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『神血の救世主』70話「手を伸ばす者たち」感想

こんにちは、沢です。
このnoteは読んだ漫画の感想を書いています。

原作:江藤俊司先生、作画:疾狼先生の『神血の救世主』70話の感想です。

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さっそくスマホの壁紙を比良坂にしました


Story

透晴の眷属となった敷島と成瀬を加えた比良坂と爽香の四人の「魂の会話」による完璧な連携により"魔獣殺し"イルラックはついに倒された。星6の扉を攻略した透晴たちに、しばしの休息が訪れるがーー?

イルラックの最期

敗北した瞬間に「また異界で魂を鍛え直せばいい」という思考ができるイルラックの狂戦士ぶりが凄まじかったものの、ルドウィーグが比良坂に託した短剣「海に還すもの」(アムネジア)により、イルラックの魂は異界ではなく「普遍的無意識の海」へ葬送されてしまう、という最期を迎えました。

「普遍的無意識の海」は"極光の王"となった透晴が居た場所で、魂の終着点とも呼ばれるようです。海は新しい生命が生まれる場所、というニュアンスがあるので、ここに辿り着いた魂が分解されて、また新しい魂が生まれるということなのでしょうか。ここの設定は物語が完結するまで詳細には語られないような気もしますが、ちょっと記憶に留めておきたいところです。

圧倒的な強さを持つイルラックが(それ自体に殺傷能力が無い)短剣の一突きで絶命する、というのは騎士の最期としては儚いです。何かの伝承でそういう逸話がありそうなギャップのある最後の一撃に感じました。
また一方で、よく見ると比良坂と爽香の武器がボロボロになっているのがイルラックの強さを物語っているなと。

"最終スキル"だったり、1800%のバフだったりと、ボスとしての圧倒的な強さを見せてくれたイルラックの強さを忘れないでいたいです。

黄金級、再会

戦いを終えて、1章の終盤ぶりに比良坂は敷島と再会します
熱い再会になると思いきや、お互いに信じていたと言わんばかりに拳をぶつけるだけなのが格好良すぎて成瀬と同じ気持ち
になりました。
(でも、敷島は内心では嬉しいと思う。)

成瀬とはいつぶりの再会なんでしょうか。
比良坂に笑いかけられたことで、魂を共にする"魔剣士"デルカインとお互いの"尊き星"について語り、思いを共にしたシーンには胸が熱くなりました。
この短いやり取りで、デルカインが"魔剣士"と自ら名乗るのはルドウィーグが正当な騎士であるから、そうじゃない方法を選んだことで"魔"と冠する二つ名を持っているんだろうなとわかるのがいいですね。それで数多の武器を操って戦うスタイルになってるんだな、と感覚的に理解できるといいますか。
それにしても、バーレイジもそうですが(おまけ漫画で敷島を心配するバーレイジですが)黄金騎士はけっこう愉快そうですね。みんな好きです。

白銀の王、参る

次の話への引きが強すぎます。
銀河が透晴パーティーを離脱してすぐ、次の"災い"と言われている白銀の王・ルインが接触してきました。
英単語のruinには滅びという意味があり、その名を持つルインが味方に接触してくる不吉な導入が怖すぎます。狐の化かす要素も込みで……。

未来を知っているはずが「加速している」と心の中で吐露した透晴だったり、「誰も死なせない」と改めて誓った比良坂だったり、「血の洗礼」で死ねなくなった敷島と成瀬だったり、そもそも未来では既に絶命している仲間が生きていることで先の未来がわからなかったりするので、もう誰が死んでもおかしくない状況になってしまっています。そのなかで銀級を束ねることができる"王"が敵となると……。
次週以降も気が抜けない展開が続きそうです。覚悟して読んでいきます。

それにしても、話タイトルの「手を伸ばす者たち」の意味がすごいですね。
成瀬とデルカインが、比良坂とルドウィーグという憧れに手を伸ばすという意味と思いきや、ルインが銀河に魔の手を伸ばす意味もあるという……。


この一言!

「私も いつか兄上のようになりたいです!」

『神血の救世主』70話より ルドウィーグ

"優しかった兄"としての過去の一面がルドウィーグの回想によって描かれたイルラック。これは大我を弟に持つ透晴との共通要素であり、何話か前のnoteで書きましたが、同じく「憎悪」を燃やして無限に戦える透晴のifの存在だったように思います。
戦いのなかで狂っていったイルラックには、背中を預けられる友や仲間や、超えるべき存在がいなかったのかもしれません。透晴には共に戦える仲間がいて、ヴァンキッシュが正しく導いてくれているので、そこが違う部分として描かれているのかなと感じました。

そして、そうした存在には成れなかったルドウィーグが最後に「私もいつかそちらに参ります」と無へ還ったイルラックに対して想うのも「兄上のようになりたい」と言った過去を踏まえると悲しすぎる決意ですね……。
(そして、無に還った大我と未来の透晴の兄弟との共通項を考えると、ルドウィーグの決意は実現されてしまいそうで怖いです。)


この設定!

「本当に分かっているのか?」

『神血の救世主』70話より ???

透晴いわく"運営者"がステータスウインドウで警告をしてきたシーン。
『神血の救世主』という作品の主人公サイドが"プレイヤー"と呼ばれる理由に踏み込んできた描写にゾクッとしました。
眠れなくて深夜に読み返した時にこのコマがめちゃくちゃ怖かったです。

異界生物と呼ばれる魂たちには元々の国(世界?)がそれぞれあるけど、今は扉の中に閉じ込められてゲームのボスのような存在になっていたり、人間と共に戦うことでスキルを付与する役割を持っているのもゲームっぽいんですが、これはつまり"運営者"が透晴たちのいる世界(地球)をゲームの主人公に見立てて、今まで征服してきた国(1個の世界あるいは宇宙)を敵だったりアイテムにして遊んでいるゲームをプレイしているので、ゲーム的な要素が作中で描かれているってことなんですかね…?
で、天空時計が割れたらゲームオーバーで、地球もまた次のゲームの敵となる(あるいは滅びる)みたいな構造なんでしょうか。
で、ヴァンキッシュはその構造を知って立ち向かうために別の世界の王をどんどん従えていった、みたいな…?(だからカリオンが"屍の王"だけど味方だったりする)
ヴァンキッシュや透晴の虹要素もゲーミングデバイス的な意味が…?

異界生物も含めて誰もが必死に生きていることが描かれているなかで、透晴が「憎悪」で戦っているので、自分たちがゲームのコマとして遊ばれていると知ったらいくらでも戦える理由になってしまうので(というか、この妄想みたいな話が合っていたら知っている?)強くなる要素しかないな……と思うのでした。

事実どうなるかはわかりませんが、"運営者"がこれから超えるべき大きな壁となっていきそうで、本格的な出番が近いのかも知れません。


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比良坂が好きな理由が自分の魂に合いすぎているからだと気づいた回。


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