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好きについて

「ポエム」と称されることが嘲笑と感じるようになったのはいつからだったか。
頭のいい人が夜中に書く文章、死にかけの人が文脈を失ってゆく様、とても好きだ。

以下は「好き」についてのポエムです。

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とても好きなのにまともに話せたことがない同期の文章に触発されてこれを書いている、大学に入ってからこういう感じの「好き」が増えた。

これまで「好き」になるのは、あくまで一緒にいて楽しくてお話ができる人だったような気がするのだけれど、最近は見ているだけ。

私なんていう人間と話してほしくないんですよ、あなたには。
それでもあなたの孤独を無責任に癒したくて、ハートマーク、「スキ」、あくまで「Like」、「Love」の責任なんて取れないから。

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「Love」に対する嫌悪感と憧れがすごい。

この世で生きているのは私だけ、という感覚が拭いきれずいつまでたっても他の人間と道の石ころの区別がついていないような気がする、肉を引きずっているのは私だけで、それ以外は綺麗な光の粒だと思っています、うらやましい。

そんな私には「Like」と「Love」の区別をつける資格がない。

以上は意味の無い思考、「すき」と言われて「すき」と返すだけで人は生きていけるから。日本語の「すき」に「Like」も「Love」も含められてよかった。

そもそも意味のある思考なんてありましたっけ。

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「愛がなんだ」を観た。

愛についてのとてもわかりやすい絵本だと私は思った。
これを「狂った愛」だとレビューする人が存在するこの世が1番狂っている、とか言っちゃう私はまだ少女。

絵本を書く人の何が恐ろしいかって、「書かないこと」への思考の方が重たいこと。うふふと笑いながら玩具のような物語を書いて可愛らしい絵を描いて、自分の本棚には論文みたいな愛の解釈を隠し持っている。そんな大人になりたいと思いつつ心の底から妬んでもいる。私はまだ少女だから「私が死んだら遺灰をコーヒーに溶かして飲んでね」とか真面目に言ってやるんだ。だっせー。

観終わったあとに金麦と筑前煮を買うなんて滑稽な遊びをしたことが本当に楽しかった、楽しすぎて死にかけて文脈を失った、あれはポエムだった。お願いだから嘲笑ってくれ。

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文章が好きとか写真が好きとか絵が好きとか、挙句の果てにはセンスが好きとか、言われる度に嬉しすぎて吐きそうになって実際吐く(私にとって作品は嘔吐)

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てな感じで今年も脚本を書いたので好きになってね

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