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胆嚢をとった話③術後編(当日)

手術当日

▽9AM to 11AM

午前9時に行われた手術は、無事成功したようであった。
手術直後は、妙にテンションが高く、術前以上にのべつまくなし喋っていたように思うが、内容の記憶はほとんどない。
唯一記憶していることと言えば、どこかで遭遇した夫に、洗濯物を持って帰ってほしい、と頼んだことくらいか。
もっと話すこと他にあっただろうに。
午前11時ごろ、部屋に戻った時には、安堵感と高揚感で気持ちはすこぶる晴れやかであった。

術後も今のところ全く痛くない。仔細に痛みを分析すると、お腹周りがズーンとする、くらいだっただろうか。
医師によると、麻酔科医が処置した部分にブロック注射を打っているとのこと。大変ありがたい。
入院中、全く痛くない人もいるようで、麻酔の効果に期待が高まる。

また、部屋の中でも術後の処置があった。
 血栓予防に術前から履いていた着圧ストッキングの上に、膝下まであるブーツのようなものが装着され、一定のリズムでポンプ運動している。
 鼻には酸素の管。胸に装着された心電図のシール。導尿の管は、手術台で取り付けられていた模様。
 術後身体が冷えるのを防止するための、布団乾燥機のような装置もつけられ、掛け布団の中でほかほかして気持ちが良い。

賑やかな音を奏でるそれぞれの医療器具。それらに武装された姿を俯瞰で想像すると笑いが込み上げた。
そして、うとうととまた眠った。

▽3PM to 6PM

ところが、そうは問屋が卸さない、といったところか。
15時ごろお腹が痛み出す。手術は午前9時開始であったので、6時間後に麻酔が切れたと言うことになる。嗚呼、効き目のはっきりしたことよ。
激しい生理痛から陣痛、といった具合なので我慢できなくもないが、我慢を強いる必要もない。
医師の許可も降りていたので、すぐさま追加の鎮痛剤が点滴で処方される。

その時に、鼻の酸素のチューブも取り外されたが、SPO2は93〜94。看護師と話している間は96〜97程度だったわけだが、なんだか息が入ってこず、浅く”薄い”。
今思えば、全身麻酔の影響だと思うが、覚醒していたと思っていても、小さないびきと共に目が覚める、という妙な症状を何度も繰り返していた。一瞬窒息していた感じもあり、生きているのか死んでいるのか、また、その狭間を行き来しているようで、大変奇妙で気持ちが悪い感覚であった。

その後も痛みは変わらず、17時ごろになれば、激しく痛み出した。これは本陣痛に近い。腹が爆発しそうだ。インターバルなしに、痛みが絶え間なく続く本陣痛(子宮口9センチ)、といったところか。まさに拷問級である。
しかし、次の鎮痛剤を処置してもらうまでに、最低でも4時間間を空けねばならぬため、18時まで、ただ歯を食いしばって耐える。息が浅い。深く吸えない、吐けない。酩酊感の中、また気を失い、「ふごっ」と豚っパナを鳴らし覚醒する、と言う情けなく生死を往来する擬似体験を繰り返していた。(それでもってバイタル的には全く異常はない)

▽6PM to 10PM

お待ちかねの解熱鎮痛剤タイム。
点滴を見上げるとニコちゃんマークがついており、担当看護師に、「可愛くしてくれてありがとうございます」と謝辞を述べると、これは元からついているもの、と言うこと。
なるほど、使用していた解熱鎮痛剤はアセトアミノフェン。
これは、赤ちゃんでも使える、体に優しいものであるため、乳幼児のためにこういったパッケージが使用されていたわけだ。

そして私は気づくのであった。
私には小児喘息の既往があり、喘息自体も、風邪をこじらせた後や、ハウスダスト系のアレルギー症状があった際、また、気候が悪くなった際に出る程度で、しばらく吸入などの喘息薬のお世話にはなっていなかった。
本来であれば、術後の解熱鎮痛剤はロキソプロフェン、またはイブプロフェンが第一選択薬であったようだが、喘息の既往があること、また、ロキソニンを飲んだ後は胃痛があることで、 ”アセトアミノフェン(カロナール)へ変更” となっていた。

そして私は激しく失望した。
もし、アセトアミノフェンでなければ、こんなに苦しくなかったのでは?
確かに、昔胆嚢を摘出した友人に手術のことを聞いたところ、「手術も入院も快適だった」と回答していたこともあり、私は痛みに対してかなり甘く見積もっていたのだ。

看護師に尋ねると、「人それぞれ」と曖昧な回答しか返ってこなかったものの、解熱鎮痛剤のそれぞれの効果を調べるに、私の推測は正しいのであろう。
もちろん、アセトアミノフェンの使用が正解であった。仮に喘息発作など起こせば、咳の反動で痛みはそれどころではなかったはずである。

しかし、その当時の私の落胆と後悔は激しく、処置後20分ほどで効くはずの解熱鎮痛剤も殆ど効果を為さず、気が遠のき、また覚醒するを繰り返しながら、ただただ次の鎮痛剤の時間を待つのであった。

▽10PM to the next morning

足が痛い、お腹が痛い、肩が痛い、首が痛い・・・
いろんな痛みを抱えながら、Kindleに入れたハリーポッターを読み始める。
Kindleは片手操作しやすいOasisを使用しているため、手を伸ばせるところに置いておいて、痛みを紛らわせるために読むのに最適であった。
また、水を飲む許可が出ていたのだが、そこでは、ブリタのフィルアンドゴーアクティブが大変役に立った。
元々入院中に水の買い出しは不便であるし経済的でもないと思っていたので、数年前入院した際に使用し大活躍したブリタを持参した。
水道水を入れたらそのまま飲める利点があるのは承知していたが、寝たまま飲めたのがかなり良かった。
アクティブは柔らかいボトルなので、スクイーズ加減で水量を調整できる。
普段は付属のコップに注いで飲んでいたので、直接口に注げ、液漏れもしないことに感動を覚えた。
点滴をしているため、水分補給はさほど重要ではないものの、口の中の渇きや気持ち悪さを払うのに、ごく少量水を口に含ませることが出来、大変重宝した。

本を読んだり、水を口に含ませたりして、気分転換を行うも虚しく、身体中が悲鳴をあげているので、フライングして15分前の21時45分にナースコールを押した。
その時1番痛いと感じていたのは、もちろんお腹であるが同様に足であった。
ポンプを外せないか相談したところ、足の鬱血が酷かったようで、すぐ外してもらえた。なんだ、早く相談すれば良かった。2時間前にはすでに耐え難く思っていた部分であった。
さらに、尿の管から排尿されるべき尿が降りてないことが発覚し、管を振ると排泄されるようであるが、その振動で尿道が痛む。
そんなマイナートラブルに加えて、尿が出た刺激で今度は腹部が痛む。

———嗚呼神様、これは我に与えたもうた試練であろうか。

足が解放されたのは良かったが、すでに次の鎮痛剤が待ち遠しい。
次回の解熱鎮痛剤は翌午前2時と6時。
意識は、あいも変わらず遠のいたり醒めたりを繰り返している。
病棟内で老爺の断末魔の叫び声が絶え間なく響いている。ディメンターが魂を捕食しているかの如く、辛さ、苦しみ、そして寂しさが伝わる。
痛みは増すばかりであるが、果たしてこれを乗り越えられるのであろうか。

試練は続く。


【続く】



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