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胆嚢をとった話④術後編(1〜2日目)

▽術後1日目

午前2時時点で、導尿を取り払ってもらう。
理由は、管は繋がっているが、振らないと排出されないというポンコツぶりで、また、勢いよく排泄されると、お腹全体が酷く傷んだからである。

これで下半身を拘束するもの全てが取り払われた。
血栓のリスクも把握していたので、足を折り曲げたり横に曲げたり、指の屈伸をしてみたりする。
こういう感じで十分であろう。

だが、問題は一つ。
仮に、尿意を催した場合、夜中に関わらず、”歩いて”トイレまで行かなければならないということだ。
その場合、看護師2名が引率してくれるとのことだが、夜勤中にはた迷惑な患者である。

そして、2時時点で4回目の解熱鎮痛剤を入れてもらい、どうにか寝て朝を過ごせるよう願った。
(結局、前回記述したように、「豚っ鼻覚醒」を繰り返すのであった)


午前6時、再び解熱鎮痛剤を点滴してもらう。
点滴での処方は、これが最後ということで、お昼から飲み薬に変わるとのこと。———アセトアミノフェン錠剤300mgを1回3錠、朝昼夕食後。
まだ水をごくごく飲んでみてなかったので、一抹の不安はあったものの、その効果を含め全くの杞憂であった。

午前9時ごろ、尿意はなかったものの、一度立ち上がってみようと思い立ち、看護師を呼び歩行訓練に入ってみた。
電動ベッドが初めて動かされる。45度ジャッキアップ。
心電図を取り外してもらい、足を下ろして、支えられながら立ち上がった。

そして次の瞬間、激しい衝撃が身体を走り抜けた。
まさに青天の霹靂、いや霹靂一閃を喰らった。
まるで岩石が頭上に落ちてきた、とも言えるだろうか。

痛い、肩と首が激しく痛い。
なるほど、術後の痛みのピークはきっとここであった。
私の体は、まだ重力に耐えきれない。

この痛みは、放散痛(もしくは関連痛)と呼ばれるものだ。
昔、卵巣血腫を患った時に体験したことがあったので、すぐに理解した。
炎症や激しい痛みがあった場合、脳が誤作動を起こし、痛みを分散するため、関係ない場所が痛む、これが放散痛なのだが、腹膜炎の場合、肩に痛みが出るということを知っていたので、瞬時に納得はしたが、お腹どころではない痛みが走り、「嗚呼、まさに痛みが放散した・・・」と独りごちた。

まさに交通事故レベルである。

目的のトイレは、部屋にトイレがあったため、点滴に繋がれながらも、意外とスムーズに行われた。個室様様である。
ついでに、看護師に見守られながら歯磨きを行い、髪をブラシで整えたが、その間身体中が悲鳴をあげている。背筋を伸ばす、直立したままで過ごすことは、まだ無理難題に等しく、トイレ以上の苦行になってしまった。

うめき声を上げ、のたうちまわるほどの激しい痛みではあったが、実際は、腹筋に力を入れると更に痛みが増すため、静かに、そして這いずるようにベッドへ滑り込み、痛みから逃避するために、日がな一日ハリーポッターを読むのであった。

その後、お昼に抗生剤が終わると点滴が取り外され、体全体が自由になった。
これで私を物理的に縛るものは、もはや何も、ない。

術後1日目は、午前中にレントゲンを取りに行ったり、(———移動や仰臥位が辛かったことは言うまでもない)排尿時は、尿量計測のために取り付け型の計量カップを引かないといけなかったり、排尿後看護師を呼んで、膀胱の残尿を調べる膀胱専用のエコー(!)を毎回する必要があったりした。

その日一日、全く尿意はなかったが、1日に5回ほどは尿はするだろうと考え、意識してトイレに行って排泄をした。
一回350ミリリットルほどきちんと出た。
トイレに行くという作業は、良い歩行訓練になった。

食事も昼から出てきた。
全粥、七部粥、五分粥の後に通常の白米になる予定で、おかずもしっかり出てきた。痛む身体を起こし、ご飯を食べれる有り難さを噛み締めながらいただいていたが、お腹がそんなに空いていない上に、麻酔の影響なのか、気分が悪かった。
夕方になると、これは悪阻のようだ、と思うほど気分がすぐれなかったため、申し訳なさを感じながらも食事をあらかた残すことになった。
手術前から気にしていた便については、まだ出ていない。
こんなお腹の状態で、排便なんて夢のまた夢である。

(ちなみに「ぶたっぱな覚醒」は以降2度と起きなかった!)

▽術後2日目

とにかく気分が悪い。
前日、電動ベッド(パラマウント)のボタン操作が上手くいかず、1番上の「連動」を押したのが全ての間違いであった。
あのボタンは、何をどうさせる為のものであるのか、未だによく分からないが、頭の他、足元もクネクネと動き、すっかり酔ってしまった。
イラストを見る限り、起き上がる為のものと思い操作をしてみたのだが、頭と同時に足を起こす、まさに波状グラフのような動きをしたのだ。
これは、患者を運動させるものではなかったのか?と思うくらい、予期しない動作にすっかり打ちのめされてしまった。

要は、身体を起こしたかっただけなので二段目の「頭」ボタンの「↑」を押すだけで良かったのだ。
起立するたびに、何度も挑戦するが結局うまく操ることが出来ず、たまらず看護師に確認したのが術後1日目の夕方であったため、そこからずっとグロッキー状態なのだ。実に馬鹿馬鹿しい。もっと早くに聞けば良かった。

まだまだ痛みがあるが、術後当日、1日目と比べると腹部の痛みはずいぶん落ち着いている。
歩行も腰の曲がった老婆のようではあるが、テンポよく歩行でき、痛みは伴うが、洗顔、歯磨き等も割とスムーズに行えるようになった。

ただ一度、うっかり咳をした時、そして、読んでいた文庫本『ザリガニの鳴くところ』のスリーブが滑り、その重量感ある本体が腹部に落下した時、えも言われぬ激痛が走ったが、そうした生理的、物理的な要因がない限り、慢性的にヘソ周りが痛い、といった程度まで落ち着いていた。(くしゃみは上手く逃し、入院中一度もしなかった!)

医師の回診時に、本を落としたので、臍部が心配である事を伝えたら、何故か爆笑を得たので、こちらもつられ笑いしたら、腹が酷く痛んだ。
傷口は医師曰く、”Very good!" (c.v.ダービー兄弟かよ)らしいので、退院を早めて良いと診断に至った。術後は動いた方がいいと言われつつも、病室にいても運動にもならないので、4日目に退院することになった。


件の電動ベッド連動ボタンのせいか、解熱鎮痛剤多量摂取のせいか、はたまた排便していないせいか。
お腹も張るし、悪阻のような症状で、1日気分が優れなかった。明後日には、退院するがこのような状態で、帰れるのだろうか。
そんな事を心配をしながら、この日も読書に明け暮れて1日が終わった。


【続く】




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