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rose-rosy-rosarium(2)

「あそこがバラ園の入り口ぽいな」とフィルが指差す向こうには薄いピンクのバラのアーチが立っていた。「アレか!!わーい、やっと着いたね」ようやく笑ったスティーヴに、フィルはホッと胸をなで下ろした。「時間はあるからゆっくり行こうぜ」こいつは自分の好きな物があると一目散に飛び出して行ってしまう。子供の時に飼っていた犬そっくりだ。自分が行きたいって言ったくせに、ロクに花も見ないのか。多重咲きの美しいピンクのつるバラ達が、まるで歓迎するかのようにテラーツインズの頭上に広がっているというのに。

 「……バラのアーチの下で告白すると幸せになれるって誰かが言ってたな」フィルの呟きの後半部分は折からの風にかき消された。「…何か言ったぁ?」早々とアーチを抜けたスティーヴが振り返ってニヤっと笑った。このアーチのバラのように、繊細でたおやかな俺の相棒。ちゃんと聞こえてるくせにトボけやがって。「バーカ。気が変わったから二度と言ってやんねぇぞ」「もう、フィルったら!早く行こうよ〜」屈託の無い笑顔で、スティーヴはフィルの袖を引っ張った。「結構咲いてるじゃん!今日来てよかったね!」中は思ったより広く、色とりどりのバラ達が妍を競っていた。華やかな大輪の真っ赤なバラ、可憐な野ばら、見覚えのあるあのバラは、婆ちゃんが丹精込めて育てていたオールドローズだ。まだ実家の庭にあるのだろうか・・・フィルが風に吹かれながらゆっくりバラ達を愛でている間に、スティーヴはどんどん奥へ奥へと一人進んで行った。

……あれ?振り返ってもフィルが見えない。

「置いてきちゃった」スティーヴは呟いてやっとゆっくり歩き始めた。フィルったら追いかけてもこない。んもう、と女の子のように頬を膨らませたスティーヴの鼻先を、White Arrowという名の大きな白バラの花がくすぐった。綺麗じゃーん、と呟いて迷わずその花を手折り、近くにあるちょっとした茂みにしゃがみこんでフィルを待つことにした。通ったら驚かしてやろ。バラの茂みはチクチクする。この見事な白バラも立派な棘が付いていて、持っていると手がチクチクしてくる。——まったくフィルったらのんびりなんだから。ケツに穴が開きそうだぜ。優しい風に舞う花びらをぼーっと見ているうちに、やっとフィルの声が聞こえてきた。「スティーヴ、どこだぁ?」キョロキョロしながらフィルがやってくる。来るぞ来るぞ・・・スティーヴは痛さも忘れてバラを握りしめた。驚かそうとしたまさにその時、「おかしいなぁ、こっちじゃなかったのかなぁ?」フィルは振り返って違う方に歩いて行ってしまった。ちょ、ちょっとちょっと。こうなるとこっちから出てくのも癪に障る。しょうがないなぁ、ヒントをあげよう。

 たらららら、たらったーん。たらららら、たらったーん。スティーヴは「フォトグラフ」のリフを口ずさみ始めた。これなら気付くだろ。たらららら、たらったーん。口ずさみながらなんとなくバラの茎を弄び始めた。棘を取るのではなく、明らかに手を傷つけようとしている動きで。美しいバラの棘は遠慮なくスティーヴの白く長い指を血に染めて行った。早く見つけてくれないと、俺、ギター弾けなくなっちゃうかもよ?…たらららん。

 「スティーヴ、見いつけたぞぉ」フィルがやっと茂みを覗き込んだ時、スティーヴの手は血まみれだった。「何やってんだお前!!」顔色を変えたフィルにスティーヴは引きずり出された。はずみで棘がスティーヴの頬をかすった。たらららら、たらったーん。スティーヴは口の端に笑みを浮かべながらバラの棘を弄っている。「綺麗だから貰っちゃった」「バカ!それよりも、手!!」もう手のひらからも出血が始まり、純白の花びらにも付いていた。「やめろ!!」スティーヴの細い手首を掴むと、フィルの手にも血が付いた。——こいつはまた俺の気を引こうとしている。「バラの掻き傷で死んだ奴もいるんだぞ!ギター弾けなくなったらどうするんだ!」スティーヴはうなだれて「……ギターなんか。時々弾けなくなっちまえばいいんだ」と消え入りそうな声で呟いた。「何だって?」フィルの顔色がまた変わった。「おいスティーヴ、こっち向いてもう1回言ってみろ」「あぁ何度でも言ってやるさ、ギターなんか時々弾けなくなっちまえばいいんだ!!」

——さあどうするフィル?特大のゴネが出たぞ。フィルは心の中で自身に問いかけた。近頃のスティーヴはスランプ気味で、他のメンバーにはそうでもないがフィルには時々感情をぶつけて当たり散らすのだ。突き放すか、寄り添ってやるか……表情を変えないフィルを見るスティーヴの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。「ハンカチか何か持ってるか?」スティーヴは黙って首を横に振った。「——バカだな」ポケットから取り出したバンダナで、フィルはスティーヴの両手を拭った。「俺、こんな手は繋ぎたくないぞ」フィルの言葉にハッとした顔をして、スティーヴはくすりと笑い鼻をすすった。「落ち着くまでそれ貸してやるから手を洗ってこいよ」と手洗い場を指差した。…やれやれ、世話が焼けること。スティーヴが手にしていたバラを拾うと、大きい棘、小さい棘、まっすぐ伸びた茎は血を吸って黒っぽくなっている。フィルはゆっくりと、胸ポケットにスティーヴの血を吸った白バラを入れた。


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