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久しぶりの親子水入らず

先週になりますが、母と妹と三人でお出かけしてきました。

十年ぶりくらいに妹に会いましたが、なんと、母にそっくりになってきて一瞬「え?お母さん、若返った?え?」ってなる私。
そのくらい特徴が母になっていました。
母はちょくちょく会うので変わりなく。ちょっと背中が丸くなってきたかなぁという感じ。
で、妹も「あれ?お姉ちゃん?え?え?」となっていたらしい。
亡くなった叔母に似てきたのでなんか別人みたいだと。
父方の叔母に似てきたのは自分でもそう思っていましたが、その叔母は美人でしたのでなんか申し訳ないような。
ということで、親子なのに一人は顔の系統が違うという面白い三人でお出かけです。

まず、車で迎えに来ることになっていたので支度をしていましたが、なかなか「出発します」のメールが来ないなーと思っていたら、なんと母がお寝坊して少し出遅れたようです。
妹が「待たせたら悪いよって言うたらなんて返ってきたと思う?」
母・私「10分や15分くらい待たせとけ」
妹「あんたら怖いわ」
というお婆さん三人で笑い転げながらお寺まで。

お寺もちょくちょく手入れされていて、今にも崩れそうに見えてた屋根も修理されててきれいになっていました。
お寺に着くとご住職とは別にいろいろお世話してくださる方があって、その方が新しく建てた納骨堂へ連れて行ってくれました。
とても立派な納骨堂で、新しい石なのでぴかぴかでした。
亡父はそうでなくてもちゃんと落ち着いているようですが、改めて立派なところに納めてもらって良かったと思います。

納骨堂へ行く前に「今日はちょうど護摩焚きますから、良かったらどうですか」とお誘いを受けてたので、お昼ごはんを頂いてからまたお寺へ。
講の方が数名いらっしゃって、護摩木の書き方を説明されていたのでそれに倣って護摩木を書かせてもらいました。
母・妹「なにをどうすればいいの?」
私「これこれ、こうこう」
妹「お姉ちゃん、よう知ってるなぁ」
私「さっき説明してはったのを聞いてたのよ。それまでいまいち判ってなかった」

実は妹が寅年なのでお不動さんのお護摩を一回は体験しておいたらいいなぁと思っていたのです。
お出かけの日程を決めるときに母がうにゃうにゃ言って一日ずらしたのが幸いしてご縁日にお参りできました。
ちょうどその時間に銘板の話をしに石屋さんがこられるということで、母はそちらに。(お護摩の後半にはお堂にきました)
お世話してくださる方が「お護摩は途中からでもええですよ」と仰ったけれど、初めからそこに居ることのほうが大切だと思ったので妹と二人でお堂に。(話がどうなるかはもう判り過ぎるくらいに判っていたのでお守りしてもらうことにしました)

お護摩が始まって般若心経が始まると、一緒になって唱えていました。
黙って見ていても良かったのですが、声が出るのです。ちゃんと覚えていないのに、皆さんについていけることにびっくり。
そのあとはお不動さんの真言ですが、こちらも声は出るけれど本当に覚えていない(これから覚えようとしていたけれど、まさかここでお護摩に参加できるとは思いもよらず)のに、耳コピでついていきました。
始めのうちは息が切れていたのに、真言になった頃には呼吸と発声がうまいこといくようになって息が楽になっていました。
日頃は般若心経も真言も声に出してないので慣れていないのに、なんでか声が出る。出てしまう。慣れてないから呼吸が……。という、ちょっとズレたところであわあわしながら、皆さんについて行けばなんとかなるものですねぇ。
大変ありがたい経験をさせていただきました。

お護摩が終わってから再度納骨堂へ。
親子三人で写真を撮って、亡父に手を合わせて返ってきました。

あ、そうそう、お寺に着いてすぐにお堂にお参りさせていただいたときに
私(あー、ここは変わらず立派やなぁ)
妹(あー、こちらがお不動さんなんやー。迫力あるなぁ)
とそれぞれ思ってことがお昼ごはんのときに判明してまた笑い転げることに。(お店なので控えめにしていましたとも)
なんと妹は仏像を「仏像」と認識していて、それぞれ違うけれどどれがどなたかは判っていなかったらしいんです。(私も詳しくはないですが、お不動さんはわりと判りやすいお姿かと)
娘とお遍路に行くようになって、少し判ってきたそうで。妹らしくていいなぁ。

帰りは私の家の近くまで帰ってから晩ごはんをいただいて、家まで送っていただきました。
移動が長かったのですが、とても楽しい一日でした。




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