サンドイッチ教への勧誘
普段はあまり食べない料理の中にサンドイッチがある。とくに、嫌いというわけではない。けど、深夜2時にサンドイッチが夢に出てきてコンビニに向かわせるほど好きなものでもない。
めんどくさい、まどろっこしい表現を無視するなら、「ふつう」である。
セブンイレブンに行ったはいいが、何を買ったらいいのか分からないときに、ついつい手が伸びてしまう、『あればそれで』的な存在だ。
しかし、そんな存在のサンドイッチを無性に食べさせたくなる人物が世界には2人いる。「村上春樹」と「スティーブンキング」だ。サンドイッチ教の教祖の地位を狙って今も争いを続けている。
宮崎駿もその世界に足を踏み入れてはいるが、今の彼にはカップヌードルというイメージしかなくなってしまったので、却下だ。
彼らは無意識に訴えかけ、攻撃してくる。その力は強力でサンドイッチなどには興味も関心もなかった人間の行動を変えてしまう。
カルト宗教が信者を洗脳するときと似ている。そして、彼らの洗脳原理は主張しすぎないことだ。
「私はこの食事で人生を変えたのです。」「その食生活危ないですよ!」などと絶対に主張してこない。あくまでさりげなく訴えかける。
そして、彼らは自らの手を汚さない。彼らからは絶対に直接サンドイッチの話はきくことはできない。なぜなら、彼らにはワタナベくんやルイスっといった優秀な代弁者がいるからだ。
彼らは、代弁者を使って洗脳をしむける。あくまでさりげなく、目立たないように。何度も何度も。
それは、「冷蔵庫にこれしかない。やれやれ。」とサンドイッチには興味がないふりをしてくいる場合もあるし、「ボローニャソーセージとチーズのサンドイッチ」という謎に満ちたワードを散りばめ、Wikipediaに誘導し、サンドイッチへの渇望を目覚めさせる犯行におよぶ場合もある。
(スティーヴンキングの「呪われた町」は小さな町を吸血鬼が襲う話しだが、もしかしたら、それはメタファーでしかないのかもしれない。本当の目的はサンドイッチに飢えた人間を生み出すことだ。そう吸血鬼が血に飢えるように。)
そして、だんだんとそのような執拗な攻撃を受けた人間は意識の片隅にサンドイッチという好きでも、嫌いでもないない「とりあえず」な食べ物への無意識な欲求を植え付けられてしまうのだ。
たとえば、お腹が減ったときに何を食べるか想像する。人間にとってこれほど楽しく、幸福に満ちた時間はないであろう。しかし、せっかく想像力を働かせて思い描いた美味しいものの片隅に、奴が姿をあらわす。チラッと。
それは、ロイヤルホストかもしれないし、デニーズのことかもしれない。また、何かは分からないが、ふわふわした物体かもしれない。しかし、本人がその無意識に気づくことはない。それだけ彼らの潜在意識への働きかけは自然なのだ。
こんな話を聞いたことはないだろうか?
親子丼の材料を買いに行ったのに、気がついたらチキンサンドになっていたという、教訓もクソも何もない話を。
彼は、当時28歳だった。凝り出したらどんなに面倒臭いことでもやらないと済まない性格を持ち合わせていた。
彼はあるとき、テレビで親子丼の作り方を見て以来、親子丼の虜になった。
そのときの心境をこう語っている。
「なぜだか分からないけど、やらなければいけない気がしたんだ。」
彼はコストコで、フライパンセットを買ってから西友に向かった。何度も繰り返し、親子丼の作り方を見たおかげで何を買えばいいのかは考えなくても分かっていた。
鶏肉
卵
玉ねぎ
ネギ
米
調味料
買い物を素早く済ませた彼は急いで家に向かった。お腹が空いたし早く食べたい気持ちでいっぱいだったのだ。
慣れない料理に悪戦苦闘すること2時間。
それはついに完成した。彼は初めての料理をお祝いするために、1人で「八海山のコーラ割り」を飲んだ。
「さて、どうかな?どうかな?」と猫をあやすときのような恥ずかしく、虚しい独り言が口から漏れたが気にしなかったそうだ。
「料理を初めて作ったんだ!という自信の方が勝ってね。そんなことはどうでもよかったんだ。」と彼はのちに語っている。
「さあ、たべよう。」
しかし、彼の目の前のテーブルには親子丼とはとうてい呼べないものが置いてあった。
鶏から卵をむしりとり、その肉を痛めつけ、本当は親子ではないかもしれないが、人間の都合で親子だ!と言い張る料理という共通点はあったが、何かが違う。そうだ、これは・・
「いゃ〜。あれだけ無意味な横文字が大嫌いだったのに、このときほど自然に僕の口を切り裂いたことはないね。"This is ChikinSand!!"ってね!」
彼28歳も彼らのさりげない暴力の犠牲者だ。しかし、これもほんの一部でしかない。犠牲者は少なく見積もっても1億人はくだらないだろう。
もし、親子丼の材料を買いに行って、パンは4枚切りにしようか8枚切りにしようかで迷っていたり、親子丼には必要ないはずの緑の野菜を脇に抱えていたり、ネギを素通りしてパクチーを選んでしまったら要注意だ。すぐに、レシピを見直す必要がある。
くれぐれも、あの2人には気をつけなければならない。隙があればすぐに入り込んできてしまう。何たってサンドイッチ教の入信料は本3冊だけだし、流行りのカルトみたいに、「よこせ!」とは言ってこない。勧誘もない。あくまで、さりげなく「発売になります。」程度のものだ。
もうひとつサンドイッチ教について話しておきたいことがある。
それは、サンドイッチにばかり気を取られるなと言うことだ。下の写真は西友の袋を開けたら出てきたものだ。ちなみに私の常備酒は「いいちこ」だ。
「ものごとはそんなに単純じゃない。分かるね?ベイビー。サンドイッチだけがすべてじゃないんだ。」と聞こえたような気がした。