不安のぐるぐると冬コミのはなし

転職活動をしていると、うまいこと正社員になり損ねてフリーランスで細々食いつないでいたロスジェネの女は、人材価値が限りなくゼロに近いことがよくわかる。

そういう意味では、十数年目にしてやっと手にした正社員の道を自分でぶん投げた私は軽率だったと言える。

しかし菩薩のようだった上司ですら、嫌気がさして辞めてしまった職場である。

補充人員を1人も入れずに経験半年の新入社員にワンオペさせる気満々だったうえに、新規の仕事も盛る気満々で、こいつは泥船だと逃げる体制整えたら、今度はブラックな本音がどこどこ湧いて出てくる職場にいて、私に明るい未来があったかというと「マンションから飛び降りる前に辞めてよかったのでは?」という感想になってくる。

本当にどんどん色々でてきて、最初は「えー、就職したばっかじゃないですかー」みたいな反応だった周囲も「労基!労基!いっちゃえ労基!( ゚∀゚)o彡°」みたいな感じになってきた。

しかし、転職活動ははかどらず、辞める匂いを放った時点でいつ辞めるんだ決めろと迫られたので辞める時期も決まっており、やっと書類が通ったかと思えば裁量労働の良さを語りながら、一切残業手当については触れない会社とかそういうので、ほのかな危機感を察知する。

転職エージェントさんは、わかりやすい学歴や実績のある人以外にはあんまり役に立たないと思う。

ひとまずそれなりに稼いで生きていければ良いのだから、派遣でも何でもやって生きていくし、稼いで自分で何かを作る方が建設的だ。そういう気持ちになってきた。

転職で鬱になりすぎて、底辺でリバウンドしてやや上方修正された。

元々、転職前に札幌にいた頃から、私のメンタルはぐるぐるだったのである。今更、さらに混迷したところで、誤差である。

私は人付き合いのあまり上手い方ではないけれど、大体のことは「不安要素+キャパオーバーによるパニック」が原因だ。

私の不安は、原因が解決するまで基本的に解消されないことである。自分が不安で混乱しやすい性質であることは、私自身がよく理解している。簡単に解消される不安は、先回りして潰していくので、不安=自力で解消できる見込みの薄いことである。

なので、一回混乱しだすと長い。下手をすると数年ずっとぐるぐるする。何せ自力で解決できる見込みが薄い。親兄弟であるとか、友人知人であるとか、ネットで見た風潮であるとか、そういう自分以外の何かに突然不安スイッチを押されると、納得できる解決が見つかるまでずっとぐるぐる。

そういうことに対して、周囲が「ああしろ、こうしろ」と言われるとキャパシティオーバーして「何を言われているかもわからない」となる。

まさにこんな感じの状態である。不安でぐるぐるしているところに、お前のやり方・考え方が悪いのだと言われると、ぐるぐるに拍車がかかるのだ。

何故言うことがわからんのかと言われても、完全にオーバーヒートしているので何言われているのかわからんのだ。

ぐるぐるしている内に、気づかいを無碍にして怒られる。でも気づかいすらもキャパシティオーバーで受け取れない。それでも何とか受け取ろうとしたところで、蹴っ飛ばされたりもするのだから人生はうまくいかない。

結局、私は私がやりたいようにやってみないと自分の不安解消ができないのだと思うのだが、何せどんどん不安要素ばかりが積み重なるので始末に負えない。

私の三大不安の種は「余裕のある生活ができない(収入が少ない)こと」「やりたいことをする時間がないこと」「共感を得られないこと(自分が誰にも理解されないこと」だ。

3番目は、もう私の性格の問題なのでひとまずおいておくとして、前者の2つは、安定した職場に巡りあえば実現できたはずなのだが、おおむねこの2つが揃うことは今までの人生ではほぼなかった……。

節約すれば金は少なくても大丈夫、と人は言うが、多くの場合節約というのは「やりたいことをする時間」に含まれるのだ。

心と身体の余裕がない時、びっくりするほど節約ができない。

私が人生で最も節約がきちんとできていたのは、時間と金に余裕があった、単行本を刊行して印税が入って貯金があった時である。

あの時は月10万でも生活できた。余裕があったからだ。

金と時間に余裕がない時「いかにして少ない金で必要なものを買っておくか」「いかにして家事を金でショートカットするか」のどちらかしか考えられず、本当に金も時間も何もなくなるのだ。

頭がぐるぐるしている人間にまともな判断力などないのだが、札幌から東京に飛び出した時、私は「このままだといつか電車のホームに飛び降りる」と思って、急に転職活動をした。

今回も「このままだと私は多分マンションのベランダから飛び降りる」と思って転職することにした。

頭がぐるぐる状態でも不思議と、私のこうした危機感は何故か当たって、結構ヤバい時に直前で離脱する野生の勘だけはすさまじくあるのだった。おかげで今まで生き延びている。頭ぐるぐるでも何故か「ここにいたらまずい」だけは察知する。

そんなわけで、まだ転職先は決まっていません。

転職先が決まらなくても、もう派遣でもなんでもいいかな、生きられれば、そしてやりたいことできる時間を作れるなら、という気持ち。

やりたい仕事は探さずに、できるだけ効率よく生きれる術を探して、自分だけで完結するやりたいことを目指そう。安定した生活が向いていない。スピリチュアルヤクザだから。

私の不安の種の3番目「共感を得られないこと(自分が誰にも理解されないこと」については、主に実家絡みの色々ごたごたがあるのだけど、もう私自身が感情のやり場がないことにも疲れてしまって、理解されるのを諦めたほうが多分理解を得られるのだろうなぁ、とぼんやり思っている。

そういえばスピリチュアルヤクザの日記の時に、占いで私の人生の課題が「理解者を得ること」であることのように言われているわけなのですが、つまり「お前を理解する奴はそれだけ少ない」ってことですよね、そういうことですよね……ってなったら「そんな人生レベルの難題になるくらい理解されない性格している私がヤバい」という判断に至ったのであった。

占いは所詮占いであるが、あらゆる占い師に「理解者がいれば大器晩成ワンチャンあるかも」言われる私は何の星の元に生まれているんだ?

そんなわけで、もう生活は安定しない、時間もない(あってもメンタル回復リソースで消化される)、周囲の理解や共感すら得られない、こんなんじゃ何もできない、自分の推しカプへの萌えすらかすんできた……と同人引退しようと考えていたら

「東京在住で休日が繁忙期の仕事じゃなくなったので、これからはコミケでられますね」

「え、貴方から同人(創作活動)とったら何が残るんです?」

とそれぞれ別の知り合いから真顔で言われました。


なので冬コミに申し込みました。


受かるといいね!!!!!!!!!!!!!!!!


※二次創作で申し込んでいますので、ここで告知するかどうかはわかりません。受かったら創作の本も持っていきます。



ここから先は余談なのですが、引っ越す時に札幌で創作文芸をやっていた初期のころから、残っているコピー本はほとんど処分しつつもそれぞれ1冊だけ残してきたんですね。

冬コミにはとにかく持っている既刊は全部持って行った方がいいですよ、と言われたので札幌から在庫を持ちこしている既刊のリストを作るために見本誌をひっくり返していたら……

17年前の創作コピー本に被弾した。

つらい!!!痛い!!!(年齢的にも内容的にも)


一言でいうと「友人関係の悩み」をテーマにした本なのですが、17年前から今と同じような「共感できなさ(されなさ)」に悩んでいたっぽくて、人はそんなに簡単にできた大人にはなれないのだということを痛感した……。心をえぐるプレイ。

しかし、この本は多分私が書いた中で一番反響のあった本でもありました。

共感できない、共感されない。

その感情をつたないながらも小説という形にして、たくさん感想をもらった本でした。

本当に恥ずかしいし痛いししんどいんですけど、これに反響があったということは、実は「理解されない」という悩みは私が思っているよりも皆が抱えているのだろう。

この本を作った後「すごくよくわかる」といってめちゃくちゃに泣いてくれたはずの友人に、めちゃくちゃクソミソにけなされた思い出も蘇ったので(まぁ、これはお互い若気のなんとかです……)共感と理解はイコールではない。

実は、この本、私の唯一の商業著作のベースになった本でもあります。

商業に乗せるにあたって、色々毒抜きして大衆向きにした結果、個性も全部抜けて地味な作品になって売れなかったとも言いますが!

少なくとも、題材を選ぶ時にこれが一番良いよ言われたということは、この話が一番私らしかったのだろうなぁ。

というわけで、自分の傷えぐり選手権として、この私の17年前の黒歴史を今の自分の文章でリライトしてみることにしました。

さすがに今の時勢に合わない表現とかテーマもあるので、設定変更やエピソード追加などは行う予定です。

頒布したのが何せ17年前ですし、結構長い間頒布はしていたものの、頒布場所のほとんどが札幌の個人主催イベントだったために、元ネタとなった本を持っている方は個人的知り合いくらいのものだと思いますが、元の小説を知ってても生温い目で見守ってください。特に私の前に現物を持ってくるのはおやめください。できれば小説の内容そのものよりもイタいトークページを焚書して。

絶対だぞ!!!!!

黒歴史は、自分が一番エッジが利いていた頃。

そういう解釈で生きていくことにします。


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