見出し画像

【応募作】切り裂きジャックの愛弟子①

 自分はこのまま、どこかで見知らぬ誰かを殺して、自分も死ぬのだろうと思っていた。
 そういう風に育てられた。『蠱毒』と呼ばれる子供たちの運命は、羽虫のように儚い。毒に慣らした子供の中から、生き延びて容姿が整っている者だけが売りに出される。
 死にかけたもの、毒で皮膚がただれて見目が悪くなった者は、容赦なく殺されてその肉を別の用途に使われた。
 殺されるか、死ぬかしかない。この場所に売られてきた子供には、それしか選択肢がない。
 そのはずだった。

「この子を買うよ、気に入った」

 そう言って自分を金で買い取った人がいた。
 ――僕を金で買った、ひとでなし。
 それが僕と『先生』の、運命の出会いだった。

 蠱毒とは本来、壺の中にたくさんの虫を入れて生き残った最後の虫で人を呪い殺す呪術である。
 だからか、『蠱毒』も虫の毒で作られる。
 赤子の頃から、虫の毒に少しずつ慣らされる。最初は毒繊毛を持つ芋虫や毒蛾と共に生活する。毒の蝶や蛾を食み、ハチ毒を食み、そうやって身体に少しずつ虫の毒を取り込んでいく。
 虫の好む毒草と、虫そのものを食べることで育った子供たちの多くは、毒に身体を壊されて死んでいく。
 だが、稀に適応症状を見せる子供がいる。
 ――彼らが『蠱毒』となる。
 体液や粘膜を通して、自分の身体の中に溜めこんだ毒で相手を殺す、人間兵器だ。元々はインドに伝わる毒娘の製造法を真似て作ったものらしいが、詳しくは知らなかった。
 育てる期間やコストに反して、使い捨てで寿命もそう長くはない。自分自身が毒のかたまりであるがために、毒の加減をすることも難しい。そういう意味では、決して優秀な暗殺者とは言えない。
 好事家の悪趣味な所有物として飼われるのが通常だ。
 毒の影響で、多くの子供が若くして髪が全て白髪になる。
 見た目が良ければ観賞用に、いざという時は暗殺道具にというわけだ。そこは男でも女でも関係ない。
 いくら見目が整っていても、一回の口づけで、性行為で命を奪われるかもしれないと知っていたら、破滅的な嗜好でもないかぎり抱くものはいないだろう。
 だから、彼もそうだと思っていた。
「この子が『蠱毒』か? 目は少し青みがかった黒だな。欧州の血が混ざってる?」
 ――その男の顔を見ても、何故かまったく印象に残らなかった。若いのか、それなりの歳なのか、顔や声で判別ができない。
 背の高さも高すぎず、低すぎず。声音もどこにでもいそう。フロックコートと帽子にステッキ、少しだけ色の淡いグレーのズボンと、それこそどこにでもいそうな紳士だ。
 印象に残らなかったことを、彼は「興味がないから」と解釈した。この男が自分を買おうが買うまいが、飼い殺しにされるか、誰かを殺すために送り込まれるかしか選択肢はないと考えたからだ。
「この子は夏蝶という」
「シア・ティエ……言いづらい名前だね」
「名前は君が後で好きにつけるといい。どうせこれも仮の名だ。英語でいうとサマー・バタフライだね」
「へえ、いつもそんな風に名前をつけてやるのかい?」
「いや。春先の蝶に比べて、夏の終わりの蝶はヨタヨタと飛ぶだろ。羽根が削れていくからだ」
「ああ、蝶の羽は再生しないんだったか」
「そう。要するに、死にぞこないって意味だよ。こいつはそれほど身体が強くなくてね。それでも生き残ったし、見た目は悪くないからせっかくだし売りにだそうかってことになったんだ。何せ、『蠱毒』は、もう作っているヤツもあまりいないから」
 売人の酷い説明にも、さして興味は惹かれなかった。
 死にぞこないも何も、死ぬために生かされているようなものなのだから、今更寿命が少しくらい伸び縮みしたところで自分にとっては些細なことだった。
 羽根が削れた、死にかけの毒蝶。
 冬を越すことはできずに、死に絶える個体。
 そういう風に名づけられた時点で、自分の運命にはなにひとつ期待していない。
 赤子の頃に自分を売り渡したのであろう親が、どこかでのたれ死んでいればいいが、それも知る術はない。恨みの感情すら命と価値と同じくらいうっすらとしている。
 顔の印象が薄い男は、満足したように頷いた。
「この子を買うよ。気に入った」
 気に入ったのなら、寿命まで飼い殺しだろうか。
 毒のせいでずっと熱を持った身体は、常に気だるく思考は鈍い。なるべく早く寿命が来て 欲しい。その方が楽だ。
 単なる見世物になるのなら、せめてその期間が短いほどいいと思った。
 だからその一言は、本当に不意打ちだった。
「俺が教育して、こいつを一人前の暗殺者にしてやろう」
 ふと。
 耳を疑って、顔をあげた。売人の男も、理解できない様子で、彼を見ていた。
 彼はどこまでも印象に残らない顔で、だけど笑っているのは理解できた。
「楽しみだな。弟子を取るのは初めてだ。よろしくたのむよ、シア・ティエ。……やっぱり呼びづらいな。シアと呼ぼう」
 そして、『シア』は彼に買われた。
 彼の名は知らない。本当の名前はわからない。
 それはどうでもいい。シアだって自分の本当の名前を知らない。
「俺はジャックだ。顔のない男、ジャック。しがない暗殺者さ」
 顔のない男――特徴が恐ろしいほどなく、誰の印象にも残らない。どこにでもいる顔。どこにでもいる男。
 見た目から声、名前に至るまで全てにおいて凡庸である。
 そのために彼の顔は、存在は、記憶にも残らない。だから「顔のない男(ジャック)」だ。
 ――そして、今に至る。

 小綺麗な服に着替えさせられたシアは、ジャックのアジトだという古びたアパルトマンに案内された。いまだに実感がわかないが、本当にこの男に買われてしまったらしい。
 アパルトマンは特別豪華でもなければ、質素というほどでもなかった。シアが育った『蠱毒』の飼育場とも違うし、金持ちの家とも違いそうだ。この部屋に住んでいるのが女性だと言われても、老人だと言われても信じる。そんな正体不明の凡庸さがある。
「二人暮らしになるとは思っていなかったから、ベッドはひとつだけなんだ。すまないが寝る時はそこのソファを使ってくれ。ブランケットは用意がある」
「はい……」
 シアは『蠱毒』だから、金持ちの家に買われてもいいように、一通りの教育は受けている。見せ物であれ暗殺であれ、用途を果たす前に疑われて殺されるのでは意味がないからだ。
「あの、弟子を取るって、僕を、ですか?」
 一番気になっていた事を、思い切って尋ねてみた。シアの寿命は恐らくそう長くはない。せっかく育ててもすぐに死ぬのでは、意味がないのではなかろうか。
「そうだよ。俺のことは先生と呼びなさい」
「せん、せい……その、僕は暗殺の道具であって、僕自身が暗殺者に向いているとは思いません」
「そりゃ、やってみなけりゃわからない」
「僕の血液や体液は猛毒です。先生にご迷惑がかかるかも」
 なおも言い募るシアに、ジャックは「そんなこと」と笑って見せた。
「俺はお前と同じく、赤子の頃から育てられた根っからの暗殺者だ。毒の耐性なんて、お前よりもずっとあるさ」
 驚くほど印象に残らない笑顔でそう言われた時、シアは彼が本気で自分を弟子にする気なのだと気が付いた。それまで、どこか気まぐれか冗談を言われているように思っていたのだ。
「とりあえず、お前自身が死なない程度に毒抜きする」
「え、毒抜き?」
「そうだよ。『蠱毒』は毒を抜きすぎると、禁断症状を起こしてしまう。だからこれからもお前の食べ物には毒を混ぜる。だけど少しずつ量は減らす。猛毒体質が少しマシにはなるだろう」
「それでは『蠱毒』じゃなくなってしまいませんか?」
 毒で相手を殺すのが『蠱毒』の用途なのに、毒が弱まってしまっては、暗殺に使えないのではないだろうか。
「暗殺の道具は間に合っているよ。別に『蠱毒』だからって暗殺に使われる必要はないだろう。俺はお前を気に入った。だから育てようと思った。それだけさ」
 それだけ、なのだろうか。シアは釈然としない気持ちになっていた。指示通りに暗殺すべき相手を殺す。そういう意味では確かに、『蠱毒』は元から暗殺者ともいえるが、ジャックの考える暗殺者像はどうやら違うようだ。
「それに、俺は今暇人でね。ここらで少しばかり、若手の育成をしてみるのもいいかと思ったんだ」
「暗殺者って、暇なんですか?」
「それは難しい質問だね。ただ、俺の場合は今が特別に暇なだけで、普段はそれなりに忙しくしているよ」
 暗殺者の言う「それなりの忙しさ」がどんなものか、シアには想像もつかない。
 それでも今はこの『先生』の言うことを聞くよりほかに、シアができることはない。それだけは確かなことだった。

 ジャックは英国王室の御用達の暗殺者である。
 シアの『先生』になったジャックの身の上を聞かされたのは、アパルトマンにやってきて一週間が過ぎた頃だった。
 王室御用達だなんて。シアは、きっとこの人お得意のジョークなのだろうと考えていた。しかし、どうやらそうでもないらしい。どうにもジャックは、常にシアの想像を斜め上に越えてくるところがある。
「王室が暗殺者をやとっていいんですか?」
「王室が、というけどね、シア。実際のところ国や王族こそ、暗殺者を雇いたいものなんだよ。上客だね」
 そう言ってのけるジャックに、シアは本当にこの人は大丈夫なのだろうか、と不安に思った。弟子になったとはいえ、金で買ってきた子供にホイホイ教えていい情報だとは思えなかったからだ。
「一年ほど前に起こった、切り裂きジャック事件を知っているかい? この街のホワイトチャペル・ロードで起きた、連続娼婦惨殺事件だ」
「知りません、僕は中国から売られてきたので……」
「ああ、そうだ。お前はチャイニーズだったね。欧州の血も入っているみたいだけど」
 ジャックはあっけらかんと言った。
「僕は、そういう情報は、与えられませんでした」
「だろうね。お前が『蠱毒』だってことを忘れそうになるんだ。俺には毒が効かないし、当面お前にそちらの仕事をさせることもないだろうから」
 自分で買って来ておいて、シアの唯一無二の価値である『蠱毒』のことを忘れるとは。
 本当に、この人はシアのことをその場の気まぐれで買ってきたのかもしれない。心なしか疑わしき眼差しを向けたことに気が付いたのか、彼はくつくつと含み笑いをする。
「それで、切り裂きジャックがなんですか?」
「その切り裂きジャックが、この俺だという話だよ」
 唖然とした。暗殺者が世間を騒がせる殺人鬼だと告白してきたわけだから、シアが再びジョークを疑い始めたのも無理はないと思う。
「暗殺者が目立ってどうするんですか」
「そこなんだ。あれはちょっとした王族関係者の尻拭いを兼ねていたから、特別に派手に見せたんだけどね、どうにも同業の不興を買っていたようだ。面倒なことになった」
 大げさに肩をすくめて、だけどやっぱりその顔を見ても、群衆の中に混ざりこんだ人間を見ているようによくわからない。ジャックを見ていると、常に彼の顔周辺だけ目の錯覚にとらわれているような、妙な気分になる。
「僕には、貴方がそう簡単に正体を晒されるようには思えませんが」
 顔の印象を残らなくする。『顔のない男』を名乗る以上、それはジャックが自分でそういう風に見えるようにしている、ということだろう。
 なら、多少派手に人を殺したところで『ジャック』という名前が独り歩きするほど有名になってしまうのは、奇妙である。暗殺者とは思えない失態だ。
「わざわざ秘密の暴露までつけて、勝手に我こそは切り裂きジャックだなんぞと俺の名前を振りまいたヤツがいてね。暗殺者が名前を売られるなんて前代未聞だ。どこにでもいるからこその『顔のない男』が『切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)』のせいで有名になりすぎた」
 ジャックという名前は、英国ではあまりにありふれた名前だった。あまりにもありふれているからという理由でその名前を使っていたのに、通り名が不本意な形で有名になりすぎた、ということらしい。
 シアはその事件を知らないが、彼が困るほどであるのだから、この国ではジャックといえば切り裂きジャックが連想される程度には、有名になってしまったのだろう。
 ゆえに、仕事をするにできなくなった彼は、隠遁しているというわけだった。
「カネに困っていたわけでもないし、しばらくは仕事をしなくても問題はないんだ。現に一年も休業している」
「それで僕を?」
「ああ。あまりにも暇だし、今回の件で信頼できる相棒をイチから育てておくのも悪くないと思った」
「……そう、ですか」
 そんな理由で、怪しい中国人から毒殺用の子供を買い付けるとは。なるほど、全く理屈がわからなかった。理屈はわからないけれど、ジャックは本気で、シアを弟子として育てるつもりらしい。死ぬ以外に用途のない子供を、だ。
「それ、味はする?」
 ジャックが、パン粥の皿のフチをこつこつと指で叩く。ジャックは日に二度、シアのためにせっせと食事をこしらえてくれる。それはありがたいのだが……。
「味はほとんどしない、です」
 シアには、どんなものを出されてもおいしいかどうかわからない。
「うーん、昨日のはちみつ入りのミルクは割とおいしそうにしていたけど」
「甘みは少し、わかります」
「なるほど。牛乳は紅茶にも使うし、多めに買っておこう。甘みがわかるなら菓子や果物も買ってこようか」
 ジャックは手帳にメモを書きつけている。それを何だか不思議な気持ちで眺めていた。弟子を育てるというよりは、普通に子育てをしているおじさんに見える。
 シアは『蠱毒』として育ったから、普通の食事はほとんどしたことがない。一応、食事の仕方やマナーは習っているけれど、毒を食べ続けたせいで味覚がほとんど麻痺していた。
 もちろん、ジャックもそれは予測していたはずで、むしろ普通の食事を与えられていることに驚いている。
「お前を完全に毒抜きしてしまうと、それはそれでお前の暗殺者としての手札を奪うことになる。でも、食事が美味しくないのはよくない。だから毒なしの食事もさせる」
「はぁ……」
「ただでさえ、この国は産業革命以降、食の質がどんどん下がっているんだ。食事に関してはチャイニーズを見習ってほしいくらいだよ」
 ジャックはこの国の食の貧しさについて、くどくどとシアに愚痴ってくる。シアは味がほとんどわからないので、何を食べても一緒だという感想しかない。
 ただ、毒物を食べないのは、慣れなくて少し怖い。
「お前の身体は毒に慣らされすぎていて、逆に毒を摂取しないといられないようになっている。阿片中毒の患者と同じだな」
 夏蝶の懸念はお見通しらしい。ジャックはその印象が薄い顔でニヤニヤと笑う。
「だが、ここは『蠱毒』の巣ではないから、お前の禁断症状が出ない程度にしか毒はやらないよ」
 彼はシアが残したパン粥を匙ですくうと、ほとんどむりやり口につっこんできた。もう熱くはないけれど、どろりとした感触だけが舌の上にあふれた。反射的に吐きそうになるのを、口を押えて飲みこまされる。
「食べないのはもっとダメだ。身体が作られない。毒のせいでずっと熱を出しているし、このままじゃ並みの子供よりも貧弱だ」
 確かに、毒に適応したといっても、影響を全く受けないでいられるほどではない。そういう意味で、シアはその名の通り「死にぞこない」であって『蠱毒』の仕上がりとしてはあまり質が良くない部類に入る。
 育てるコストと時間の割に一級品ができあがることは稀な『蠱毒』であるから、死に損ないでもそこそこの値段にはなっていた。しかし、もしシアが完全に毒に適応できていたら、売人もジャックには売らなかっただろう。恐らく、もっと良い買い手を探したはずだ。『蠱毒』の価値は希少さである。暗殺用としてよりも、観賞用としての需要の方が多い。
 シアには、自分の先生になるらしいこの男の考えが、さっぱりわからない。
 突然買われて、弟子にさせられて、何故か食育もされている。本当に、何も理屈がわからない。
「毒がもう少し抜けたら、味覚も少しは戻るかもしれない。そうすれば毒草や毒虫よりかは美味しく感じるだろうから、それは残さずたべること。いいね」
「……はい」
「シア、俺は少し買い出しに行ってくるから、食べたら少し横になりなさい」
「…………はい」
 優しく、頭を撫でられる。大きな手だ。痩せほそった自分とは比べ物にもならない。
 確かに、食事は必要かもしれない。部屋を出ていくジャックの背中を眺めながら、シアはパン粥をひとさじ口にふくんだ。やっぱり、何も味はしなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?