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批評の世紀、あるいは諷刺の黄金時代(4)(2006)

4 批評の誕生

 ドライデンに限らず、諷刺の黄金時代の作家にはエピソードが多く、それは諷刺を体現している。” Great wits are sure to madness near allied, and thin partitions do their bounds divide”(John Dryden “Absalom and Achitophel").

 サミュエル・ジョンソンは極度に視力が弱く、まつげでページを掃除するよう日本を読んでいる。すぐにキレるので知られたアレクサンダー・ポープは、病気の後遺症により、成人後の身長が137cmほどしかなく、しかも、激しい頭痛に苦しめられている。ジョン・ゲイは優柔不断な男で、人の意見を聞く度に考えが揺れ動いている。第二代ロチェスター伯ことジョン・ウィルモットはアルコールに溺れ、女優と浮名を流しながらも、振り向いてくれない女性を拉致し、ドライデンに暴漢を差し向けるようなことをしておいて、臨終の床ですべてを悔い改めている。

 また、ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)は、どこまで本気なのかわからない次のような自身の墓碑銘を書いている。

Hic depositum est corpus
JONATHAN SWIFT S.T.D.
Huyus Ecclesiae Cathedralis
Decani
Ubi saeva indignatio
Ulterius
Cor lacerare nequit
Abi Viator
Et imitare, si poteris
Strenuum pro virili
Libertatis Vindicatorem

 さらに、ローレンス・スターン(Laurence Stern)は他人のために働きたくないという理由で執筆生活に入ったものの、伯父と反目し、母親の強欲さと妻の精神衰弱に悩まされている。

 その彼の『トリストラム・シャンディ(The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman,)(176067)には文字だけでなく、第六巻四〇章の中に次のようなイラストまで挿入されている。

[ 153 ]
I Am now beginning to get fairly into my work; and by the help of a vegitable diet, with a few of the cold seeds, I make no doubt but I shall be able to go on with my uncle Toby's story, and my own, in a tolerable straight line.
Now,


These

[ 153 ]
These were the four lines I moved in through my first, second, third, and fourth volumes.-- In the fifth volume I have been very good, -- the precise line I have described in it being this :


By which it appears, that except at the curve, marked A. where I took a trip to Navarre, -- and the indented curve B. which is the short airing when I was there with the Lady Baussiere and her page, -- I have not taken the least frisk of a digression, till John de la Casse's devils led me the round you see marked D. -- for as for c c c c c they are nothing
but parentheses, and the common ins and outs incident to the lives of the great-est ministers of state ; and when com-
pared

 ドライデンは、『諷刺の期限と発展に関する論考(A Discourse Concerning the Original and Progress of Satire)(1693)において、「諷刺(satire)」の語源として二説を紹介している。一つはギリシア神話の「サテュルソス」に由来する説である。サテュルソスはディオニュソスの従者であり、上半身紙は人間だが、下半身は山羊の姿をしている。山羊は多産のため、西洋では、好色という意味を帯びる。諷刺は淫らな乱痴気騒ぎをはらんでいるわけだ。

 もう一つはラテン語の「詰め込み(satura)」を語源とする説である。ありったけのものをおかまいなしに詰めこんだのが諷刺であり、その本質は、ドライデンによれば、「混合(Mixture)」あるいは「ごった煮(Hotchpotch)」である。

 サミュエル・ジョンソンがジョン・ドライデンを「英国批評の父(Father of English Criticism)」と呼んでいるように、こうした二つの起源が混在する諷刺から批評が生まれる。サテュルソスが喜びそうないささか猥褻な作風で知られる彼が「父」であるとすれば、批評は猥雑にならざるを得ない。

 この二つの要素を持った諷刺の原型は紀元前3世紀メニッポスに求められよう。しかし、不幸にも、彼の作品は題名以外現存していない。幸運にも、ルキアノスが彼を主人公として諷刺作品を書いており、いかに愉快な人物だったかを伝えている。しかし、こうした状況こそ諷刺にふさわしい。諷刺の黄金時代の作品は「メニッポス的諷刺(Menippean Satires)」と総称できる。

 諷刺のミメーシスは対象の固有性を把握していなければ有効ではないため、その本質を批判的に分析する必要がある。批評家にも、諷刺作家同様、俳優の才能が不可欠である。逆に、諷刺によって固有性が体感できる以上、批評は諷刺の能力・手順を踏まえていなければならない。批評は「ごった煮批評」、すなわち「ハッチポッチ・クリティシズム(Hotchpotch Criticism)」として誕生している。

 ドライデンの代表的な批評『劇詩論(Of Dramatick Poesie: An Essay)(1668)は諷刺的批評、別名ハッチポッチ・クリティシズムの模範例である。ドライデンは古今東西の文化を並列化・相対化し、すべてを土俵に載せている。18656月の第二次英蘭戦争の最中、戦火を避けてテムズ川で舟遊びをする四人の文学者によるシンポジウムという設定で書かれている。『オズの魔法使い』同様、登場人物にはモデルがいて、それぞれに意味深な名前がつけられている。近代文学を賞賛する「ユージニアス(Eugenius)」は「生まれよき人」に由来し、国王の寵臣チャールズ・サックヴィルであり、古典こそ真の文学と力説する「クライティーズ(Crites)」は「批判者」を指しており、共作者でドライデンの義兄ロバート・ハワード、フランスの新古典主義に傾倒する「リシディアス(Lisideius)」はコルネイユの『ル・シッド(Observations sur le Cid)』を暗示させ、劇作家チャールズ・セドリー、さらに「ネアンダー(Neander)」は「新しき人」を意味し、ドライデン本人である。

Neander was pursuing this Discourse so eagerly, that Eugenius had call'd to him twice or thrice ere he took notice that the Barge stood still, and that they were at the foot of Somerset-Stairs, where they had appointed it to land. The company were all sorry to separate so soon, though a great part of the evening was already spent; and stood a while looking back upon the water, which the Moon-beams play'd upon, and made it appear like floating quick-silver: at last they went up through a crowd of French people who were merrily dancing in the open air, and nothing concern'd for the noise of Guns which had allarm'd the Town that afternoon. Walking thence together to th Piazze they parted there; Eugenius and Lysideius to some pleasant appointment they had made, and Crites and Neander to their several Lodgings.

 当時、オランダは欧州で最も繁栄していた経済大国であり、イギリスはそれに取って代わろうとする新興勢力である。イギリスは祖国存亡の危機にあったのだが、それをよそに優雅に文学を多様な観点から語り合うというのはまったく心憎い。

 この叙述スタイルは諷刺の批評の特徴を顕著に示している。諸理論が騙られても、何かを頂点としてヒエラルキーを構築することがないし、収束されていくこともない。それらは水平に並べられている。作者は諸理論を並列に配置していくことに能力を注いでいる。

 並列への遺志に基づいている以上、博識でなければ、諷刺の批評を書くことはできない。古今東西の知識を熟知していないで、批評家になれはしない。作家は歩く辞書であり、歩く百科全書である。引用は、読者に媚びることなく、原文で膨大かつ周到に行い、もし読者がその言語を知らなかったなら、甘ったれることなく、それを調べるべきだろう。弱虫に読書する資格などない。目の前にあるのは、知的体力・根性に満ちた辣腕の批評家が記した本である。軟弱な作品ではない。心してページを開くことだ。夏目漱石がジョン・ドライデンに尻込みしたように、批評家は読者を圧倒しなければならない。

 けれども、この時代の諷刺作家は、ケツの穴が小さい現代と違い、独創性を気にしない。著作権や印税システムが確立していなかったからだけではない。諷刺は独創性に捕らわれていたのでは、成り立たないからだ。諷刺は自己の複数性に基づく文学である。「批評するとは自己を語る事である。他人の作品をダシにして自己を語る事である」(小林秀雄『アシルと亀の子)。これほど諷刺の黄金時代から遠い意見はない。

 当時の諷刺は怪文書や贋作としても流通している。トマス・チャタトン(Thomas Chatterton)は、中世の文体を模倣し自ら創作した詩を架空の15世紀詩人トマス・ロウリ(Thomas Rowley)作として発表している。しかし、ピーター・アクロイド(Peter Ackroyd)が彼の才気を踏まえて『チャタトン偽書(The Diversions of Purley)(1987)を刊行しているように、現代ならばパスティシュの傑作と絶賛されるはずだろうが、ほどなくそれが贋作だとバレてしまい、1770年、18歳で自殺する。

Wouldst thou kenn Nature in her better parte?
Goe, serche the logges and bordels of the hynde ;
Gyfe theye have anie, itte ys roughe-made arte,
Inne hem you see the blakied forme of kynde.
Haveth your mind a lycheynge of a mynde?
Woulde it kenne everich thynge as it mote bee;
Woulde ytte here phrase of the vulgar from the hynde,
Wythoute wiseegger wordes and knowlache free,
Gyf soe, rede thys, whych Iche dysporteynge pende,
Gif nete besyde, yttes rhyme maie ytte commend.
(Thomas Rowley “Eclogue the Third”)


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