エールを贈るのに足りないもの

#GratefulForTheHeroes絵

というタグがTwitterで話題になり、多くの漫画家やイラストレーターの方々が、この新型コロナウイルスが流行している中、エッセンシャルワーカーや育児、介護従事者など、働いている人たちのイラストなどを描き、エールを贈っていた。

しかし、このタグ企画に対し、実際に働いている人たちから「ヒーローになりたくない」「応援よりも安全が欲しい」「もう頑張れない」等の悲痛の声が上がり、このタグ制作者は、謝罪と共に自身の作品を削除した。

人々を勇気付ける思いを込めたこのタグ企画が、何故人々を傷付けてしまったのだろうか?

私は、このタグを企画参加した人たちのせいでは、決してないと考える。

応援とは、その応援した人物に意義を与えるものだと思う。

あなたの行動を私たちはこんなに望んでいます、こんなに求めています、と表明し、その人の行動を価値の有るものにする事だ。

しかし、こういった応援の力は環境が整っていないと、たちまち応援する人をその重圧で押し潰してしまう。

今回応援していた相手は、主に医療従事者やエッセンシャルワーカーと言った、疫病が流行している中でも働かざるを得ない人々である。

その人たちの現状は、マスクが足りず、医療従事者は3日に1枚、それ以外の者には配給もなく、店頭にも滅多に並んでいない。

また政府から、その人たちに対する補償や安全を守るための政策が、このタグが流行った時点で殆ど打ち出されてはいなかった。

彼らに足りないのは、安全と補償であった。

RPGで例えるなら、勇者一行が武器防具を買えず、宿屋でも休めずHPが瀕死のまま、ダンジョンに行け、世界を救ってと、町人に言われ続けるようだ。そんなRPGは誰もやりたくないし、現実なら尚更である。

しかし、その安全の確保や補償は、当然ながら一個人が出来るものではない。

だからこそ、私たちは税金を納める義務を背負っているのだ。

私たちの税金を使い、彼らへ安全と補償を与えるのは、政府の義務であると思う。

政府がその義務を放棄していることが、今回の応援タグで、悲しいスレ違いが起こった原因である。


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