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自分の常識を疑ってみる。読書記録#13-1

『偶然の科学』, ダンカン・ワッツ, 2014


  

 著者は、本書を通して、常識を用いて判断、行動するときに、疑いの目をもつことの大切さを述べている。本書通して、人々がどのように常識に基づく推論をするか、なぜそれを見直さなければならないのかをしることができる。多くの学びがあったので、いくつかに分けて読書記録に残していこうと思う。


 そもそも常識とは何なのか。著者は、明確な定義をする難しさを指摘したうえで、常識とはなにかを以下のように述べている。

おおざっぱに言えば、それはわれわれひとりひとりが日々の状況に直面し、対処し、学習しながら、生涯をかけて蓄積した事実や観察や経験や洞察や定説のゆるやかな集合体である。

 そして、日々の状況をもとに蓄積された常識を、あらゆる場面で用いようとすることに警鐘を鳴らしている。

常識が大きな意味を持ってくるのは、常識を用いて、目の前にあるいはこの場の日常生活に根ざしていない問題に対処するときである。

 また著者は、常識を用いることによって、物事を理解しようとする思考がストップしてしまうことを問題視している。

 常識に基づく解釈は、人々が置かれた状況に対して都合のいい説明を与えることで、日々の営みをつづけていくための自信をあて、自分が知っていると思っていることは果たしてほんとうに真実なのか、それともただの思いこみなのかと逐一悩むことから解放してくれる。
だがその代償として、われわれは物事を理解していると自分では思いながらも、実際はもっともらしい物語でごまかしているだけだ。


感想
 著者が述べる、常識を疑うことをするには、自分がどのような常識を持っているのかに気づくことからはじめる必要があると感じた。習慣のように、常識も、私たちが無意識に用いていることも多いのだろう。本書を通して、常識を疑ってみることの大切さを強く実感した。
 ただ著者は、常識を利用することのすべてを否定しているわけではないし、私も常識を用いることは生きていく上で不可欠であると思う。著者が、常識に基づく解釈は、「逐一悩むことから解放してくれる」と述べているように、日常生活をスムーズに送ることができているのも、常識を用いているおかげであるといえる。本書が主張しているのは、常識がすべてだと思ってはいけないのだということである。
 一度立ち止まって、自分の常識を考えなおす時間をつくってみること。自分の価値観や、自分が社会の当たり前だと思っていることは、一部でしかないことを常に頭に置いておく必要があると強く思った。それは、思考の柔軟性にもつながる。この柔軟性をもつことで、自分の意見と対立する考えに出会ったとき、その考えを否定や排除しようとするのではなく、その考えを尊重しながら話し合うことができるのだろう。


 

 なんとも抽象的な話になってしまったが、とっても大切なこと。

信念はもっても、それが絶対だと思わないこと。

第二部へつづく。

 

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