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巣鴨プリズンと岸信介(2016)

巣鴨プリズンと岸信介
Saven Satow
May, 11, 2016

「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」。
岸信介

 「昭和の妖怪」と称された岸信介が戦後長らく影響力を持った一因として巣鴨プリズンでの振る舞いが挙げられる。彼は1945年9月から48年12発まで巣鴨プリズンにA級戦犯容疑者として拘置されている。この間の行いは収容者間で評判が悪くない。

 岸に限らず、巣鴨プリズンに収容されたにもかかわらず、戦後も影響力を持った人は、概して、そこでの振る舞いの評判が比較的よい。その一例が笹川良一である。彼の所内での態度は容疑者の間で一目置かれている。

 もっとも、それは待遇改善の要望を所長宛てに書いたり、看守の嫌がらせに耐えたり、使役労働に音を挙げなかったりという姿である。実は、評判のいい振る舞いはずるをしないということに尽きる。食事の列に割りこむとか、裏で係にたばこを渡して配膳の量を多くするとか、所長宛てに誰かを貶める情報を書くとかいった自分勝手な行動をする者が少なくない。そんなずるをしない人がプリズン内で評価を上げる。

 もちろん、巣鴨プリズンの待遇は人肉食まであったシベリア抑留の過酷さとは比較にならない。けれども、戦犯容疑者は各方面で高位にあり、戦争指導・推進を担ってきた人物である。功なり名なりを挙げ、人の上に立った彼らがプリズンに収容されたという事情は考慮する必要がある。

 ずるをしないことが評価の基準と聞くと、小学校のクラスの児童同士のそれを思い起こさせる。彼らは所内で個人として拘置されている。それまでの地位や立場、肩書などは通用しない。内的規範意識の他にエゴを拘束するものもなく、人間性が露出する。高級軍人・官僚も小学生と同様の状況に置かれる。

 人は表と素を生きている。表において人は役割を演じる。地位や立場、肩書など社会的なものだけでなく、夫や父といった親族的なそれも含まれる。役割はその人を拘束すると同時に依存させもする。海軍中将だと周囲が扱ってくれるから、自分もそれに甘えられる。

 一方、素は個人としての姿である。言動を拘束するのは内的規範意識だけで、人間性と言える。行列や座席、刑務所など番号で扱われる場面を思い浮かべればよい。数であるから、優劣がなく、個人として平等と見なされる。

 表と素の関係は人によって異なる。公人として広く認知されている人は表が大きく、素が小さい。戦犯容疑者は、指導者層だから、概して表が肥大化した人物である。表に拘束・依存して生きてきたので、素で振る舞うことが少ない。そうした経験が乏しいから、素が成長していない。彼らが素で過ごさざるを得ない巣鴨プリズンに収容されると、卑しく、エゴイスティックで、醜い姿をさらしてしまう。

 高級軍人・官僚などエリートは醜態を露わにし、プリズン内で大いに評価を下げている。一方、独立独歩型の人物は好印象の振る舞いをしている。比較的素が大きいので、所内においても豹変しない。御厨貴東京大学名誉教授は彼らを「セルフメイドマン」と呼んでいる。笹川良一はその典型である。

 セルフメイドマンは、教授によると、説明や言葉、論理を必要としない世界において、睨みをきかせる人物の押し出しがみんなを納得させるタイプである。存在そのものによって非公式の影響力を行使する人物だ。反面、「アルカナ・イペリアル(Arcana Imperial)」すなわち秘密政治の彼らは、ロゴスの世界の民主主義とは相性がよくない。戦前ならいざ知らず、彼らは戦後民主主義の一般とは理解共有しない。フィクサーや黒幕と呼ばれて暗躍し、スキャンダルを契機にしばしば表に現われる。

 公式・非公式を問わず、影響力を発揮するためにはその裏づけとなる権威や実績が不可欠である。教授は、収容者の日記を丹念に調べ、所内での人間評の一端を明らかにする。その作業を通じて、フィクサーの力の源泉の一つを巣鴨プリズンでの振る舞いに見出している。あの状況下で人間的に振る舞ったことが説明や言葉、論理を介せずとも睨み一つでみんなを納得させられる。ただ、影響力は人格的であるから、その人を離れて発せられず、制度にはなじまない。

 そうした独立独歩から岸信介の評判は悪くない。興味深いのは、所内での振る舞いに接し、それまでの見方を変えた人もいることである。その一例が石原広一郎だ。

 石原は皇道派に近い実業家で、日本の南方進出を推した一人である。他方、岸は統制経済推進の中心人物で、満州経営にも深く関与している。石原は戦時中そんな岸を嫌っている。

 ところが、プリズン内での岸の姿を目にして石原は評価を改める。岸は国家が資本の活動を管理・統制することの限界を認め、市場経済を肯定している。また、明るく、社交的で、さまざまな人とうまくつきあっている。まだ若いし、政界復帰の夢もあるようだから、外に出られたら、岸を支援してやろうと石原は考えている。

 余談ながら、石原は笹川を先の理由で評価しつつ、児玉義男に関しては暗いとさほどでもない。戦後の笹川と児玉の存在の違いがここから見受けられる。

 岸は巣鴨プリズンでの振る舞いにより仲間を増やしている。出所後、石原や笹川を始めかつての容疑者が岸の政治活動を支援している。1957年岸は首相に就任する。A級戦犯でありながらと言うよりも、A級戦犯だったからこそ総理になれたと言えなくもない。60年に辞職してからも、政界で影響力を発揮している。彼の戦後のキャリアに巣鴨プリズンでの態度が影響したことは確かだろう。

 しかし、それは岸が戦後民主主義と相性の悪い面を持つ政治家ということも意味する。相反する。岸の統治は国民をまとめるのではなく、分裂させている。強引な手法は不振と反発を招き、激しい反政府デモを引き起こしている。

 高度経済成長は岸内閣の頃より始まったという意見がある。実際、それを示すデータも確認できる。けれども、高度成長は池田隼人内閣からスタートしたと理解すべきである。池田が国民融和を求めて「寛容と忍耐」を掲げて首相に就任し、所得倍増計画を打ち出して官経済中心政策をとったからである。

 政治制度や経済政策は人々のまとまりの上で初めて効果的に働く。途上国を見ればわかるように、内部に分裂と対立を抱えていては、制度や政策はそれを増長する危険性さえある。誰かがずるをしているから、貧富や民族、宗派の格差があると不信感が社会に渦巻いている。民主的選挙として実施されながら、結果をめぐる衝突が暴動や内戦にまで発展することもある。そんな途上国では、何よりも、誰もずるをしていないと国民がまとまれるように政府が目標を掲げ、経済中心政策をとることが必要だ。

 完成度の高い精度や政策であっても、運用が効果を発揮するためにはそれへの人々の信頼感が必要である。そのためには社会に相互信頼が形成されていなければならない。誰もがずるをしていないとお互い様と思える関係だ。政府はこうした共同体意識を強めるように振る舞うことが求められる。

 岸は国民のまとまりが民主主義体制の前提ということを理解していない。説明や言葉、論理によって国民の共同体意識を強めることに見向きもしない。それどころか、共同体意識を分裂させ、相互不信をもたらす統治を進めてしまう。

 池田はそのばらばらになった国民をまとめることに取り組む。その際、彼は周囲のアドバイスに従い、与えられた役割を愚直に演じ続ける。メガネやスーツを変え、好きな待合やゴルフにも行かず、低姿勢を示す。表を極限化させて内面化し、素を消し去ることも厭わない。国民はそんな池田の時代にまとまっていく。

 「三代目祖父の名前で飯を食い」という川柳がある。今も続く三代目の統治はその祖父の名前を改めて思い起こさせている。けれども、それ以上に再認識すべきことがある。岸の後に登場した池田の振る舞いの民主主義における意義である。
〈了〉
参照文献
御厨貴他、『政治学へのいざない』、放送大学教育振興会、2016年

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