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『武蔵野』オンライン(3)(2020)

3 国木田独歩の文学碑
 「武蔵野」に「国木田独歩」を加えて再度Google Earthで検索してみる。すると、「国木田独歩の文学碑」が表示される。実は、武蔵野市内には「国木田独歩の碑」が三鷹駅北口前と玉川上水の桜橋のたもとの2箇所にある。前者は武蔵野市、後者は武蔵野保存会が中心となってそれぞれ建てたものである。Google Earthは、そのうち、玉川上水の日を表示する。ちなみに、武蔵野市内で雑木林は2005年に開園した市立「境山野緑地」に残るだけとされる。場所はこの桜橋や境浄水場の近くで、南半分は「独歩の森」と呼ばれ、「武蔵野の森を育てる」会が雑木林の保全に取り組まれている。
 
 武蔵野市観光機構のサイトの「国木田独歩の碑」によると、「桜橋の文学碑へはJR武蔵境駅北口から商店街を北へ直進して約800m。『今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある』と作品『武蔵野』第六章の書き出しが刻まれている」。次の第六章の記述を踏まえて、文学碑が設置されたというわけだ。
 
  今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居《ぐうきょ》を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直《まっすぐ》に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋《かけぢゃや》がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。
 自分は友と顔見あわせて笑って、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだね」といった。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだという一語で消されてしまった。自分らは汗をふきふき、婆さんが剥《む》いてくれる甜瓜《まくわうり》を喰い、茶屋の横を流れる幅一尺ばかりの小さな溝で顔を洗いなどして、そこを立ち出でた。この溝の水はたぶん、小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、青草の間を、さも心地よさそうに流れて、おりおりこぼこぼと鳴っては小鳥が来て翼をひたし、喉《のど》を湿《うる》おすのを待っているらしい。しかし婆さんは何とも思わないでこの水で朝夕、鍋釜《なべかま》を洗うようであった。
 茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚《おろ》かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
 空は蒸暑《むしあつ》い雲が湧《わ》きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に蒼空が現われ、雲の蒼空に接する処は白銀の色とも雪の色とも譬《たと》えがたき純白な透明な、それで何となく穏やかな淡々《あわあわ》しい色を帯びている、そこで蒼空が一段と奥深く青々と見える。ただこれぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁《にご》った色の霞《かすみ》のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差《しんし》、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈《つんざ》く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している[#「不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している」に丸傍点]。林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光と熱とに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔っている。林の一角、直線に断たれてその間から広い野が見える、野良《のら》一面、糸遊《いとゆう》上騰《じょうとう》して永くは見つめていられない。
 自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天ぎわの空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上を喘《あえ》ぎ喘ぎ辿《たど》ってゆく。苦しいか? どうして! 身うちには健康がみちあふれている。
 長堤三里の間、ほとんど人影を見ない。農家の庭先、あるいは藪《やぶ》の間から突然、犬が現われて、自分らを怪しそうに見て、そしてあくび[#「あくび」に傍点]をして隠れてしまう。林のかなたでは高く羽ばたきをして雄鶏《おんどり》が時をつくる、それが米倉の壁や杉の森や林や藪に籠《こも》って、ほがらかに聞こえる。堤の上にも家鶏《にわとり》の群が幾組となく桜の陰などに遊んでいる。水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒《ま》いたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のごとく走ってくる。自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べていた。光線の具合で流れの趣が絶えず変化している。水上が突然薄暗くなるかとみると、雲の影が流れとともに、瞬《またた》く間に走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって、きゅうに横にそれてしまうことがある。しばらくすると水上がまばゆく煌《かがや》いてきて、両側の林、堤上の桜、あたかも雨後の春草のように鮮かに緑の光を放ってくる。橋の下では何ともいいようのない優しい水音がする。これは水が両岸に激して発するのでもなく、また浅瀬のような音でもない。たっぷりと水量《みずかさ》があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水とがもつれ[#「もつれ」に傍点]てからまっ[#「からまっ」に傍点]て、揉《も》みあって、みずから音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう!
[#ここから1字下げ]
“――Let us match
This water's pleasant tune
With some old Border song, or catch,
That suits a summer's noon.”
[#ここで字下げ終わり]
の句も思いだされて、七十二歳の翁と少年とが、そこら桜の木蔭にでも坐っていないだろうかと見廻わしたくなる。自分はこの流れの両側に散点する農家の者を幸福《しやわせ》の人々と思った。むろん、この堤の上を麦藁帽子《むぎわらぼうし》とステッキ一本で散歩する自分たちをも。
 
 なお、もう一つの文学碑の詩碑は「三鷹駅北口詩碑は雑木林を設けて建てられ、碑面には武者小路実篤の筆により『山林に自由存す』刻まれ、独歩のレリーフがつけられている」(「国木田独歩の碑」)。こちらの碑については場所選定の理由が明確に述べられていない。
 
 武蔵境駅北口は、南口に比べて昔の面影が残っているとされてきたが、再開発がすすめられ、2016年に駅前広場が完成している。この武蔵境駅はJR中央線の他、西武多摩川線も乗り入れている。これは府中市の是政駅までの路線である。元々は多摩川河原で採取した砂利を運搬する目的で1910年に開通した鉄道で、独歩が執筆した頃にはまだない。
 
 Google Earthは国木田独歩の文学碑の画像を用意している。それは、よく晴れて、輝かんばかりの黄緑や紅葉色の葉の木々に囲まれた碑の風景である。おそらく季節は秋、時間帯は影の短さから正午付近だろう。『武蔵野』の作者の碑の写真として最もふさわしいものとGoogle社が選んだと思われる。「それで今、すこしく端緒をここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて自分の望みの一少部分を果したい」。こうあるように、『武蔵野』は秋から冬にかけての武蔵野探訪である。「国木田独歩の文学碑」はそこに設置以来年間を通じてあるが、このサービスの利用者が閲覧した際に作品内の記述を踏まえたイメージを個別的・具体的に具現した画像でなければ、失望したり、わからなかったりするかもしれない。武蔵野の風景を『武蔵野』を通じて見るのであり、Google社はそれに答えようとしている。
 
 現代人は武蔵野を『武蔵野』を通じて見るようになったが、それを書いた独歩はそれ以前の作品から風景を認知している。独歩が第六章で引用している英語の詩はウィリアム・ワーズワースの『噴水(The Fountain)』の一節である。しかも、訳さずに原文のまま挿入している。これが示すのは独歩が風景を伝統的な詩歌ではなく、西洋のロマン主義から捉えていることだ。後に述べる通り、風景の意味付けを東洋前近代から西洋近代へと切り替えることが『武蔵野』の試みである。明治維新を迎え、日本は近代化を取り入れている。しかし、従来の文学の認識では、それを扱うことができない。そのため、西洋の近代文学者の眼でもって風景を捉える必要がある。
 

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