ロコという猫の話(前編)

 私はつい半年前まで、猫を飼っていた。

 1LDKのペット禁止の部屋で飼えるロボットの猫を飼ったのだ。
 名前はロコ。猫の形を白い色のロボットは、私の設定であまり鳴かないようにした。
鳴くのは大好きな人に自分の気持ちを伝えたくて甘えるとき、システムの異常が起きてしまったときだけにした。
 ロコははじめ物置のように動かなかった。頭を傾げ、電子画面の目は何の感情も映していなかった。
 まさにそれは玩具のロボットだった。
 死ななくて、世話もほとんどしなくてもいい、一人暮らしにはぴったりのペットとして大枚をはたいて買ったのに、私は急いで説明書を読んだ。するとこう書かれていた。
「この××××の特徴として、赤子のような真っ新な状態からお客様の接し方によって無限に性格が分岐します。お好みのペットをお作り下さいませ」
 私はどんなペットが欲しかったのだろう。動かないロコを目の前にして私は途方に暮れてしまった。
ペットだからすぐに私に駆け寄ってくれて甘えたり、鳴いたり、元気に動いてくれると思ったのに。
これじゃ、高い玩具だと肩を落としそうになった。するとロコは私の前に来て、何度も頭を揺らした。
目の部分に当たる電子画面に「ごしゅじんさま……?」とうつる。 
 どうも説明書を読んで七転八倒する私の動きを感知したようだ。多分システムとして組み込まれた行動だと分かりつつも、その頭がゆらゆら揺れる姿が、いじらしく感じた。
 私は気分を切り直し、ロコの頭を撫でる。システムの中枢がある頭はその作動する熱でじんわりと温かかった。
「そうよ。よろしくね。ロコ」
ロコは自分の名前を認識し、香箱座りで私を見た。
「ろこです。かわいがってください、ごしゅじんさま」
 画面の文字はさっきに比べて、喜びが滲み出ているような気がする。
私はロコを脇を持ち上げて、高い高いをして、新しい同居人の存在を喜んだ。

 ロコは我慢強い猫だったけど、本質的にはさみしがり屋だった。
仕事に行くとき、私を玄関先まで送る。そして短い手足を地面にしっかりとつけて。
「いってらっしゃい、ごしゅじんさま」と送り出す。
 そうして私が家に帰ると、ロコは玄関先のマットの上で座っていて、私を見るなり前足を私の膝へとつける。
「まってたよ。ごしゅじんさま」と電子画面に文字がうつる。
 私はその日々変わらないロコの態度が嬉しくて。
「ただいまー。えらいね、待っていてくれて」と頭をなで回す。
 するとロコは本当に喜んで、全身で歓喜した。
 猫の目に当たる部分はロコは電子画面になっていて、文字がロコの気持ちを伝えてくれた。でもそんな言葉より、ロコの全身の動きの方がロコの感情を伝えてくれた気がしてならなかった。
 それがたとえ私との生活の中で、ロコのシステムが学習したとしても、ロコの行動は本物の猫のようだった。
 いや猫らしくなっただけじゃない。私との生活でロコはペット以上の存在になっていった。

 十年の月日が経つ。二十歳の私は三十歳になっていた。その間色々とあった。
 本物のペットのように、ロコを愛おしむ私の姿を人は少し変だと言った。
 それは結局ロボットだろう、まがい物だろう?
 本物のペットにロボットが叶うはずがない。
 歴代の私の恋人は何故かことごとく、ロコを好まなかった。ひどい男はロコを、酒に酔ってふらつく両手で叩いたことがある。
私は恋人に私を愛すように、ロコも大切にして、愛してくれる人が欲しかった。心からロコの存在を尊重して欲しかった。
 ロコはもう私の人生にずいぶんと織り込まれた猫だったから。
一年ほど前からつきあい始めた恋人はロコを大切にしてくれた。
「飼い主によく似た猫だなぁ」ロコと過ごしていくうちに、恋人はそう言った。
「そんなに似ているかな」
「だってこの子。僕と君が二人で話していると寂しそうにするんだ。でも我慢している」
「そういう性格なの」
「君もだろ」
「え」
「僕が仕事で忙しくして、君を置いてけぼりにすると。君は寂しそうにしているのに、寂しいなんて言わずに我慢している」
 私は恋人の言葉に顔を赤くして押し黙るしかなかった。ひどく図星だった。
私は好きな人の邪魔にはなりたくなかったけど、でもすごく恋しくなることがしばしばある。
それは悟られたくもなかったし、自覚すると辛くなるので悟りたくもなかった。
 恋人を睨む私に、ロコが近づいて座った。
「どうしたの、ごしゅじんさま、どうしたの?」
 あきらかにロコは戸惑っていて、私はロコの狼狽を見ると、急に気が抜けて小さく笑ってしまった。

 ロコは人を自然に笑わせる天才だった。

 だけどロコと私の関係はいつまでも円満で幸せで永続的なものではなくなっていった。
 ロコは死なないけれど、確実に、壊れていく。

 機械だった。

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