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鈴木式高等炊事台に見る技術者の想い(2010)

鈴木式高等炊事台に見る技術者の思い
Saven Satow
May, 04, 2010

“The kitchen is seasoned with love”.

 数ある和製英語の中でも、「システム・キッチン」は白眉の一つでしょう。それに相当する英単語は”A built-in kitchen”もしくは” a fitted kitchen”です。しかし、これは、見かけを言い表しているだけです。

 一方、「システム・キッチン」は、ドイツ語由来とも言われていますが、それが基づく理論を具現しています。台所全体を一つのシステムと捉え、各所の作業をユニットに分類し、それらを効率性の観点から配置して、用者の動線を短縮しているのです。現代風に言えば、システム論に立脚した台所です。

 この発想が生まれたのは、北川圭子札幌理工学院教授の『ダイニング・キッチンはこうして生まれた』によると、アメリカです。1860年代、キャサリン(1800~78)とハリエット(1811~96)のビーチャー姉妹が船の調理室から台所改善を考案しています。「女性の地位向上」と「黒人奴隷解放」には、家事労働の軽減が不可欠だと考えたからです。

 彼女たちは台所の家事作業を調理・過熱・配膳・保存に分類し、それを効率よく配置することを提案しています。台所をシステムとして把握したわけです。姉のキャサリン・ビーチャー(Catharine Beecher)は教育者兼家政学者、妹は『アンクル・トムの小屋』の作者ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Beecher Stowe)として知られています。なお、彼女たちの父は奴隷制反対論者で、著名な会衆派教会説教者のライマン・ビーチャー(Lyman Beecher)です。

 1913年、アメリカのクリスティーン・フレデリック(Christine Frederick)が『新しい家事─過程管理における効率性の研究 (The New Housekeeping: Efficiency Studies in Home Management) を発表し、効率の良い台所と悪い台所を動線図を例に説明します。彼女は、フレデリック・テーラー(Frederick Taylor)が提唱した科学的管理法、いわゆるテーラー・システムを参考にしています。これは工場労働の新たな労務管理法で、課業管理・作業の標準化・作業管理のために最適な組織形態を柱にしています。効率の良い台所では、流し・オーブン・ストーブ・食器棚などが作業手順に従って配置されているため、主婦の動線が短くなっているのです。

 日本も例外ではありません。大正時代は台所改革の運動が活発になった時期です。従前の台所は北向きで薄暗かったため火事の原因にもなっています。その上、明治以降に関西では立式台所が普及していましたが、関東においては依然として座式台所です。座式では能率も上がりません。主婦が一人で家事労働をこなすのは困難です。そこで、中流以上の家庭では、農村出身の娘を「行儀見習い」と称し、住み込みの女中として雇っています。衣服や食事は与えられたものの、無給が一般的です。また、主人家族と身分が違うとして、「女中部屋」が用意されています。

 オタク文化の伸長により、「メイド喫茶」が人気を博しています。けれども、そこのメイドはテキパキとして粗相のないように接客する気のきく女性ではなく、子どもっぽく、ドジで、垢抜けていない印象の少女たちです。この現状を考慮するなら、「行儀見習い喫茶」と改称すべきでしょう。

 ところが、都市部を中心に洋食が普及したため、油の使用量が増え、それまでの台所では対処しきれなくなります。給湯設備や清潔感のある立式台所など台所の改良が必要になっています。

 その要請に応えたのが、1922年から販売された初の国産システム・キッチン「鈴木式高等炊事台」です。これはクリスティーン・フレデリックに影響されながらも、独自の発想が付け加えられています。

「水盤台(流し台)」・「火器台」・「洗物承台(水切り台)」・「配膳台」が上部に配置され、米櫃や貯蔵庫が下部に設置されています。当時はまだ冷蔵庫が一般的ではなく、貯蔵庫が今日のそれに当ります。火器はガスか電気コンロで、流し台は鉄板に琺瑯(ホーロー)をかけたものを採用しています。これは画期的なアイデアです。

 ステンレス製登場までの歴史を振り返ってみましょう。今では流し台の標準はステンレス製ですが、それが登場したのは1956年の第2期の公団住宅からです。第1期では、まだ人研ぎ製です。人研ぎ(じんとぎ)は「人造石塗り研ぎ出し仕上げ」の略です。セメントに大理石や蛇紋岩などの種石と顔料を練り混ぜて塗り、硬化した後に砥石を用いて手で研いで表面を滑らかに仕上げたものです。現在では、グラインダーで研磨する方法が主流です。板状に成形した人研ぎ石を台所の流し台に使ったのが、いわゆる「人研ぎ流し」です。

 この人研ぎ流しは、しかし、若干贅沢で、大部分は木造です。当然、乾きにくく、次第に悪臭を放つようになり、清潔感に乏しいものです。

 しかも、人研ぎ流しは、誤って食器を落とすと割れてしまう危険性があります。また、古くなると、亀裂が入り、そこから水漏れがすることもあります。

 サンウェーブ社がステンレスを流しに採用することを思いつきます。けれども、当時はステンレスと言えば、18-8ステンレスです。これは鉄に18%のクロームと8%のニッケルを含有させた合金です。『婦人画報』が1936年に「不銹鋼(シテンレス)」と紹介しています。強度も高いのですが、非常に高価です。8%のニッケルを省き、18ステンレスを採用することにします。強度は落ちますが、台所であれば十分です。それでもまだ高価な材料でしたけれども、公団住宅の大量発注があれば、リーズナブルな値段に抑えられるのです。ステンレスは流しだけでなく、ガス台や調理台にも使われることになります。台所は薄暗い場所からステンレスが光り輝く明るい空間へと変貌を遂げていきます。

 この鈴木式高等炊事台を開発したのは鈴木啓介(ひろゆき)こと鈴木仙治(1900~90)です。大工の家に生まれた鈴木は、17年、築地工手学校建築学科を卒業しています。これは工学院大学の前身です。

 明治政府は、殖産興業には近代的な科学技術を習得した人材の育成を不可欠として、1871年、工部省に工学寮を設置、73年に大学を創設します。77年、同校は工部大学校(現東京大学工学部)と改称しています。さらに、現場でそれを担う職工の養成を目的として、1887年、工部大学校の関係者によって創立されたのが工手学校です。

 余談ですが、現在、人員整理や非正規雇用層の増大に伴い、社内研修制度が問題化しています。その会社の外では応用がきかない閉じられた知識・技能であるので、再就職の際に役に立たないのです。かつては徒弟制度だったため、親方が職場を移ると、弟子もついていき、人員の確保が大変です。そこで、企業は社内で初任者研修を行うようにして、人材の流出を防ぐようにしています。

 こうした経緯で誕生した社内研修制度ですから、いかに社外で使い物にならなくするかということが重要です。1980年代の終わりまで、企業は「大学は卒業証書だけ出してくれればいい。おかしな知識や技術を教えてくれるな、社内でするから」と公言しています。しかし、これは愚かな認識です。その結果、新卒者は驚くほど初歩的な知識もないまま就職し、企業はその研修のコストをさらに負担せざるを得なくなり、経営を圧迫していくのです。

 その後、建設設計事務所で腕を磨き、1920年、鈴木は台所設計設備会社鈴木商工を設立、22年、日本初のシステム・キッチン「鈴木式高等炊事台」を実用新案登録するのです。

 開発のきっかけは独立以前にまで遡ります。あるとき、帰化米人にアメリカ式の台所設計を依頼されたものの、鈴木を含め、設計事務所の誰もがそれに応えられません。鈴木は、それ以来、アメリカの最新理論を必死に勉強し、鈴木式高等炊事台を考案するに至ります。

 鈴木は食品に手が加わっていく順序を細かく分析し、フレデリックよりさらに動線を短縮しています。準備=流し=調理=過熱=配膳を考慮して各ユニットを配置します。加えて、鈴木は簀子(すのこ)を使った勾配のある水切り台を設置しています。従来、洗った食器はすぐに布巾で拭くのが一般的です。しかし、鈴木は水切り台に洗った食器を置いて自然乾燥させるほうが衛生的かつ合理的だと考えます。また、オプションとして廃物を戸外に直接捨てるダスト・シューターも用意しています。

 鈴木式高等炊事台は発売されると、『主婦之友』や『住宅』といった雑誌で紹介され、中上流階級の家庭でこぞって購入されます。非常に効率的なこのシステム・キッチンの体現する鈴木の台所科学は、極めて完成度が高いものです。30年以上経った後、ダイニング・キッチン(DK)のコンセプトに基づく公団住宅の登場によって修正が加えられてからも、現在に至るまで生き続いています。

 これほどの鈴木式高等炊事台と鈴木啓介(仙治)ですが、日本語のウェブを検索しても、ほとんど情報は出てきません。信じがたいことですが、せいぜい鈴木式高等炊事台が旧安田邸で使われていた程度です。

 英語版のウィキペディアの”Japanese Kitchen”の項目は鈴木式高等炊事台について次のように触れています。

“In 1922, Suzuki Shougyou began marketing a customizable kitchen set that came to be called the "System Kitchen." Many of its parts were prefabricated, and it could be made to fit in a space anywhere from 1.8 to 2.7 metres, the length of one to one-and-one-half tatami mats. The System Kitchen had a water sink, a cutting board, two or more gas stoves (not included), and cabinets for storage. This Suzuki kitchen was expensive, costing 120 yen at a time when a first-year bank worker earned only 50 yen per month. Today the same worker earns over 240,000 yen or over 2,000 dollars in a month”.

「鈴木商工」を”Suzuki Shougyou”としているミスは、これでは工学技術の会社にはならないので、この執筆者が日本語の非ネイティヴ・スピーカーであることを推測させます。そうであるからこそ、日本の台所を解説する際に、鈴木式高等炊事台を欠かせないという意識は敬服すべきです。何しろ、残念ながら、日本語版には見当たらないのです。

 技術者は科学者や発明家、起業家、芸術家ではありません。ハレとケで区分すると、ケの存在としてチーム・ワークで生み出したもので公益性に寄与するのです。どこの誰がつくったのかは知らないけれど、その製品や部品、技術が人々の間で定着し、必需となっている光景は、技術者冥利に尽きるというものでしょう。「鈴木式高等炊事台」はそんな技術者の思いを体現しています。

 それにしても、「ものづくりの国」を自認していながら、そのネット情報の現状はあまりにお寒いものです。もう少し技術者の思いに敬意を表してもいいでしょう。
〈了〉
参照文献
北川圭子、『ダイニング・キッチンはこうして生まれた』、技報堂出版、2002年

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