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パラオ語中の日本語(2012)

パラオ語の中の日本語
Saven Satow
Apr. 13, 2012

「金科玉条のようにして、本来的な言葉だけを守るというのは、硬直した精神であるかのように見えます」。
金田一秀穂『適当な日本語』

 日本の帝国主義の特徴の一つは植民地・占領地に日本語教育を敷くことである。欧米列強、特に英国の場合、現地の人々を分断し、その対立を利用して支配するので、社会の上位層を別にすれば、教育自体に熱心ではない。ところが、帝国日本は植民地は言うに及ばず、戦争によって占領した地域でも、現地人向けの日本語教育を行っている。さすがに、義務教育制はとっていないものの、明らかに日本の統治下では日本語に特別の意味を持たせていたと考えざるを得ない。

 日本語への過剰な意味づけは、日本の帝国主義の置かれた状況から派生している。日清戦争の勝利により、日本は台湾を領土に加える。ところが、前近代を通して、日本は大陸文化の非常に強い影響を受けている。日本の帝国主義には、文化的に多大に負っている地域を支配するという倒錯がある。イギリスのインド経営には、こうした屈折はない。しかも、日清戦争の結果は西洋近代文明を借りて可能になっている。日本は、植民地支配を始めるにあたって、欧米列強と違い、自らのアイデンティティを問われている。そこで見出されたのが日本語である。東洋起源であれ、西洋起源であれ、いかなるものも日本語を通過すると、すべて日本化される。戦前の日本最大のイデオロギーは日本語である。天皇制ではない。

 戦間期、日本は南太平洋地域を委任統治領としている。パラオもその一つである。多くの日本人が移住し、加えて、他の植民地と同様、現地の人々に対しても日本語教育が敷かれている。初等教育機関は「公学校」と呼ばれ、1930年時点で、履修期間は3年が通常で、さらに続ける場合、補習科2年が用意されている。義務教育ではない。植民地の教育は文部省の管轄ではなく、各統治機関が独自に教育部署を設け、教育制度やカリキュラム、教科書等を定めている。その教育内容は圧倒的に日本語教育に割かれている。なお、日本人の子弟は「小学校」に通い、こちらは内地の初等教育機関に準拠している。

 こうした歴史のため、パラオ語の語彙には日本語由来の単語が多数含まれている。フェイスブックに”Over 600 Pal-Jap words”というページがあるので、日本語由来の単語がパラオ語にいかに多いか確認できる。”abaio(あばよ)”や”daijyob(大丈夫)”などこんな単語まで入っているのかと驚かされる。

 そのページのリストの上から10組を引用しよう。

Palauan 日本語
abaio あばよ
abarer 暴れる
abunai 危ない
aburapang 油パン
aibo 相棒
aikio 愛嬌
aiter 空いている
aizu 相図
aji 味

 これだけでも名詞から動詞、形容詞、感動詞に至るまで広く日本語がパラオ語に入っていることがわかるだろう。スペルは、むしろ、日本語のローマ字つづりよりも実際の発音に即している場合も見受けられる。

 ただ、単語によっては日本語と発音や意味内容が若干異なっているから、注意が要る。例えば、パラオ語の”karui”には重さに関する意味がなく、「こんなの簡単」や「へっちゃら」といった用法だけである。また、「飛行機」は”skoki”となっている。

 日本の帝国主義の特徴の一つは日本語教育の実施であるが、日本語と現地の言語の間でどのような言語接触が起きたのかに関しては不明な点が多い。パラオは、社会言語学による研究成果もあり、それが比較的明らかになっている数少ないケースである。

 日本語に起源がある単語は人名にも及ぶ。1993年から2001年までパラオ共和国大統領を務めた人物は「クニオ・ナカムラ(Kuniwo Nakamura)」である。また、現教育大臣の名前は「マリオ・カトウサン(Mario Katosang)」である。「カトウ」ではない。「カトウサン」だ。さらに、副大統領執務室室長は「ウォーレン・ウメタロウ(Warren Umetaro)」である。日本では「ウメタロウ」は個人名であるが、家族名として使われている。

 帝国日本では、日本語を自分たちのアイデンティティと捉え、支配地でも日本語教育を行っている。しかし、それは日本語を不動の「モノ」として扱っていたにすぎない。実際、異民族に教える都合上、方言など統一性を損なうものを徹底的に排除する著しい純化が進められている。その教育は、現地の人々にとって、日本語への一方的な従属である。けれども、言語は、他の言語に対して、開かれた差異として関係している。異言語が接触して、相互作用を通じて変化したり、新たな言語が生まれたりする。日本統治が終わっても、パラオでは日本語に由来する単語が使われ、独自に発展している。それは日本語に対する積極的な姿勢の所産である。今の日本語人がパラオ語の中の日本語に触れた時、自分の自明性が相対化される。日本語を使っていると思っていたが、実際には、日本語に使われていただけではないかと気づかされるだろう。

 ナカムラ元大統領やカトウサン教育相、ウメタロウ室長らが統治機構に加わっているパラオは代議制民主主義を採用している。その制度に関する用語にも日本語由来が含まれている。”senkyo(選挙)”や”kohosha(候補者)”などがその例である。ただし、”senkyo”には投票の意味がある。

 パラオを支配していたのは日本だけではない。第一次世界大戦前はドイツ、第二次世界大戦後はアメリカが統治している。にもかかわらず、代議政治の重要な用語に日本語が使われている。日本の代議政治の実情を顧みると、少々気恥ずかしい。日本の政治にも相対化が必要だろう。
〈了〉
参照文献
金田一秀穂、『適当な日本語』、アスキー新書、2008年
駒込武、『植民地帝国日本の文化統合』、岩波書店、1996年
Over 600 Pal-Jap words
http://www.facebook.com/notes/palauan-japanese-words/over-600-pal-jap-words/113235022032845


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