SNSは最悪のコミュニケーションツールである(これもでは?)の巻

 いやー白饅頭先生は今日もいい記事をお書きになった。素晴らしい。

 また、これと結構内容を同じ?くし、ラブホの上野さんも良い記事を書かれています。

 この記事には「マクロの視点」と「ミクロの視点」が書かれています。マクロな視点で物事を判断するのは非常に重要で、統計的、客観的基準に基づくとともに、差別を排することこそ「リベラル」的であるのです。

「マクロの視点」と「ミクロの視点」

 さて、では「ミクロの視点」とは何なのでしょう。皆さんは今日も健康的に「差別」をなさったと思います。え?してない?まさか!
このような記事を読んでいるということは、この時間でほかの数多素晴らしい記事は読んでいない、ということなのですよ?
”「自由に選ぶこと」は「自由に選ばない(拒否する)こと」”:白饅頭日誌:2月18日「ラジオ出演の感想など」

 そうです。ミクロの視点は、お気持ちが入っていて構わないのです。嫌いな人まで好きになる必要はありません。受け入れられないものはそのままで構わないはずです。

 では、なぜツイッターを代表とするSNSは、あのような炎上に見舞われるのでしょうか。
 なぜならば、SNSはミクロの視点を持つ個々人が、マクロに発信できてしまうものであるからです。

 残念ながら、私たちはミクロ的差別(実は、価値判断とも言います。)からは永遠に逃れることはできず、それから逃れようとすることすら差別的ですらあるのです。
 何を発言し、何はそうしないのか、個人にはあまりに厳しいリテラシーが課せられているといっても過言ではないでしょう。

 リスクを恐れることと、それでも書くことがあるのでは?と感じ、表現していく。実際矛盾している事柄ではありますが、無理することなく書いていきましょう(でもツイッターはグラップラーとファランクスがぶつかり合ってるので、止したほうがいいかもね。)。



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