シン・エヴァンゲリオン劇場版:‖をみてTVシリーズ最終回のように「おめでとう」と涙しながら拍手している私がいた。

エヴァンゲリオンはわからないながらも子供の頃リアルタイムにアニメ放映を体験しておりました。思春期に再放送だったかわすれましたがやはりまた見ていまして、旧劇場版にも足を運び、「わからない」ながらも、ずっと、半ば義務感すら感じながら、新劇場版も最後まで観まもって来た人間です。

さて、仕事が忙しかったうえ、慢性呼吸器疾患があるために劇場で観るのを見送っていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版:‖」。今日ふらっと、洗濯物をたたみながら、「今観よう」という気持ちになり、アマプラで視聴しました。

最後を見届け、私は感動して泣いてしまいました。
この感想をなんとなく言葉にしておきたくてnoteにまとめます。

言語化が難しいけれど、ただわかる。庵野秀明さん、モヨコさんと出会えてよかったねということが。

子供の頃、思春期、そしてすっかり大人になった現在まで、エヴァンゲリオンを見続けてきたからこそ、より理解できて、ただ泣いてしまった。

言語化するのが難しいのですが、こんなに自分の内面に深く深く潜ってアニメを作り続けるのめちゃくちゃしんどかったろうなと思うんです。でも庵野監督が今幸せなのがわかった気がする。

苦しみながら生きる庵野監督が、人と生きることを諦められなかったら、モヨコさんと出逢い、周りには仲間たちや友達もいて、ありのままの自分で大人になって生きることができるって気付いたのかなあと。
憶測ですけどもね!!
でもそういう、作家本人の精神性を感じる作風なので、そう受け取りました。

なんて言ったらいいか分からないけれど、ずっともがいて来た一人の男性が苦しみを受け入れ解放される瞬間を見届けた気持ちだし、映画を通して生きることの残酷さも苦しさも、そして美しさも喜びも感じてしまった。
そうしてシンジくんは、大人になったんだなぁ。

ゲンドウはついにシンジくんを、自分の子供、ユイの忘れ形見という延長線から切り離して、ひとりの人間として認められたんだなって。

父子から、お互いにひとりの人間として向き合って、そういう人間だったんだと認めあった感じがしました。
お互いに人格を、存在を、どんな形でそこにいるかを肯定し合ったっていうか。

ただの父親殺しでオチを付けなかった所にすごく成長を感じましたし、それがわかる私も、一緒に大人になったんだなって思った。

そんなわけで、観終わった今完全に「おめでとう」の気持ちになっており、初代アニメ最終回の「おめでとう」「ここに居てもいいんだ」が完全に理解できるし腑に落ちている。

庵野監督の人生に今その自己肯定と隣に立つ人が居ること、居場所がある事を感じ、おめでとうと涙し拍手している私がいました。

アニメ放映時からずっとエヴァを観てきたからこその境地なのだと思う。ずっと見守って来てよかったなと思う。
視聴後、私の中には「人の中で生きることの希望と喜び」が胸に残った。

庵野秀明さん、おめでとう!!!

ところでさー!?
浜辺に打ち上げられた大人になったアスカがほんとに綺麗で、「アスカーッ!!」てなった。

子供の頃はつんつんしてて当たりきついなーって思ってたんですけど、大人になればなるほどアスカって可愛い女の子なんですよね。この子は背伸びしてるけどまだ子供だし、健気だ……てわかる。

そんな彼女が大人に成った姿のなんと美しいことか!
なんかすごく感動してしまった姿でした。

今の宮村優子さんだからこその強い女性としての側面を感じて。いやーアスカ、いい女になった。

宇多田ヒカル先輩の歌がどれだけ作品の内面性や変化を的確に捉えているのかということにも驚く。

作曲する上でそんなに話全部聞いて作ってるわけじゃないとお話されていたのをどこかで読んだと記憶している。

すごい。

言葉にする感受性のすさまじさを感じた。
ヒカル先輩も生きる苦悩と喜びを知ってる人だと思うし、お母様を失くしたことへの喪失感だったり色々な思いを抱えて、あるいは消化してきた方だからなのだろうか。

ゲンドウとユイを感じさせる「One Last Kiss」と、そこから「Beautiful World」につながるエンディングがまたよかったです。


世界は美しい。
碇シンジくんも美しい。
その肯定で終わっていくのがとても心地良かった。