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戦後70年の反戦文学に向けて(6)(2015)

第6章 湾岸戦争と文学者
 第二次世界大戦後、国際社会は戦争のみならず、武力行使自体を原則禁止する。国際法はもう戦争など使わない。事変と言い逃れされるからだ。武力の行使を禁止する。戦争ができる国は国際法上存在しない。武力には実際の軍事力だけでなく、反政府勢力の兵舎の建設なども含まれる。武力行使の例外は個別的自衛権、集団安全保障、集団的自衛権である。なお、自衛権は自国を守る権利ではない。緊急性のある均衡のとれた反撃剣である。

 それでも海の向こうで戦争が始まる。日本の文学者はさまざまな反戦運動を試みている。その中で、湾岸戦争への反対アピールは独特である。柄谷行人や中上健次、田中康夫、高橋源一郎などが中心となって1991年2月から集会を重ね、決議ではなく、「私は、日本国歌が戦争に加担することに反対します」という文言に賛同者が署名するという形式を採用している。

 湾岸戦争は戦後において特殊な戦争に分類できる。イラクのクウェート侵攻は明らかな侵略行為である。東西冷戦が事実上終結しているため、それに対する武力行使に反対する主要国はない。これらの条件は集団安全保障に近い多国間協力の武力行使を用意する。反対アピールは、そのため、トルストイの日露戦争批判と同様、戦争反対の原則論が明確である。

 それまでの反戦運動は東西冷戦の中で位置づけられている。1982年の中野孝次らによる反核アピールが一例である。それはアメリカの核兵器を批判しながら、ソ連を不問にしている。世界中の核兵器の全面廃棄を求めていない。

 東西冷戦は力の均衡と違う。石油危機の際に資源の輸出入があったものの、両陣営は貿易もほとんどなく、外交関係も限定的で、相互不信がある。しかし、熱い戦争に至らなかった根拠とされているのが核抑止論である。米ソが人類を何度も全滅させられるだけの核兵器で脅し合う。相手は信用できないが、人類を全滅させることをするほど愚かであるまい。ただ、今ではキューバ危機など危うい瞬間が何度かあったことが明らかになっている。

 けれども、トルストイの時代と違い、第一次世界大戦後は紛争解決としての戦争が違法という国際的コンセンサスが形成されている。そのため、戦争は無理のある正当化に基づいて進められることが多い。原則論ではなくその都度の状況論を考慮しなければならない。

 第二次世界大戦後にアメリカの関わった戦争は、湾岸戦争の他にグレナダやパナマへの信仰を除くと、成功していない。理由は単純である。戦争の目的が抽象的で、何をもって勝利とするかが曖昧だからだ。

 成功した戦争はいずれも目的が具体的である。パナマ侵攻はエマヌエル・ノリエガ将軍の拘束であるし、湾岸戦争はイラクをクウェートから追い出すことである。達成したかどうかの評価が明確につけられる。

 ところが、大部分の戦争は目的が抽象的である。ベトナム戦争はアジアにおける共産化のドミノ現象を防ぐことである。また、イラク戦争は大量破壊兵器を隠し持っているサダム・フセイン独裁政権を打倒して民主主義的体制を樹立することである。これらはいずれも具体性に乏しく。何をもって達成されたかを判断することが難しい。そもそも、ドミノ理論の実証性は乏しいし、大量破壊兵器の存在はイラクで確認されていない。

 このように抽象的に軍事行動を行うアメリカと対決する勢力にとって戦闘の目的は具体的である。米軍を追い出すことだ。達成されたかどうかの評価も容易である。国軍が降伏しても、米軍の目的が抽象的だから、地元勢力にすれば、終戦を認めないことも可能だ。ゲリラ戦やテロで米軍を射だすべく戦闘を挑み続ける。米軍は戦闘でいかなる成果を上げようとも、戦争の目的が抽象的なのだから、それは勝利を決定することはない。

 目的が抽象的だということは、その戦争が必要なものであるかどうかを定かでない可能性がある。必要であるなら目的を具体的に設定できるはずだ。政治判断は必ずしも合理的になされるわけではない不必要な戦争を始める政府はそれを欠いているだけでなく、その自覚さえもない。開戦直前、正当化の情報操作が行われるので、世論も驚きや怒りを覚え、冷静な判断力を低下させている。

 戦争の勝敗は政治によって決まる。戦闘の勝ち負けはそれに直結しない。巨大な軍事力を持ちながら、アメリカが戦争に勝てない一因はここにある。

 付加すると、満州事変以降の日本の武力行使も目的が抽象的である。1940年の齋藤隆夫衆議院議員による反軍演説はそこを指摘している。日中戦争の目的は建前でも本音でも達成されていない。アジアの解放という理想も、弱肉強食の国際秩序の中での権益の確保という現実も適っていない。莫大な犠牲と損害を出し続けながら継続しているが、何のための戦争かと斎藤は問いただしている。この核心を突いた演説をした斎藤は議会や軍部によって除名に追いこまれる。しかし、次の総選挙で彼はトップ当選で議員に復帰する。

 今日の反戦運動は、戦争が違法であるのだから、特定状況を読み解いて行われる項は効果的だろう。湾岸戦争反対アピールはその当時インパクトがあったものの、後に生かされたとは言い難い。原則論であったがゆえに汎用性を持ちえていない。


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