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語彙を増やし、語彙力を高める、そしてその重要性⑤(2020年6月1日)

 高1の定番教材の一つ「水の東西」でも有名な山崎正和氏が、4月20日付け読売新聞に寄稿された記事を興味深く読みました(「地球を読む」シリーズの「「論理国語」新設」)。その要点をまとめてみたいと思います。

 前回の内容はこちらです。

 発信者が「正しい言葉」によって無限定な複数の相手に向けて発信する活動、共同体を作る営み、これを言葉の本質とする中で、山崎氏は次のように論を展開しています。

(1)文部省の本意は、「実社会の役に立つ国語教育を目指す」、「簡明で実用的な文教を教えたい」という点にあるとする。

 そこで、学校教育(高等学校)の中でききることを2点に絞っています。

①文章でものごとを描写させる訓練
〔具体的な方法〕
教室を二つに分けて、一方に風景や事物を言葉で描かせ、他方にそれを読ませて絵に再現させる、その上で両者に結果を比べさせて、異同を検討させる、
  ※かつて福沢諭吉が慶應義塾の生徒にさせた訓練であるとのことである。
〔効果〕
 情緒も哲学も入る余地はなく、ひたすら即物的で、しかし多様な語彙の柔軟な駆使が求められる。対象の描写が言葉による観察の力を高める。
〔教師の役割〕
語彙不足の生徒に助言をすることと、最後の討論の司会をする。
〔評価の方法〕
 一方の生徒の言葉が他方にどれだけ通じたかを計るとともに、作文力と読解力を同じ場所で同時に比較することによって、成績判定もこれまで以上に客観性を帯びるだろう。

②長い文章を要約する練習
〔効果〕
 長文要約は人の考える力が言葉を通じてどのように働くかを教える(共同体の共感と同意を得るために、人はどんな順序で考えを進めなければならないかについて教える)。
  ※結論→導入部→中間部の順に考察、全文の最終的な分量などから推し量って、全体を構成する力を習得していく。
〔教師の役割〕
目標はあくまでも国語力の向上にあって、生徒の自己顕示欲の刺激にはないことを念頭に置いて、教材は慎重に選ぶ必要がある。
〔評価の方法〕
課題文に対する性急な批判や評価ではなく、もっぱら正確な読解と要約だけである。

(2)読書が前提。高校生には教科書以外の本を年に30冊、3年間で100冊読むことを奨励。

 山崎氏は(2)を「公教育の責務」とさえ述べているが、読書によって語彙をインプットする必要があるということだと思います(材料がなければ料理も建築もできません)。


 国語は「読む、書く、話す」の3要素から成ると言われるが、最も重要なのは比較の余地なく読むことである。理由は、乳児のむずかりから最も遠いのが読むことだからと言っておこう。発信は言葉がなくてもかろうじて可能だが、読み解いて理解することは言葉の独壇場である。

 山崎氏が何度も用いる「幼児のむずかり」に、言葉をめぐる教育の現状への非難めいたものを感じるのは私だけでしょうか。そういう意味では、プレゼン重視の安直な学校現場における新しい教育には、私は危機感を覚えています。スポーツや芸術も基礎と練習が重要で、すべての学びがそうであるはずなのに、軽視されすぎの気がしてなりません。

 時間をかけなければ結果の出ない指導と、その結果が出るまで指導をする側も受ける側も我慢するということを、教員がしっかりと把握していかなければならないと思います。

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 他者への共感や、自己の置かれた状況を理解し、受け入れ、歩を前に進めるための「ことば」の役割については、本ブログの4月5日の記事で私の考えを述べています。

 ※Youtubeで動画にもまとめています。参考にしていただければ幸いです。



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