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なぜアメリカは三権分立が厳格なのか(2018)

なぜアメリカは三権分立が厳格なのか
Saven Satow
Jan. 30, 2018

“Liberty may be endangered by the abuse of liberty, but also by the abuse of power”.
James Madison

 『ニューヨーク・タイムズ』紙は、2018年1月25日、ドナルド・トランプ大統領が17年6月にロバート・モラー特別検察官の解任を命じたていたと報道しています。ただ、ホワイトハウスのドナルド・マクガーン法律顧問がそれに対して辞意を示したため、大統領は解任命令を撤回しています。特別検察官は16年の米大統領選挙へのロシア介入疑惑、いわゆるロシアゲートを捜査しています。大統領が司法妨害をしようとした疑いがあるのです。

 トランプ大統領は、同紙によると、モラー特別検察官の解任理由として三つの利益相反の疑いを挙げています。第一は、検察官がバージニア州スターリングの「トランプ・ナショナル・ゴルフクラブ」で料金をめぐるって退会したことです。第二に、大統領の娘婿ジャネット・クシュナー大統領上級顧問を過去に担当していた法律事務所に検察官が直近まで勤務していたことです。第三が、17年5月に特別検察官に指名された前日にFBI長官職就任の面接を受けていたことです。

 いずれも利益相反とは言い難いもので、挙げること自体がみっともないものばかりです。マクガーン法律顧問が解任指示に従わず、辞任をも申し出たとしても不思議ではありません。

 行政の長である大統領が司法捜査に恣意的に介入することは三権分立の原則に反します。よく知られるように、アメリカは三権分立が厳格です。三権分立は共和主義に属します。この政治理論はアメリカの建国原理です。司法妨害は理論的基礎に反する行為ですから、アメリカでは絶対に許されません。

 共和主義は権力を分立させて相互牽制させ、暴走を抑制して市民の権利を保障する思想です。共和政ローマに由来するため、そう呼ばれています。ですから、共和制に限らず、君主制であっても適用できます。

 ここで疑問が生じます。それは、なぜ建国の父祖はアメリカの政治的基本原理として共和主義を選んだのかということです。実は、共和主義はアメリカという広い面積の新しい国が成功するための理論なのです。

 アメリカの制度設計に最も影響を与えたのはシャルル・ド・モンテスキューです。このフランス貴族は共和主義を近代的に再構築します。その代表的な発想が三権分立です。

 モンテスキューは『法の精神』(1748)において国家の規模を大中小の三つに大別して論じています。大規模が帝国、中規模は国家、小規模が都市国家です。紛らわしいので、それぞれエンパイア・ステート・ポリスと呼ぶことにしましょう。

 エンパイアは広大な面積を支配します。分裂をはらみ、それを抑えるために統治形態は専制です。モンテスキューがイメージしているのは、いわゆる東洋的専制国家です。統治には制度が必要で、それは原理に基づきます。帝国の場合は恐怖です。暴君が恣意的な意思決定を下します。気まぐれの下で人々は不安でなりません。

 ポリスは地中海文明の都市国家です。領土面積や人口が小さいので、意思決定に多くの人々が参加できます。統治形態は共和制です。その下で民主主義が発達します。制度原理は徳、特に愛国心です。けれども、諸資源が小さいですから、戦争の際には不利です。

 ステートは欧州の君主制国家です。ただし、この君主制は、事実上、貴族制です。実際に統治を担うのが宮廷の貴族だからです。宮廷は今の行政府に相当します。制度原理は、17世紀末の英国の名誉革命が示す通り、名誉です。ステートが今日まで続く近代国家の理念型です。

 モンテスキューはこの中規模国家が望ましいとします。彼の念頭にあるのは名誉革命以降の英国です。そこでは共和主義的制度が働き、政治的自由が保障されています。自由は権力が分立していて、相互牽制することにより保障されます。人々は法の支配により安心して暮らせます。

 権力を抑制できるのは権力だけです。モンテスキューは、権力を行政・立法・司法の三つに分立させて相互牽制させ、暴走を抑えて人々の自由を保障する三権分立論を唱えます。ただ、三権分立論はジョン・ロックがすでに提言しています。モンテスキューの画期的な点は、それを司法の独立に基づいて再定義したことです。

 これにはフランスの事情も考慮されています。当時のフランスは、イギリスと違い、行政と立法が一体化しています。これでは専制に陥る危険性があります。しかし、フランスでは法曹貴族による高等法院が宮廷の統治が妥当であるか否かをチェックしています。司法が政府の暴走を抑制しているわけです。自由は恣意的権力行使を抑えるところにしか保障されません

 こうしたモンテスキューの主張は権力に関する理解に示唆を与えてくれます。権力を抑制できるのは別の権力です。メディアは「第四の権力」としばしば呼ばれます。メディアは権力であるからこそ、他の三つの権力の暴走を抑えることができるのです。また、分立された権力は相互牽制によって均衡しています。新たな制度設計はそのバランスを崩す可能性があります。それを見越した変更が必要です。けれども、その予測は難しいですから、制度は安易にいじらない方がよいわけです。

 アメリカの建国の父祖はこのモンテスキューの共和主義の影響を受けています。彼らは独立した際に共和主義を政治的原理とします。植民地アメリカの市民は英本国と平等の権利を保障されていないとし、名誉革命の精神に則り独立を果たしたからです。

 しかし、共和主義を採用するにあたり問題点が一つあります。それは国家の規模です。モンテスキューは大規模国家は専制に陥ると説いています。独立授産州だけでも、当時の欧州と比べて、規模が決して小さくありません。自由を求めてせっかく独立したものの、規模のために、これまで以上に権利が抑圧されかねません。

 ジェームズ・マディソンは、その危険性を回避するために、連邦制を主張します。後の第4代大統領は『ザ・フェデラリスト』(1787~88)第10論文において共和主義を拡張し、大規模国家でも専制に堕落しない権力分立の発想を展開しています。

 哲人大統領は自由が党派を生むと主張します。党派の否定は自由を殺すことです。最も基本的な党派は財産の有無によって生じます。豊かになれば党派が増えると共に自由も大きくなります。党派の否定は豊かさの拒絶でもあるわけです。

 党派性を生かすためには共和主義が適しています。諸党派が相互に牽制して、特定勢力の暴走を抑制すると共に、その競争が社会の活力につながります。党派が多ければ、絶対多数が生まれることは困難です。

 多数の党派性の共存は自由主義、すなわちリベラリズムです。自由主義は自由・平等・友愛の近代の理念を実現しようとします。近代本流の思想です。このように、リベラリズムの多元主義が権力の相互牽制と競争という共和主義と結びつくのです。

 これを効果的に機能するためには、代表制民主主義が適しています。マディソンは直接民主主義に否定的です。当時、すでにタウンミーティングが各地で実施されていましたが、同調圧力が強く働き、多数派が暴走、しばしば少数派を抑圧しています。特に、宗教的問題をめぐってそれが顕著です。

 間接民主主義であれば、代表者の選出を通じて意見が洗練され、彼らの討議によって公共の利益を形成できます。極論のフィルタリングや地域エゴの抑制につながります。異なった選挙制度による複数の代表が統治を行えば、権力の相互牽制と競争のメカニズムがより働きます。これがアメリカで大統領と上下両院議員の選出法が違う理由です。

 連邦制も共和主義的権力抑制・競争に適しています。ある州で極論や扇動政治、ポピュリズムが支配したとしても、他が牽制しますので、国全体に広がりません。一つの大規模国家ではなく、中規模国家の集合、すなわちユナイテッド・ステーツとすれば、共和主義の作用により専制国家に陥らないわけです。

 このように、アメリカがそれとしてあるためには、共和主義が欠かせません。三権分立が厳格であるのはそのアイデンティティにかかわっているからです。現在、トランプ政権のアメリカで争点となっている問題はマディソンの共和主義に対する挑戦です。司法妨害は言うに及ばず、ポピュリズムや移民の制限、レイシズム、セクハラなどは多元主義への抑圧です。しかし、共和主義が斥けられれば、アメリカは専制の帝国と堕落しかねません。トランプ大統領はアメリカをアイデンティティの危機に直面させているのです。
〈了〉
参照文献
A・ハミルトン他、『ザ・フェデラリスト』、斉藤貢訳、岩波文庫、1999年
モンテスキュー、『世界の名著』34、井上幸治編、中公バックス、1980/年

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