見出し画像

点数よりも学力(2013年12月15日)

 次から次に問題が発生し、またしてもスランプです。今は、自分が教科指導しているクラスの定期試験の結果で悩んでいます。

 何事に関しても、強制し、管理するだけでは、子どもの成長は期待できないと私は考えています。あらゆる場面において、どうしなければいけないかを自ら考え、のぞましい行動を継続してほしいと願っています。よって、失敗することも学びであると思っています。
 もちろん、こちらとしては失敗されるのは面倒が多いのですが、大人として言うべきことを伝えつつ、時には我慢して待ち、自ら選択してほしいと思うのです(くり返しになりますが、それで間違ったとしても、自分の行動の結果ということが大事だと考えています。人から強制・管理されれば、そこに責任逃れができる隙もあると思われます)。
 しかしそのような私の考えは、すぐに結果を求められる現代にあっては、誤解を受けかねないのが悩みです(教師は黒子に徹するべきだという思いは、経験として年々強くなっているのですが、世間はカリスマを求め、その人から与えられる明快で迅速な解決を望んでいるというか……)。

 学習においても、反復がもちろん大切ですが、それが自らの意志によるものであるかを私は重視したいのです。パブロフの犬のように、〝成績表〟に反応して〝点数〟を取るという学習ではなく、学んだことが自分の生活や生き方に応用できる基礎力としての〝学力〟です。それは、新しい環境や変化、困難な状況を切り抜けようとする力、これまでずっと自分で考え、行動してきたという自信に裏付けられた力です。

 そんな折、インターネットを検索していて、佐藤学氏を知りました。
 佐藤氏は、習熟度別学習やドリル学習を否定、少人数グループで共同で学ぶことを提唱しています。先生は「分からなかったら、どんどん友達に聞くんだよ」とだけ言うのだそうです。すると、子どもたちは学びあう関係、対等な関係を自分たちで作るのだというのです。

 確かに、私も放課後の補習を強制でなく実施していますが、〝もっと勉強したい人は来なさい〟とだけ言うと、あらゆるレベルの子どもたちがやってきて、学習項目ごとの到達度を自分で見極めて、先に終わった子はつまずいている子をフォローしています(数学の先生からも、問題演習の時間は子どもたちがそのような関係を持って、授業が良い形で進んできるという話を聞きました)。
 クラスの一部の子どもたちが、勉強会と称して時々集まり、学外で勉強しているということも聞きました(その子たちは、次は誰が一番を取るかということを楽しみにして競っているようです。あるいは、自分で目標を決めて取り組んでいるようです)。
 私は声高にそうしなさいなどと言っているわけではありません(勉強会のことを聞いた時は驚いて、感心してしまったくらいです)。やはり、友だち同士でというのが鍵なのでしょう。私は特別彼らに何かを働きかけているわけではないのですが、子どもたちが個々に持つ可能性を単純に信じているというのだけは確かです。

 さっそく佐藤氏の本を二冊購入しました。この年末年始で読んで、私の考える〝点数よりも学力〟という考えの実践について自ら考えて、実行したいと思います。

佐藤学『「学び」から逃走する子どもたち』(2000年12月/岩波ブックレット524)
佐藤学『学力を問い直す―学びのカリキュラムへ―』(2001年10月/岩波ブックレット548)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?