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6月13日:体感虚報主義


小学生の頃に住んでいた家の近くにペンキ屋さんと小学校のころに言ってたけど、多分看板作ったり外装工事する個人商店のお店のガレージがあって、お店の前を通る度に、ガレージのシャッターが空いていると、奥にある机の上の棚には通り道からでも見える、大きな灰色と赤の色が目立つ戦艦のみ模型が棚に飾ってあった。

フルハルモデルの大きな艦船の模型は遠目から見ても大和だと分かった。

お店の前を通りかかっては、たぶん物欲しそうに僕が見てたので、一度だけお店の奥にいたおじさんにもっと近くで見ていいよと言われて、初めてガレージに入れてもらって、その大きな大和の模型を見上げた。

特におじさんにどう作ったかとか何か話をしてもらったわけでもなく、あっ確か艦首から艦尾まで甲板横の転落防止のチェーンの策も設置してある見事な模型だったけど「大変だから見える側しかつくってないんだよね」ってのは聞いたけどそれ以外はほおって置かれた。

僕も多分小学生4年か5年ぐらいの時だったので、対した知識があるわけではなかったけど「カッコイいいもの」としての戦艦大和は知っていたので、やっぱりこの遠くから見えていた模型は大和だったんだ、カッコイいなあとずっと見上げていたのを何となく覚えている。

大きな大和の模型を持っているというのはそれだけで素晴らしい事だと思うが、場所がなんだ、作るのがめんどくさい、とか自分の人生の中で金さえあれば解決できる問題なのに未だに踏み切れず、大和の模型とは見上げたままの存在になってる。

そんなもう三十何年前の事を今でも思い出すのだから、なかなか自分は大和の模型に対して抱く感情は複雑なような単純なようで、上記のツイートなどを見てしまうと羨ましくてしょうがないのである。

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