしげもなく綾人はそう言った。

「何言ってんだよ。偶然じゃなきゃ何なんだ」
 
 俺が問いかけると綾人は呼吸を整えてから答える。

「毎日、夜遅くにここを通る和馬さんを見ていました」
「は?」

 半ばパニックになりながら俺は何とかそう返した。
 綾人はそのまま話を続ける。

「多分、一目惚れだったんです。疲れた顔で必死に歩いている和馬さんを見ていると不思議な気持ちになったんです」
「何だよ、それ・・・・・・」
「わかりませんよ。心があったかくなって、この人を笑顔にしてみたいと思ったんです。だから僕はここで和馬さんを待ち伏せて声をかけました。無理やりにでも一緒に入れるように」

 驚愕の事実を突きつけられた。
 しかし、どうしてなのだろう。嫌な気持ちはしなかった。
 それどころか自分の顔は熱くなっているのを感じる。

「初めから俺に声をかけていた・・・・・・?」
「そうですよ。最初から告白するよりも僕のことを知ってもらおうと思って」

 確かにこの数日間で綾人のことを知った。
 子犬のような笑顔も、妖艶な笑顔も、心のこもった料理も、全て俺の心に残っている。
 そして俺の気持ちも確実に綾人に近づいていた。
 だからこそ、綾人が他の人に笑顔を向けていたのがショックだったのである。
 気づいてしまった、自分の気持ち。
 先ほどの感情に名前がついてしまったのだ。

 嫉妬。
 俺は嫉妬していたのだ。綾人と抱き合うあの女性に。
 気持ちに気づいた俺は感情のまま言葉を吐き出す。

「じゃあ、あの女性は何なんだよ。抱き合ってただろうが!」
「あの人はお客様です」
「お客様?何でお客様と抱き合うんだよ、あんな笑顔を見せて」

 そう言いながら自分でも嫌な言葉だと感じた。
 嫉妬のまま言葉にしているのだ。
 しかし、綾人は嫌な顔をせずに答える。

「僕、ホストなんです」
「ホスト?」
「はい。元々は親が残した借金を返すために働き始めたんです。でも借金を返し終わった頃には人を信じられなくなっていました。心から笑えなくなっていました。夜の世界は嘘偽りの世界・・・・・・そこには本当の自分がありません。そんな僕が和馬さんを見ていると自然と笑顔になれたんです。何者でもない一人の男、綾人としていられたんです」

 綾人の事情を聞いた俺は何も返せなかった。
 そんな俺に綾人は頭を下げる。

「勘違いさせてすみませんでした。でも、お客様と抱き合っていたことで怒るってことは嫉妬してくれてました?」

 核心を突かれた俺は一気に顔が熱くなり、慌てて言葉を投げ返した。

「ち、違うっ」
「顔真っ赤ですよ?」
「うるせぇ!」

 そう言って綾人を突き飛ばす。
 すると綾人は俺の腕を掴んで引き寄せた。

「もうここまで話したんですから、一番伝えたかった言葉を聞いてもらいます」

 その言葉を聞いた俺は赤面したまま固まってしまう。
 そんな俺に綾人は深呼吸してからこう言った。

「好きです、和馬さん。いつも頑張っていて、疲れていても折れない。言葉は荒くても、本当は優しい和馬さんが大好きです。拾ってください、なんてもう言いません。僕と一緒にいてくれませんか?」

 告白。
 綾人の言葉を聞いた俺は自然とその手を握り返していた。
 自分の鼓動だけが頭の中で響き、何も考えられなくなる。
 落ち着かせるように深呼吸してから俺は答えた。

「・・・・・・お前のご飯を毎日食べたい」
「ふふっ、何ですかそれ。素直じゃないなぁ、和馬さん」
「うるさい」
「素直になれないなら素直にさせてあげますよ」

 そう言いながら綾人は俺の顔に顔を近づける。
 思わず固まっていると、そのまま唇を重ねてきた。

「ちょっ!」

 一気に顔が燃え上がる。
 そんな俺を見て綾人は妖艶な笑顔を浮かべた。

「ほら、表情は素直ですよ」

 心の中で薔薇が花を咲かせる。
 
「何してんだよ」
「キスですけど」
「ですけどじゃねぇ。勝手にすんな」
「素直じゃない和馬さんが悪いんですよ」

 そう言いながら綾人は俺の手を引き、家に向かって歩いた。
 俺は綾人に手を引かれながら、小さな声で呟く。

「好きだ、馬鹿」

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