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安彦忠彦『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり』⑥(2019年3月20日)

 安彦先生は、松下佳代氏と国立教育政策研究所の「21世紀型能力」モデルの提言とを参考に、「人格」と「学力」にコンピテンシーを分けるご自身の立場から、次のようにコンピテンシーを定義しました。

「人格」=人格特性・態度・資質(「資質」を筆者は「能力」の中に含めない)
「学力」=学校で育てられるべき能力

①道具的能力:基礎的な読み・書き・計算の技能、基本的な一般的知識、学習能力(学び方・学習意欲・ICT操作能力)
=基本的認知能力(基礎・基本) ※基礎は人格の一部にもなる
②社会的能力:対人的スキル、新状況への適応能力
=対人関係能力(基礎・基本)
③システム的(実践的思考)能力:実践的学習能力、分析・総合能力、実践的適用能力、独創的創造能力(独創性・創造性)
=高次認知能力(個性)+実践的能力 ※「実践的能力」の別立ても可。

 安彦先生は、学力を「生活能力課程」「基礎的学力課程」「発展的学力課程」の三層で示します。そして、「生活能力課程」と「基礎的学力課程」を「人格形成」として誰もが「平等」の面から受ける権利のある「つなぐ」教育であるとしています。そして、「基礎学力課程」と「発展的学力課程」を「学力形成」という、「古来「能力を引き出す」という西洋流の「教育」の原意を重視」した「ひきだす」教育であるとします。「人格」とは「全体」概念であり、この「学力」は「部分」概念に過ぎないけれども、「平等」に対する「自由」の面で、個性が最大限の尊重される課程(コース)のまとまりととらえます。また、先生は「人格」が「全体」概念だから、「人格形成」(「ひきだす」教育)は「発展的学力課程」までを含むのが本来ではないかという見方もしています。
 そして、「基礎学力課程」は「学力」と「人格」の重なる部分であり、「基礎学力」が「人格」を支え、「社会的・文化的な面」を持つことであるのも本ブログでも前回のところで述べましたが、「基礎的な技能の習得は強制するのは、子どもの興味・関心を無視しているので望ましくない」と言って、習熟のための反復練習を否定する多くの教育心理学者のあり方に疑問を呈しています。
 「その種のものは、考える学習の中で身につくものだ」というのがその大方の意見なのですが、安彦先生は「多くの子どもの場合、事実上、それでは不十分であることは明らか」だと断言したうえで、単なる機械的で無味乾燥な反復ではなく、「リズムや歌、ゲームなど、楽しさを加えて学ばせること」を主張されます。これは、国語で言えば漢字学習、文法学習などにおいて、教材づくりの面で現役の教員が、自分の目の前にいる子どもたちの段階や個性に合わせて工夫をするべき、ある意味上腕の見せ所となる課題ではないかと私は考えます。
 最後に、上記の「学力」の①②③の相互の関係を整理すると次のようになります。

 ①と②を使って③が育成される。ただし、それには「自由」が許される必要がある(実践性や創造性・独創性が一定の枠の中でしか許されないのであれば、発展性・や進歩性は生まれないため)。
 また、③の能力を発揮する経験を通して、①や②が強化されたり、修正されたりするただし、この相互作用だけで①や②が十分質のよいものになるわけではない(反復による習熟が必要でありかつ重要)。
                                    (つづく)


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