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「因幡堂縁起絵巻」の更新をお休みしていた理由(note書き下ろし)

 昨日、ほぼ半年ぶりくらいに「因幡堂縁起絵巻」を更新しました。

 更新には半年かかりましたが、実のところ、この記事は半年前にできていました。ずっとnoteにアップしなかった(できなかった)のには理由があります。ーーつい先ごろまで執筆していた論文にかかわる内容を含んでいたからです。

 〝なんでそんなこと?〟と思われる方もあるかもしれませんが、かつて私は、自分の修士論文の核とも言える内容を、近接分野ながら専門違いの人の論文で書かれてしまったことがあり、それが研究上のトラウマになりました。

 研究は先に発表した者勝ちです。確かに、私は修士課程で一度、研究を諦め、その間に起きた出来事でした(一度目の研究放棄には事情があるのですが、今回の話以上にいまだ話せそうもないです……)。そのことに落胆していないと言えば嘘になりますが、それよりも、私の専門分野におけるような調査・分析もなく論を立てていることについて、驚きと悔しさを覚えました。

 いずれにせよ、専門分野の違う分野の人が、対象へのアプローチもあやふやなのに、どうして肝心なことに気づけたのかがわかりませんでした。ーーただ、ひとつだけ思い当たることがありました。

 修士課程の時の研究仲間の一人で、その研究者とほぼ同分野であった知人が、私の修士論文を読んでいました。おそらく、そこから直接ではなくても、人づてか何かでそういう研究の視点のあることが、例の論文を書いた人にも伝わったのではないかと考えました(実際、その研究仲間である知人が、私の論文について同分野の研究者に話をしたというのを聞いていました。限られた人たちだけが携わっている研究テーマなので、可能性は否定できませんでした……)。

 しかしながら、幸いにもその後、修士論文をまとめなおし、さらに発展的な内容でもいくつかの論文を記し、学術雑誌に掲載することができました。(またしても、それから十年近く研究から離れてしまうことになってしまったのですが……。私の研究人生は、上向くとどういうわけか大きな障害が生じてきました)。

 私はもはや就職のために論文を書くつもりはないので、そんなことは気にしなくていいだろうと思いながら、それでもずっと「因幡堂縁起絵巻」を更新できずにいました。そんなある日、そのつかえが取れる出来事がありました。

 私の修士論文をまとめなおした論文が引用されている論文を発見したのです。正直、ほぼ同じ内容に触れている例の論文の方が、発表年も早いわけですし、何より無名の私と違って、書いた人はその分野では有名で業績も大です。しかしながら、私の論文を引用してくださった方は、私の論文が方が、対象を厳密に調査・分析した上で結論を出していて、自分の論の裏付けにふさわしいと評価しているのだと気づきました。

 二十年近くかかりましたが、救われた気がしました。がんばって論証した私の努力を、ちゃんと見てくださった方がいたのが嬉しかったです。このことがきっかけで、今では冷静に、私の修士論文の話がどこかから漏れたとかいうことでなく、例の論文を書いた方がご自身で発見した視点だったのかもしれないと思えるようにもなりました。

 私の論文は、多くの人が読んで支持されるというものではまったくありません。対象に真摯に向き合い得られた成果を、必要とする人が読んでくれたらそれでいいと思っています。ーーそこにはただ、様々な出来事を記録に残したいと願った古の人々の、その思いを時を超えてつなぎたいという自分があるだけです。

 (ずっとずっと心に引っかかっていたこのことを、やっと言葉にすることができました。読んでくださった方、ありがとうございます。)

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