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低価格競争とヴェーバー=フェヒナーの法則(2012)

低価格競争とヴェーバー=フェヒナーの法則
Saven Satow
Sep. 13, 2012

「値段が安いと、ことさら軽く見られる」。
ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』

 吉野家は、2012年9月13日から、全国で「牛焼肉丼」を発売する。これは通常の牛丼よりも具を40g増量するなどボリューム感を高め、価格は100円高い480円である。他にも、みそ汁などがつく「牛焼肉定食」も530円で同時に発売する。牛丼チェーン間では低価格戦争がすでに膠着状態へ突入しており、同社はこの高付加価値商品によって新規顧客の獲得や客単価アップを図る狙いだ。

 低価格競争が始まった頃には、驚いていた消費者も、次第にそれが当たり前と感じるようになり、終いには飽きて離れてしまう。これをヴェーバー=フェヒナーの法則に悪乗りして考えれば、納得がいく。心理的な感覚量は、刺激の強度ではなく、その対数に比例して知覚されるという法則である。人間の感覚は対数に沿って違いを識別する。

 19世紀半ば、ドイツの生理学者エルンスト・ヴェーバーは、気づくことができる最小の刺激差が基準となる基礎刺激の強度に比例すると発表する。彼は人間が識別できる重さの最小単位に関する実験を行っている。

 ある重りを最初に持たせ、それを少しずつ増やしていくと、どの時点で重くなったと知覚するかを調べたところ、その最小単位が一様ではないと発見する。初期値がベースとなり、それによって識別できる重さが変わっている。

 ヴェーバーは、データを解析し、法則を見出す。最初に加えられる基礎刺激量の強度をR、これに対応する識別閾値をΔRとすると、Rの値にかかわらず、「ΔR/R=k」である。なお、kは定数である。

 最初に100gの重りを与え、110gに変わった時に増えたとその人が知覚したとする。もし初めに200gの重りだったとすると、同様の知覚が生じるのは、210gではなく、220gに変わった時である。

 ヴェーバーの弟子グスタフ・フェヒナーは、この法則の式をめぐって、ΔRをdRに変換するという微分方程式まがいに変形する。この数学的操作は割愛するが、Rを可変した際の感覚量Eの関係式「E=klogR」を導き出す。これによれば、心理的な感覚量が等差級数的に変化する時、刺激量は等比級数的に変わる。

 最初に与えられた100gの重りが100g増加して200gになって覚えた感覚は、200gの重りが200g増えて400gに変わった時のそれと等しい。

 ヴェーバー=フェヒナーの法則は、もともとは、触覚について発見されたものだが、他の感覚でも同様の現象が確認されている。もしこの法則が値下げにも適用されるとしたら、その競争は互いが消耗するだけで終わる危険性がある。

 感覚量は刺激強度の対数に比例するなら、ネズミ算式に値下げ幅を決めざるを得ない。しかし、続けると、のりしろがどんどん減っていく。そうなれば、値下げのもたらす刺激量が縮小、購買意欲をかつてほど生み出せない。特に、ファースト・フード業界は話題作りのためもあって、最初に大きく価格を下げる傾向がある。この路線は継続が難しい。

 値下げ競争も、価格事態をセールス・ポイントにすると言うよりも、他社との差別化の試みの結果だろう。産業として成熟すると、他社との違いをはっきりと示せる商品の市場投入が難しい。特に、消費者に忠誠心を喚起しない商品の市場ではなおのことである。競争で勝つには差別化が必要だが、人は差異を対数に沿って感覚する。差別化戦略はそのエスカレーションを招き、消耗戦へと産業を陥らせてしまう。

 刺激に頼る手法は経済活動に限らない。驚きは表現行為において送り手と受け手が意識を共有できる最も容易な仕掛けである。演劇や映画、ドラマ、文学、音楽、美術、ゲーム、ブログ、SNSなどさまざまな領域で刺激に依存した手法が見られる。けれども、飽きられずに受け手をつなぎとめていくために、ヴェーバー=フェヒナーの法則が純粋に妥当するわけではないにしろ、送り手は刺激のインフレに走る。

 経済であれ、表現であれ、刺激に依存せず、受け手と送り手がその対象を通じて物語を協創していこうとすることが肝要だ。そこに、値段など関係なく、忠誠心や愛着が生まれる。それは金で買うことができない、だからこそ、人は求め、かけがえのないものとして大切にする。
〈了〉
参照文献
CD-ROM『世界大百科事典第12版』2枚組、平凡社、2009年

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