見出し画像

全力で授業(2013年4月7日)

 前回、古典を学ぶことが、いかに受験の影響を受けているかの一端をお話しました。


 いや、古典以上に英語などは、受験の影響を露骨に受けているせいか、授業以外の強制補習をこれでもかと行っています。進学実績が経営に関わるということで、私立の学校はどこも似たり寄ったりの方向性になっているのを、いろいろなところから耳にします。

 でも、本当にそれでいいのかなという疑問を感じないではいられません。勉強は大事です。それは、卒業して社会に出ている教え子たちからだって何回も聞かされています。しかし、私や教え子たちが言っている「勉強」とは、有名大学合格のための勉強ではないということです。

 勤務校で学内研修がありました。「授業学」だなんてうさんくさいなと思っていましたが、半日程度の研修を受け、代表の方の著書を読んで、大いに共感するところがありました。

大矢純『生徒のやる気を100%引き出す授業』(幻冬舎(経営者新書)/2013年2月)


 実は塾や予備校では、10年ほど前からそうした進学実績をうたうのは時代遅れだと言われるようになっています。ある予備校が始めたことですが、「行きたい学校が第一志望」という方向です。世間相場でもなく、潜入観念でもない。自分の行きたい大学に行くことが一番大切なことであるわけです。
 学校の教員の場合は、もっと視野を広げて、行きたいフィールドに行くことが大切と考えるべきではないでしょうか。進学実績の伸長は結果的に、その先の通過点として見えるものなのです。
(第1章「自信を持てない子どもたちが増えている」32‐33頁)

 そのための実践的な取り組みを大矢氏は「授業学」と定義しているのですが、「たとえば教室への入り方や間の取り方、挨拶の方法や発生練習、発音練習を行い、表現力を身につけていく」といった授業における技術的な側面を重視しています。子どもに限らず人間は、与えられる内容よりも、情報を提供する者の外に現れた部分の印象の方が強く記憶に残るという事実を背景としています。

 しかしながら、最も重要なのは、経験のない若い先生にとっては特に大事なことであるともしていますが、「熱意が伝わった」ということだと言うのです。
 ある新人教員の話を例があげられています。その教員は「実際に授業の進め方も不慣れで、しゃべりも下手で、子どもたちは彼の授業を受けても、よくわからなかった」そうです。にもかかわらず、卒業後に生徒たちがやって来て次のような告白をしたというのです。――「先生があまりに一生懸命だったから、これで俺たちの成績が悪かったら、先生は校長先生に叱られるだろうなと思って、皆で放課後に勉強したんだよ。それでいつの間にか、数学が得意教科になっていたんだ」

 自分が伸びるためには、自分が工夫をして、努力するしかないのです。どんなにいい監督、コーチ、教員がついていても、自分で本気で頑張ろうとか、うまくなりたいと思わないことには、どうにもなりません。教員が一番大事にしなければいけない役割はそこです。
 教えることよりもむしろ、本人が積極的に学ぶ、教育から学習へ、どう導くか。その癖をつけさせるか、自立心を植え付けるか、なのです。そうでなければ、「守・破・離」は叶いません。
(第4章「生活環境を意識した指導が、子どもたちの自信をさらに高める」141‐142頁)

 「守・破・離」…「まず型を学び、それを守り、徐々に、改善を加えることで破り、最後はそこから離れて独自のスタイルを磨く」という武道のあり方。


 大矢氏が「それぞれの教科というのは、そのための道具というか、媒体にすぎないのです。」というのは、まさに私も同意見です。先にも紹介した本ブログの第6回「受験との葛藤」では、古文を通じて「大学に入ってから、大学を出てから、いかに問題を解決していくかという姿勢を、生徒たちに身に付けさせたい」ということを論じました。

 私は演劇鑑賞が好きです。舞台というのは、役者同士はもちろんのことなのですが、観客との関係もが役者と一つになって、一回一回作り上げられているもので、とても授業に似ている興味深いものだからです。同じ題目の舞台を何回か観てみるとわかるのですが、毎回違うのです。役者も観客もノリノリの最高の舞台が時々あるのです。見えないけれども、何かの高まりがあり、それが感動につながります。成功と言えない舞台であっても、随所に鑑賞した個々人の印象に残るシーンもあったりするものです。
 授業でも、きっと同じ効果が発せられているとしたら、私たちは目に見えない〝それ〟を信じる気持ちが大切ではないでしょうか(ちなみに、大矢氏も授業を演劇に似るととらえています)。――強制の補習よりも何よりも、全力で一回一回の授業! それが私の信念です。

【補足】もちろん、授業だけではカバーできない内容、授業だけでは不足という子どもたちがいるのも事実です。大矢氏も、「学校の授業だけで十分という子どもたちは多分、全体の三割からせいぜい四割程度」というのを「せめて、六割から七割は、学校の授業で足りるようにしたい」と述べ、「落ちこぼしてしまう子、伸びこぼしてしまう子」について「塾や予備校によるフォローでうまくカバーできるあれば、活用すればいいのではないか。そうすれば、子どものためになるのではないか。そう考える、教育委員会や学校経営者も増えてきました。」と提案しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?