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特別な日

わたしと母の関係性は今となってはまったくうまく行っていなくて話をすることすらも困難になってしまってはいるが、それでも幼い頃の母との思い出といえば父が生きていた時代のものを抜き出しさえすれば温かい色をしているものが多い。

幼い頃、父の誕生日だけは特別に学校を休むことが許されていた。
朝起きると母がもう学校に欠席の連絡を入れたあとで、いつもより少しゆっくりと朝食を摂ったらデパートへ出かけるのが定番だった。

デパートで母はとびきりお洒落な服を見て回り、買ったそばからそれを着る。
続いてわたしも母の見立てで裾に白いレースのついた上等な服を着せられる。
店員が「お嬢様、とってもお似合いですよ」と大袈裟にわたしを褒めるので わたしは照れ臭くて、慣れないレースのせいなのかなんだか脚が痒くなってしまうけれど、母はそんなことお構いなしにどんどん買い物を続ける。

父に似合いそうなネクタイ 下着に靴下 ハンカチなどを選び お昼ご飯に最上階のカフェでハンバーグを食べたあと、大きな薔薇の花束 緑のボトルの赤ワイン お肉屋さんで分厚いお肉、焼きたてのパンをカゴへと。そしてわたしが欲しいと手に取った本も。

最後に父の大好きなアンジェリーナのモンブランと目一杯の果物を買って、両手に持ちきれないほどの紙袋と一緒にバスに揺られ家へと戻るのだ。

重たい紙袋を持った母の頬は高揚している。
お父さん喜ぶかしら?とわたしに耳打ちしながらにこにこしている母からはお化粧品の甘ったるい匂いがする。
いつもより赤い唇の母は別人のようでくすぐったかった。
髪も肌もなんだかつやつやしていた。

みんなが学校に行っている間、わたしだけが特別な時間を過ごしていることを思い出し、わたしはなんだか誇らしげな気分になる。


家へと帰り着くと母はいそいそとパーティの準備に取り掛かり、豪華な料理を作り始める。
買ったばかりのつやつやな服を着たままで。

わたしはパーティのセッティングを任され、テーブルの真ん中に花を飾り ぴらぴらの付いた洋服のままカトラリーとグラスを拭きあげる。

それが終わると父が帰宅するのをマンションのベランダで爪先立ちで見張りをして待ち構え、姿が見えると同時に「パパが帰ってきたよー!」と部屋の中へと伝える。
母は小走りで玄関まで行き「お誕生日おめでとう!」と大きな声とハグで父を出迎えた。

母から促されわたしはピアノを弾き、母がそれに合わせてお祝いの歌を歌う。
どちらもお世辞にも上手ではないのだけれど、父は大袈裟に拍手をして母とわたしを順番に抱きしめてキスをしてくれた。

普段お酒を飲まない父もその日はワインを飲み、ご馳走を食べ、たまにわたしの頭を撫でながら母に目配せをする。
わたしもほんのすこしだけ父の赤ワインを舐めさせてもらうと 童話の中の葡萄酒のイメージとは違い、歯の浮くような渋みのせいでしゃっくりが止まらなくなって、そんなわたしをふたりは笑った。

あの日たしかにオレンジ色の幸福でわたし達の部屋は満ち溢れていた。


母はこの日を、父の誕生日を、1年でいちばんおめでたい日だと言っていた。
将来わたしに愛する人ができた時、その人のお誕生日はいちばん特別におめでたい日だから学校も仕事も全部お休みにしてとびっきりのお祝いをしなくちゃダメよと言っていた。

母は父と離れて暮らすようになっても父の誕生日だけは欠かさず特別に贅沢にお祝いをしていたし、父が亡くなってからも呪いのようにわたしと2人で父の誕生日をお祝いし続けていた。
あの人を思い出すことに意味があるのだと、愛する人の生まれた日を思い出してあげるのだと繰り返し自分に言い聞かせるように。



夫とお付き合いをはじめた年、この話を聞いた彼は素敵な話だねと言い、わたしの父の誕生日にアンジェリーナのモンブランを買ってわたしの部屋へと訪れた。
「お父さんと一緒に食べよう。何度でもずっと一緒にお祝いができたらいいね。」と言って。

それからも夫は毎年快く父の誕生日にパーティーをしてくれるし、わたしは夫の誕生日にはできるかぎり仕事を休んで 小さいけれど特別な気持ちでパーティをすることにしている。



【いつか愛する人ができた時、その人のお誕生日はいちばん特別におめでたい日だから学校も仕事も全部お休みにして、とびっきりのお祝いをしなくちゃダメよ。】


母は本当にメルヘンで、母親になっても女を捨てきれなかったんだなと苦笑いが出るけれど、そういうことを幼いわたしにも真剣に言い聞かせて、自らの子供というよりか ひとりの女性としてわたしと接していた母の性分はどこか嫌いになりきれない。

もうすぐ、父の誕生日がやってくる。

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