見出し画像

幼少期の思い出

先日、彼を始めて地元に招いた。
行く場所、行く場所で説明をしていたら、昔のことを思い出した。
自営業である祖父の家はかつて栄えていた商店街の中にある。
通りには昔通っていた本屋や、同級生の実家である花屋、誕生日ケーキを買っていた菓子屋がある。今はもう営業しているのかも分からない。
一方で新しい店も増えた。おしゃれな雑貨屋に、鯛焼き屋、ラーメン店、23年もこの町に住んでいるのに、行ったことの無い店ばかりだ。

それもそのはず、私自身が市街の高校に通うようになってからはほとんど家と学校の往復しかしていないからだ。さらに言えば中学のときも休日は市街の塾に通い、平日も学校で部活をするか家で勉強するかしかしていないのだ。運良く実家から通えるの大学に進学できた私は、大学生になってようやく”地元”というものに目を向ける時間ができた。

私の幼少期の思い出はあまり明るいものではなかった。他の皆が楽しそうに語るような特別な思い出があるわけでもなく、地元に対する愛着もさほど無い。
それでも今思い返せば、私が確かにこの地で生活していた記憶は存在していて、今でもかつての建物や風景は残っていた。

小学校の通学であえて違うルートで帰った夏の夕方、習い事のプールに行くためにバスを待った土曜の朝、川沿いの道ばたでサワガニを見つけて友だちとはしゃいだ中学の帰り道、親戚が一堂に会する祖母の家での誕生日会。
そんなこの町での生活の一部を思い出した。

引っ込み思案でばか真面目な子どもだった私は、いつも自分には決定的な何かが欠けていると思い込み、常に気を張っていて、日々の生活で幸せを感じる余裕がなかった。ずっとずっと外の世界を夢見て、習い事や勉強の成果に一人で夢中になっていた。
そしてやっと、来年から仕事で上京することになった今、今度はこの町を離れることを不安に思っている自分がいる。
友人や親戚がいない見ず知らずの町で一人で生きてけるだろうかと。そう、私はこれまで一人で生きてきたふりをしていたが、実は周りのたくさんの人達に支えられながら生きてきたのだと気がついた。
なんとも有り難い話である。

私はこの町で生きてきた22年間でたくさんの学びを得て、成長した。特に大学4年間(まだ3年と4ヶ月だけど)は、驚きの出会いと経験に満ちた時間を過ごすことができた。
今、私は大学生の残りの半年をいったいどう過ごそうかと思案しているところだ。正直なところ、何の目的も目標も無いままに進学したから、もうこれまでの経験で既にお腹いっぱいなのだ。
でもせっかくだから、かつて好きだったものを再開してみようかと思う。刺繍をしたり、noteを書いたり。そして少し先の未来ことも考えてみようか。どんな風に働いて、どんな家に住んで、どんな生活をするのか。
少し考えただけでもわくわくする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?