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「いや、そうじゃなくて」

こんにちは。
増田拓己です。

今回は軽い話を。
サクッと読んでいただけたらと。


みなさんは「16 Personalities」という性格診断をやったことがあるでしょうか。
質問の回答によって16個のパーソナリティに分類するといったもの。
サイトでは「主人公型」や「提唱者型」、「巨匠型」などそれぞれに名前が付いており、思考や言動の傾向などが記載されています。

もちろん人間が16パターンしかないわけではなく、成分の多寡がある中で敢えて分類するならこういう傾向が多いかもよといった感じで捉えればいいのかなと思います。

その16パーソナリティすべてに絵がつけられており、漫画のキャラクターみたいで可愛いしドラクエのジョブみたいでなんだかワクワクしちゃいます。
今でいうとApexとかVALORANTのほうがわかりやすいかな。

そんな人気な「16 Personalities」ですが、SNSを調べてみると様々な動画が挙げられています。その中でも動画内の人物のパーソナリティを表示したうえで日常会話を行うというもの。
これが文字ではわかりづらかった思考の差が明白で面白いです。
更にコメント欄を覗けば、あらゆる人の考えが見えて、しかもその意見が割と分かれているのでなお興味深いです。

例えば、「眠い」と友人が言ってきたらなんと返事するでしょうか。
みなさんも1番最初に出てくる返事は何ですか。

*動画主の方が見ていたらごめんなさい。とてもわかりやすかったので拝借させていただきます。

コメント欄で多かったのは大きく分けて2つ。
「昨晩なにかあったの?」「じゃあ寝たら?」です。
両者の話の筋は大きく違いますよね。

前者は寝れなかった原因を聞いて相談に乗ろうとしています。
寝れないほど忙しいことがあったのか、それともなかなか寝付けないほどのストレスを抱えているのか。
心理的な背景にスポットを当てています。

一方後者は今相手が発言を文脈通りに受け取り返しています。
相手が眠いと言っているのだから寝たいんだろう、別に寝てもらっても構わないので寝てどうぞと答える。
今後の活動を方向付けることにスポットを当てています。

さて、では返事としてどちらが正しいものなのでしょうか。

それはもちろんわかりません。

「眠い」と言った本人が何を求めているかがわからないので正解なんてわかりません。当然です。
そしてまたどちらの答えも不正解ではありません。

あ、別に道徳の授業をしたいわけではないですよ笑

どちらも返事として筋が通っているので会話は成立していますよね。
なので不正解ではありません。

注目したいのは人によってスポットの当て方、事象の切り取り方が違うということ。
なので対照的な返事に聞こえますがどちらも悪意はありません。

ではそこに「眠い」人に意思があったとします。
昨晩徹夜してしまった苦労話をしたかったとして、「じゃあ寝たら?」と言われたらおそらく「いや、そうじゃなくて」ってなるし、返事した方も何が違うのかがわからないといった状況になりえますよね。

組み合わせが逆でも「いや、そうじゃなくて」状態は発生するでしょう。

みなさんもこういったことは経験したことありませんか?
僕はあります。相手の言いたいことを汲み取ったはずなのに相手は満足していないどころか怒っている。だけど自分はその原因がわからない。
いわゆる「すれ違い」というやつでしょう。
それもそのはず、自分は20数年自分の心と対面しながら生きてきているので、瞬間的に無意識に自分の中で答えが出来てしまっているのです。
だから相手の言うことが理解できず、文句も言われちゃったりしてなんだか自分も不機嫌に。

そんな生活の中たまたま見つけた今回の性格診断。
人によってこんなに考え方、切り取り方が違うんだと知ります。
「なんでこの人はこんなにぶっきらぼうなのかな」とか「ルールを作りたがるのか」なんて考えていたことも自分と注視する場所が違って、ここに重点を置いてるからそういう発想になるんだと理解できます。

あまり勘違いされたくないので書きますが、「16 Personalities」の精度などは重要ではありません。
それが学術的に正しいとかただのお遊びとか正直どっちでもいいのです。
僕が面白いと思ったのは何度も言ってますが、
人によってスポットの当て方は違うし自分が思っていた返事がこなかったとしてもその人に悪意はないということです。

そうやって自分の中の視野を広げることで理解できることが増えるように思います。
その理解は完璧でなくても腑に落ちることが自分の中の嫌悪感を和らげます。


実は書きたかったことはここからもう一展開あるのですが前振りが長くなってしまいまして、「もういいよ!!」って方はここで閉じてもらっても構いません。というかここまで長々と読んでいただいてありがとうございます。
説教みたいなことうだうだしゃべってんじゃねぇよ!って嫌悪感を抱く前にいいねとフォローだけ押してもらってそっと閉じてください。
しゃーない、もうちょっと付き合ってやるかと思ってくれた方、ありがとうございます。どうぞお進みください。


僕はこの「理解する」「腑に落ちる」ことでスッキリする生きやすくなるということはあることと本質的に同じだなと思いました。

それは「宗教」です。

おっと、今ブラウザを閉じようとしていますね。僕にはわかりますよ!
日本では政治と宗教の話はするななんて文化を表す言葉がありますが、少しだけお付き合いください。

僕自身は無宗教であり、宗教を勉強したこともありません。
元旦には初詣に神社へ赴き、クリスマスにはケーキとプレゼントをただ受け取るといった感じに都合よく生きています。
なのでぼんやりとした宗教のイメージとして話すことをお許しください。

宗教はざっくり言うと
何か(神?仏?)を信じ、こういった行いをすると救いの手が差し伸べられ死後につらい思いをしなくて済みますよ
ということだと思うのですが、ここにある本質は
「目に見えないもの、これから先のわからないもの・不透明なものへの不安や恐怖感を取り除くこと」だと考えています。
さらに要約すると「理解できないものを腑に落とすことで得られるスッキリ感」だと思います。
自分が幸福になる生き方や天国に行く方法なんか誰もわかりません。
そんなわからない状態から不安に駆られる人もいるでしょう。
そこで、自分にとって腑に落ちる理論を作るのです。
何かを信じ、行動に移すことで自分には幸福が巡ってくるのではないか。
そうすることで何もわからない世界から生き抜く指針を手にしているのだと思います。
「ああ、こうすれば自分は幸福になれるんだな」
糸口が見つかったら途端に楽に感じるのはなんとなく想像できます。
罰当たりかもしれませんが、仏様の像や神様の絵は人々が対象を明確にしたほうがより信じることが容易になる演出だと思っています。

僕を含め多くの日本人がそんなものに時間を使うより日々銭を稼ぎ自分の好きなことを実現させた方が幸福に決まっていると”腑に落とさせている”と思うのですが、そういった人には仏や神は必要なくスッキリしちゃってるのであまり宗教が必要ではなく、何かを強く信じている人のことが理解できずに嫌悪感を抱いているのではないでしょうか。
(宗教を利用して他の人に害を与えたりお金を搾取している人がいるので特に悪い印象があるのも大きな要因だと思います。)

僕らも自分の中で組み上げた理論で「それがまっとうだ」と信じているので実質宗教と変わりありません。日本ではそれを否定する人が多くないというだけで。

もし人間関係で悩むことがあれば、自分とは違う切り取り方をする人なんだな、自分とは違うものに重きを置いているんだなと”腑に落としてみたら”楽になれるかもしれませんね。


さて、かなり話が長くなり抽象的な文になってしまいました。
読み返したら冒頭に「軽い話」って書いてあります。
どこがだよ。
みなさんの代わりにツッコんでおきました。
頑張って一言にまとめると
「自分の中で理解するとなんだか楽に生きられるよね」
っていう話です。
合ってんのかな、これ。笑
自分でも乱雑になっていることは自覚していますので!!!
ここまで読んでくださっている方はいるのかな、いたら是非いいねを押してください。
ゼロだったらみんな閉じちゃった、完走率0%と覚悟しますね。
完走した方はぜひ自信にしちゃいましょう。
次回はもっと読みやすいもの作るからどうか次回も読んでください!!
本当にお願いします!!

お読みいただきありがとうございます!

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