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言葉の海を渡る舟

ドラマ「舟を編む」ついに最終回まで見終えてしまった。
最初は洋次郎目当てで見始めたけど、思っていた以上に満足感が高い作品だった。

言葉って難しいとつくづく思う。みどりちゃんが「なんて」を無意識に使っていたように、自分も知らず知らずのうちに誰かを傷つける言葉を使っていないか不安になる。LINEの返信をするのにも何回も考えて打ち直して、を繰り返すこともある。それは同時に、人を傷つけない自分を守るためだったりもする。

「言葉は誰かに何かを伝えるために、人が必死になって作り出した」


私が発した言葉には、誰かに伝えたい想いがあっただろうか?それを伝えようとしていただろうか?正直、人とのコミュニケーションを諦めていた所がある。人から嫌われないように、ぶつかり合うことがないようにと選んできた言葉たちは確かに私を守ってくれている。でも本当にそれでいいのだろうか?もっと言葉を使って人とつながれたら素敵なんじゃないか。そう想わせてくれた。

「信じるために疑う」


自分の好きな人やものを疑うことに良いイメージを持っていなかった私は、この言葉を聞いてはっとした。本当はその逆で、信じたいから疑うんだと。疑うことは必ずしも警戒心の表れではないことを。辞書で「疑う」と引くと「信じる」の対義語として出てくる。言葉の意味としては真逆だけど、その行動の背景にある人間の心情は同じであることが、なんだかちぐはぐで面白い。

「生きることは変わること」


みどりちゃんがパートナーとお別れしたこと、辞書編集部に入ったこと。最初は不安や不満な気持ちがあったのかもしれない。変わることは必ずしも良いことばかりではなくて、時にネガティブな感情や苦痛もセットでついてくる。でも時が経てば状況も変わるし、気持ちも変わる。私たちは変わることによって苦しみ、そして救われる。死ぬときに言いたい。「私は十分自分の人生を生ききった」と。だから変わることを恐れずにいたい。

生きてると迷うことがたくさんある。その一つ一つに向き合うのは骨が折れるし、大変で諦めたくなることもある。それでも、目の前の人や出来事に向かう。そのときに橋渡し役になってくれるのがきっと言葉なんじゃないかな。ついつい受け流してしまいそうな言葉を、もっと大切にしよう。

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