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災害の風化と手続記憶(2015)

震災の風化と手続記憶
Saven Satow
Mar. 17, 2015

「物覚えの悪い頭は、守備兵のいない広場だ」。
ナポレオン・ボナパルト

 2015年3月14日から18日、仙台で国連防災世界会議が開催されている。けれども、国内において東日本大震災の記憶が風化しているとしばしば語られる。すべてが善人になる災害ユートピアが長続きしないとしても、あまりに早く世間の関心が薄れていないかと憤る声も少なくない。

 もっとも、記憶の風化自体は必ずしも非難されるべきことではない。つらい体験をした人がそれを生々しい記憶のままでは前向きになれない。意識的に忘れようとする場合もあれば、時と共に薄らいでいく場合もあるだろう。精神の健康さを回復して生きていくには記憶の風化が欠かせない。社会も同様で、生々しい記憶のままでは前に進めない。

しかし、指摘される震災の記憶の風化はそうした健康的な傾向を持っていない。震災復興は必要だが、いつまでもそれを優先して考えるわけにもいかない。そんな意識から被災地や被災者が切り捨てられる。震災がなかったかのように思に原発をめぐって既得権が維持され、永田町・霞が関では他の課題を先に議論、報道はその模様を垂れ流す。報道が減れば、当事者以外には現場が見えにくくなる。被災者は運が悪かった人と見なされ、被災体験が共時的・通時的に共有されず、震災から得た教訓が十分に生かされない。

 課題に取り組むにはそれを的確に定義しなければならない。定義によってとりうる選択肢の幅が決まるからだ。それが分岐点となり、事態の悪化をとめられず、「取り逃がした機会(Missed Opportunities)」を招いてしまう。

 ところが、人は往々にして自らの能力の範囲内で課題を定義づけてしまう。しかも、震災は巨大な被害をもたらすので、全体像が把握しにくい。政策担当者の専門領域によって定義が異なり、それぞれの提案の有機的な結びつきが困難である。場合によっては、当該組織は情報を断片的に小出しし、全体像を見えにくくする。そこにいわゆるシロアリ予算が入りこむ。そうした状況の下で進められる復興がいつまで続く事業なのかも定かではない。そもそも被曝に終わりはない。被災者はその先の見えなさに疲弊し、非被災者は関心を失う。

 震災遺構保存の問題もこの風化に関連している。一方ではつらい経験を忘れたいと思い、他方で震災がなかったことにしてはいけないという二律背反の被災者の葛藤がもたらされる。

 先人たちもすでに風化への抗いに取り組んでいる。1933年の昭和三陸大津波の後、岩手県宮古市重茂姉吉地区に「津浪記念碑」という石碑が建立される。それは「高き住居は児孫の和楽/想へ惨禍の大津浪/此処より下に家を建てるな」と後世を戒めている。

 しかし、こうした災害の教訓を後世が生かすとは限らない。理由はいくつか考えられるが、ここでは二つだけ言及しよう。

 一つには正常化バイアスである。人は災害に直面した際、パニックに陥るよりも、たいしたことはないはずだとか自分だけは大丈夫なはずだという偏見にとらわれてしまう。東日本大震災では、正常化バイアスにより、避難が遅れた、もしくは逃げなかったために、津波の犠牲になった事例が報告されている。

 もう一つはモラル・ハザードである。科学技術の進展によって災害被害をなくせると過信し、避難行動がおろそかになってしまう。災害規模は記録された過去のデータから想定される。しかし、先史時代の災害は記録されていない。また、自然は人間の事情を考慮しないので、これまで以上の規模の災害が起きる可能性もある。実際、東日本大震災でも、過去に津波被害があった地域にもかかわらず、防潮堤ができたという理由で宅地開発されて犠牲者が出た事例もある。

 ハード面オテクノロジーの発達は住民の行政への依存も生み出す。防災に関するソフト面である行政の指示に従っていれば、安全だと住民が考えてしまう。しかし、先に挙げた想定外もあり得るし、システム等の不具合から伝達が遅れる、もしくはできないこともあり得る。明らかに危険が迫っているにもかかわらず、行政からの避難命令が出ていないとして、逃げなかったケースもこれまで報告されている。

 人はしばしば条件を鵜呑みにし、それへの順応が対応だと思いこむ。けれども、従来の姿勢が今の条件をもたらしたのであり、この状況への抗いこそが適切な対応だという場合もある。

 加えて、災害に対する姿勢が非体験者は助かることを前提にしている。災害からいかにして身を守るかが重要であるが、それを見落としがちである。どんなに全力で逃げても、自然の猛威が上回れば、助からない。できることはその状況下で最善を尽くすことであり、助かることを前提にする余裕はない。水や食料、懐中電灯を持ち出して避難行動をとるのはあまりに楽観的すぎる。自ら率先して逃げることが生き残る第一歩である。

 技術や制度、資金がないという理由で犠牲者を出していいことにはならない。あくまで防災の基本は自主的判断に基づく避難である。釜石市の防災教育は災害に備える主体的姿勢を育むことを目的にしている。その際「避難三原則」が謳われている。第一が「想定にとらわれるな」である。第二が「その状況下で最善を尽くせ」である。第三が「率先避難者たれ」である。

 同市は「釜石の奇跡」で知られる。それは学校管理下の子どもたちに犠牲者が出なかったことである。三陸がその前に大津波に襲われたのは1960年であるから、彼らの中に体験者はいない。被災の記憶が体験を離れて後世に伝わっている。

 記憶は言語化しやすさの点から二つに大別できる。一つは言語化しやすい宣言記憶である。これは頭で覚えた記憶で、知識としては明示知や形式知である。もう一つは言語化しにくい手続記憶である。これは繰り返しによって身についた記憶で、知識としては暗黙知や身体知である。ニュートンの運動方程式の学習は前者、自転車の乗り方は後者に属する。

 宣言記憶は失念してしまうことがあるが、手続記憶は一旦体得されると忘れない。運動方程式が何かを尋ねられて、思い出せないことはあり得る。しかし、20年ぶりにハンドルを握っても、前に乗れたなら、自転車の運転ができる。

 宣言記憶は風化する可能性があるのに対して、手続記憶はそうならない。災害の教訓は宣言記憶にとどまらず、社会にとって手続記憶と化すなら、風化しない。釜石の防災教育は過去の被災体験から抽出した教訓を手続記憶として非体験者に体得させることを目指している。災害に見舞われたら、避難の三原則に則って自動的に、あるいは反射的に行動する。

 社会で共有される手続記憶や暗黙知を「文化」とも呼ぶ。片田敏孝群馬大学広域首都圏防災研究センター長はこうした「災害文化」を地域に根付かせることを説く。地域に「災害文化」が身についていなければ、いくら防災のハードやソフトを整備しても、犠牲を減らすことは難しい。被災体験を宣言記憶にとどめるのではなく、手続記憶として共時的・通時的にシェアする。

 日本は「災害大国」と自称しながら、3・11の風化の現状を踏まえると、必ずしも「災害文化」への意識が高いとは言えない。しかし、それでは正常化バイアスやモラル・ハザードを克服できない。防災に関するハードやソフトの整備自体は社会の身体知ではなく、「災害文化」ではない。防災の根本であるがゆえに手続記憶をローカルに身につけること、すなわち文化化という方法はグローバルへと展開できる。

 風化は震災の記憶だけに限らない。と言うよりも、記憶の風化は他の件でも起きてきたことであって、震災は例外などでない。体験者経験を体感しているために、手続記憶として体得している。体験者が自らの経験を非体験者に語り、記憶を共時的・通時的に継承する。そうした努力の必要性は確かだが、体験に依存していては記憶の共有は原理上長続きしない。いずれすべての体験者は鬼籍に入るからだ。共時的・通時的に共有できるように社会的な手続記憶、すなわち文化にする必要がある。

 ヒロシマ・ナガサキの被爆者のいない時代も近い将来訪れる。その時、体験を所有していない人たちが被爆の記憶を共有しなければならない。しかも、二度と被爆者を出さないことが先人の願いであるから、体験に依存できない。「被爆文化」を国内外に根付かせるように取り組む必要がある。ヒロシマ・ナガサキのみならず、戦後70年の今、戦争の記憶が「文化」として身につけてきたか日本で問われている。
〈了〉
参照文献
堀井秀之他、『安全・安心と地域マネジメント』、放送大学教育振興会、2014年

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