見出し画像

自分、自分、自分

自分がどう生きるべきか

何を大切にして生きるべきか

いつもどこかに答えがあるような気がして探してた。


私が納得できる『生き方の正しさ』のようなものが知りたかった。

それもあってか、人の生き方が垣間見れるエッセイ本がずっと好きだった。



ある人は、低収入で幸せに暮らし
ある人は、エコに暮らす
またある人は、シンプルライフを楽しむ



それぞれ大切にしていることは違っても、みんな『自分』を生きている。



私は『自分』を生きている人に憧れていた。


そういう人のライフスタイルを取り入れてみたり、考え方を学んで吸収してきた。


今思えば、無謀過ぎて笑える話がある。
一人暮らしをしていたとき、家電を持たない暮らしに憧れて、洗濯機を持たずに生活していた期間があった。仕事が忙しく家事もままならないというのに!

結局、洗濯物が溜まって、重たい衣類を抱えて実家で洗濯をさせてもらった。(コインランドリー代をケチった笑)

真似から入って、徐々に自分のライフスタイルに落とし込めばいいのだろうけど、私はかなりやり過ぎた。

形だけ真似しても、心の充足感はない。

考え方や価値観についても同じ。
いくら共感を覚えるものでも、自分で経験し実感しなければ心の奥深くで理解するのは難しい。


ライフスタイル、考え方、価値観。
「いいな」と感じる人から吸収し、取り入れて、それなりに自分のものにしてきた。



そのはずなのに、

「果たしてこれが私の大切にしたい生き方なのか?」

そんなことが、ふと頭をよぎった。


暮らしをテーマにしたエッセイ本が好きな私は『自分らしい暮らし』を築きあげれば『自分』を生きられると思っていた。


だけど、“ナニか”違う気がした。



『自分らしい暮らし』は、自分がどう生きて、何を大切に生きるべきかの『ヒント』ではあったのかもしれない。
でも、私が求めている『答え』ではなかった。


私が求めている“ナニか”って何だ?


私はこの世を生きるための“ナニか”をまだ探していた。



そして、最近ようやく「コレだ」と思えるものに辿り着いた。



それは、


『自分の内側を見ること』



生きていると、さまざまな出来事が起こる。

苦しい、嫌だ

嬉しい、楽しい

寂しい、悲しい

ムカつく、許せない


いろいろな感情が生まれる。



その感情に目を向ける。

私は何を感じた?
どうしてそういう気持ちが湧くの?
本当はどうしたかった?

自分に聞いてあげる。


答えは常に自分の中にしかない。

自分が感じたものに正しさも間違いも存在しない。

それを今まで知らなかった。




自分=すべて

それを知らなかった。
だから、いつも外側に“ナニか”を探してた。

その“ナニか”は外側じゃなくて、自分の内側にいつも存在していた。


それを知る前の私は、
「自分にないものを手に入れなきゃ」
「自分の悪いところは直さなきゃ」
「もっといい人にならなきゃ」
と思っていた。

でも、そうじゃなかった。


『自分の内側を見る』っていうのは、自分を知って、受け入れること。
自分の中で生まれた感情と向き合うこと。
心の声に耳を傾けること。


どんな自分であってもいいよ
と言ってあげられること。

今でも他人の言動に振り回される。
そんなとき、相手がどう思っているかは考えない。
自分に目を向ける。
どう感じたか、なぜそう感じたか。

常に矢印は
自分←
自分←
自分←



今ならわかる。
私が憧れる『自分らしい暮らし』を築きあげている人は、『暮らし』よりも前に『自分の内側』をよく知っている人なのだ、ということを。
自分を知っていれば、『自分らしい暮らし』は後からついてくる。




『どんな自分であってもいい』
そんなのきれいごとにしか聞こえない、という人もいると思う。

私もそうだったからわかる。
今でも自分のままじゃダメな気がする瞬間もある。


でも、自分の中にあるものがすべてだとわかると安心する。
自分の中に答えがあると思うとうれしいんだ。

だって私は私でしかないから。



生き方の答えは他人のライフスタイルの中にも他人の考え方や価値観の中にもなかった。
(参考にはなっても答えではない。)


答えは「外側」に求めるものじゃなくて、常に「自分の内側」にある。


自分、自分、自分




SAWA.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?