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重ねた偶然、重ねた言葉。

5月18日は「ことばの日」

コピーライターが主催する企画・アイデアを学ぶ講座の記念すべき初回がたまたま5月18日だったそうで、その中の課題への解として「みんなで記念日を作りましょう」という案がでてきたそうだ。日本記念日協会にもしっかり登録されている。

さて、せっかく始めたnote。これまでの道のりをどう振り返ろうと思いながらきょうこの日にたどり着いた。言葉の日。気づけばそんな言葉を扱う仕事できょうを生きている。幸せなことだ。

どういったら伝わる?どの順番で話すとわかりやすい?どんな言葉なら人々に届く?結果は満足に出せていないし、大きな顔で語れるような成功もない。でも、就職試験を経てたどり着いて、言葉について、伝えるということについて、仕事として携わっている。幸せなことだ。

思えば、言葉とともにやってきた。

小学生時代、朗読が好きだった。これが読書は好きでないのに読みたがった。実のところ、授業の中で褒められるのが好きだったのかもしれない。

中学校時代、あいさつの大事さを訴えたスピーチで当選した生徒会長。毎月発行する生徒会通信で「今月のコトバ」というコーナーを連載していた。大体、生徒会の活動はあいさつ運動と、ペットボトルのキャップとベルマークの収集が中心だ。その活動報告を裏面に回して、一面に中2がコラム書くって許される所業じゃないな。

高校時代、は、あんまりないかもしれない笑。野球部では部員で回す交換ノートを書き、文化祭では運動部だけの劇団で団長を務め、大勢の前に立った。なんとなく、将来の夢を意識し始めたのもこのころだと思う。

大学時代は各期にレポートを書くだけでなくて、ゼミに毎週エッセイを書いて持って行った。教育課程で模擬授業に教育実習を行い、マスコミの試験対策の講義では1時間で800文字を書ききる訓練を何度も繰り返す。サークル活動でマイクを持って大勢の前で話し、学園祭の司会から草野球の審判員まで、大声を張り上げていた。

思えば、読む・書く・話すという経験を知らず知らずに多く積んできたようにも思えるし、いまの立場から立ち戻って考えて近い出来事を抽出しているようにも思える。それでも読んで、書いて、話して、ここに来た。言葉の日に、ちょっとだけ胸を張ろうと思う。

「偶然を必然に変える企画は強い」

冒頭の「ことばの日」を作った有志の一人、阿部広太郎さんが著書の中で書かれていた。その必然を確かめるために、心に残る思い出を探して、ことばにしていこうと思う。あのみんなに読んでもらうためにうきうきしながら拵えていたゼミのエッセイのように。

ひとこと、免罪符。
ただいま丑の刻もとっくに過ぎて午前3時。
おやすみなさい。


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