見出し画像

源義経がぶさいくor美形って話、…なんで分かれるの?の話

変なタイトルになりました。

源義経という歴史上の人物がいます。
日本史上屈指の有名人であり名軍略家ではあるのですが、この人の話になるとよく話題に出るのが、
「源義経、実はブサイクだった」
というもの。

多くの現代創作などでは、たいてい義経は美形に描かれます。
大河ドラマでも、日本屈指の男前が演じるのが義経です。
しかしこの人、
「小説やドラマでは美形設定なのに、『実はブサイクだった』って話をやたら聞くぞ?」
というあるあるがついて回るのです。

なお、美醜の基準は時代によって違う…というのももっともなのですが、個人的には、その時代に美形とされていれば美形でいいと思っています。

<美形とされる理由>


創作上のことは、あえて触れるまでもないでしょう。
演劇しかり、主人公というのは美形が務めるものです。
少女漫画で「平凡な顔立ち」という設定の主人公が、作中で一番かわいく描かれるのと同じです。

そういうのとは別に歴史的に理由を求めると、この「美形説」が現れる分岐点の一つになったのは、室町時代成立とみられる『義経記(ぎけいき)』という本です。
作者不詳の軍記物語と言われますが、その名の通りほぼ義経の伝奇(伝説・創作てんこ盛り)です。
この作中の義経が、最高の美男子設定なのです。
私の知る限りは、明確に彼が美男子化したのはこの本から。

ただ、義経は平安末期に死亡しているので、130年以上を経たであろう室町時代の作者(複数名とみられる)は義経を見たことはありません
また、これはあくまで「物語」であり記録や史料ではありませんので、実際の義経がどうあれ、美形設定になるのは無理からぬことです。
歴史に理由を求めると言いながら、創作の都合の話になってしまいました…。

<ブサイクとされる理由>


さてこちら。
よく歴史ファンが口にしますし、「歴史の豆知識」的なコンビニ本などでも見たことがあります。
「本当は、義経はブサイクだった」
この「本当は」は何に由来するのでしょう?

実は、これも物語が由来です。
かの有名な『平家物語』において、源平ラストバトルの壇ノ浦の戦いの直前。
平家側の兵士が、決戦を前に、
「源義経は、反っ歯でちびだというから、戦場ではきっとすぐに分かるぞ」
という内容で、味方うちで囃して場を盛り上げます。

以上。

言うまでもなく、『平家物語』は史実をなぞっているとはいえ、その名の通り物語です。
お話です。
口伝の小説です。
つまりブサイク説は、物語の創作セリフで、しかも義経を見たこともない敵方の兵士が、決戦の前の景気づけのために口にしているのです。

なんでこれで「本当は」ブサイクと言えるのか、と訊かれれば、

私にも分かりません
「実はブサイク説」派の皆さん、なぜですか?
あなた方の「本当」ってなんですか??

なぜかこれをブサイク派の人に尋ねると、たいてい「まあ、本当のことはタイムマシンでもないと分からないよね」と言われます。
なぜかすぐ示し合わせたようにタイムマシンて言います。
さっきまで「本当は」って言ってたじゃん。

こほん。

なお、上記で上げたのは主な理由ではありますが、作品には異本・諸本の類が多くあり、この限りではないものもあります。
興味が湧いたら原典で確かめてみてください。

また、ここに書いたことへの誤り、特に史料的見地からの指摘がありましたら、御手数ですがコメントにてご指摘ください。

義経の顔面偏差値(ヤな言葉…)については、結論として言えば、
「リアルタイムで義経と会ったことがある人が、顔立ちの印象を書き残していないので、分かりません」
という身もふたもないものになります。
どうもすみません。

なので、どんなに有名な歴史小説家が詳細に描写していようと、美形とあれば創作ですし、ブサイクとあっても創作です。これはもう仕方ないでしょう。

まあ美形設定は「お話だから」という理由で分からないでもありませんが、わざわざブサイク設定にする理由はいまいちよく分かりません。

史実的にリアルでもなんでもないからね、それ

一応、外見のヒントになるものとしては、
・義経の母親の常盤御前はかなりの美人だったようだ
・でも「(義経は)お父さんほどかっよくないね」とか『平治物語』では書かれている
・静御前と短期間に急速に恋に落ちたようだ
・身体能力については秀でた記録がなく、むしろ非力さや小柄さを強調するエピソードが多い
(鞍馬天狗に剣習ったとか、牛若丸時代に弁慶を圧倒したとかはお話の中のこと)
などがありますが、できるのは推量まで。

あとは、後世の私たちの想像におまかせですね。

大河ドラマの、菅田将暉さんの義経が楽しみです(本論)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?