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ビートルズと田中角栄(2016)

ビートルズと田中角栄
Saven Satow
Jan, 02. 2016

「ともかく、受験に向かって走れ。なるべくなら、BGMは陽気なロックがいい。受験生ブルースなんて、はやらない」。
森毅『BGMは、陽気なロックがええ!』

 2016年はビートルズ来日からちょうど50年に当たります。ビートルズは、1966年6月30日から7月2日にかけて、日本武道館においてコンサートを行います。この実現に至るまで政治家を始め保守派から武道館をロック・コンサートに使用することへの非難が相次いでいます。TBSの『時事放談』で細川隆元と小汀利得がビートルズを「こじき芸人」と罵ったことはあまりにも有名です。

 そのビートルズの曲に理解を示していた保守政治家がいます。田中角栄です。当時48歳ですから、やはり新世代の保守政治家と言わねばなりません。

 ビートルズ公演をめぐり、当時の佐藤栄作内閣でも、あれこれとりただされています。そこで角栄は息子の田中京にビートルズを聴かせて欲しいと頼んでいます。『イエスタデイ』と『アンド・アイ・ラヴ・ハー』を耳にすると、「ふん、なかなかいいじゃないか」と感想を漏らしています。いずれもポール・マッカートニーのバラードです。

 角栄は吃音を治すために幼い頃から浪曲を習っています。政治家になった後、レコードまで吹き込んでいます。浪曲は、西洋音楽と違い、拍子がとれません。特徴が違いますが、音楽が好きなことは確かです。

 当時、角栄は、演説で、「当節の長髪の若者」と折につけ肯定的に言及しています。息子の京はロックに熱中し、後に音楽評論家になっています。「当節の長髪の若者」は彼の愛する息子そのものです。角栄にとってビートルズは息子世代の音楽です。ビートルズを気に入ったことに不思議はありません。

 と同時に、ビートルズの受容は従来の規範への抵抗が含まれています。角栄も当時の政界で既存の秩序に挑戦する政治家と見られています。政界の要職の最年少記録を次々につくり、大胆な政策も断行しています。戦後初の30歳代閣僚として郵政大臣に就任した際、テレビ局の放送免許を大量交付したのはその一例です。角栄自身がビートルズのような存在です。放送法が昨年取りざたされましたが、角栄を思い起こせば、それはまるでビートルズ公演への非難と同じでしょう。あの伝説の公演が半世紀前のことだと思えない今の時代です。
〈了〉
参照文献
早野透、『田中角栄』、中公新書、2012年
森毅、『居なおりのすすめ』、ちくま文庫、1993年

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