見出し画像

がれき処理とコンテクスト(2012)

がれき処理とコンテクスト
Saven Satow
Mar. 14, 2012

「言葉が人間の表現であるように、文学は社会の表現である」。
ルイ・ド・ボナルド『箴言とお考察』

 3・11に際して、「言葉」は壊れなかった、あるいは壊れたと口にする文学者が少なからずいる。しかし、それらには無内容なものも見受けられる。「言葉」を「私」と言い換えると、意味がすんなりと通るからだ。個々の名前は挙げないが、自己嫌悪と自己憐憫の言い訳になっている。みだりに「言葉」を口にする文学者には警戒せねばなるまい。

 言葉はそれだけで機能するわけではない。送り手と受け手の間のコンテクストの共有が不可欠である。それがあって、初めて、お互いに理解できる。意識しなくても、共有されている場合もあるが、そうでない場合も少なくない。コンテクストを共有しようと、努力や工夫が要る。3・11はコンテクストを分かち合おうとする動きもあれば、そうでないことも見られる。大切なのはコンテクストであって、言葉自体ではない。

 社会におけるコンテクストの多様性・複雑性に向き合い、読み書きをするのが文学者であるはずだが、それを必ずしもしていない。けれども、その原因は心の問題ではない。社会認識の問題だ。

 野田佳彦首相は、2012年3月11日、首相官邸で記者会見し、震災で生じたがれきの広域処理を推進するため、被災3県を除く都道府県に、昨年8月に成立した災害廃棄物処理特別措置法に基づき、文書で協力を要請する考えを表明する。「広域処理で国は一歩も二歩も前に出て行かなければならない。日本人の国民性が試されている」。

 広域がれき処理の問題は、建設性のない住民エゴとして報道されることが少なくない。また、その発端に、従来の原子力行政ならびに政府による今回の事故に関する情報の隠蔽があると反対住民の声も紹介される。しかし、被災地の住民とすれば、コンテクストが共有されていないとやりきれなくなる。

 ところが、2012年2月29日付『朝日新聞岩手県版』の「復興に向けて 首長に聞く」の中で、伊達勝身岩泉町長ががれき処理について次のように述べている。

「現地からは納得できないこと多い」
 被災した小本地区の移転先は、駅周辺を候補に用地交渉をしている。近くに三陸沿岸道のインターがあり、交通の要衝だ。
 昨年11月、用地買収に向けて価格設定をしようとしたが、国から待ったがかかった。沿岸道の用地買収に影響するという。県もバラバラに進めると混乱するという。そんな調整で2カ月遅れた。被災者には申し訳ない。
 現場からは納得できないことが多々ある。がれき処理もそうだ。あと2年で片付けるという政府の公約が危ぶまれているというが、無理して早く片付けなくてはいけないんだろうか。山にしておいて10年、20年かけて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。
 もともと使ってない土地がいっぱいあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか。

 岩泉は海岸部が狭く、大半が山間部で占められている。そういう余裕あっての発言と受けとめられるかもしれない。

 実は、戸羽太陸前高田市長も、11年8月に、がれきを地元で再利用したいという意向を県に伝えている。このままではがれき処理に3年はかかり、将来の見通しが改善しない。陸前高田市内に新たな処理プラントを設置すれば、復興に必要な建築土木用の基礎の材料を生み出せると同時に、雇用創出も望める。

 青山貞一東京都市大学大学院教授と池田こみち環境総合研究所副所長は、11年8月に、がれき処理に関して被災地の防潮堤への活用を提言している。「燃やして埋める方式」は、エントロピー増大により、汚染を拡散させるだけで、本質的な解決につながらない。がれき処理を津波対策と関連させる方が効果的である。この処理方法は、ヨーロッパでも実績があり、日本の廃棄物処理法や沿岸法など現行法の範囲内で建設が可能で、費用対効果にも優れている。この方式は各地域の事情トも考慮できる。「福島県の場合には、遮断型として管理型処分場の上にコンクリートのフタを付ける。福島県内の海岸では、放射性物質を含む土砂、瓦礫が多くなるので、遮断型とすれば万全である」。

 これらはいずれも昨年夏の提案である。実際のところ、復興には防潮堤が一時も早く必要なのは明らかであり、その材料が要る。しかも、政府は、かねてより持続可能性社会に向けて、できる限り廃棄物を出さず、資源として再利用することを推進している。新たに調達するよりも、余っている資源を活用する政策を打ち出す方が賢明だろう。増税論議があるように、中央地方共に政府の財政状況も苦しい。現実的な選択肢なはずだ。しかし、広域で焼却処分する方向で進めてきている。

 がれきを建築土木の基礎として活用したいと考えている被災自治体は他にもあるだろう。がれきを処理しきれない自治体と必要としている自治体との間でマッチングをするのが県や国のはずだが、規制が阻んでいる。

 たとえば、がれきの処理というのは復興へ向けた最重要課題のひとつなわけですが、現行の処理場のキャパシティー(受け入れ能力)を考えれば、すべてのがれきが片付くまでに3年はかかると言われています。そこで、陸前高田市内にがれき処理専門のプラントを作れば、自分たちの判断で今の何倍ものスピードで処理ができると考え、そのことを県に相談したら、門前払いのような形で断られました。

 現行法に従うといろいろな手続きが必要になり、仮に許可が出ても建設までに2年はかかると言うんです。ただ、それは平時での話であって、今は緊急事態なんですね。こんな時にも手続きが一番大事なのかと。こちらも知り合いの代議士に相談をし、国会で質問をしてもらったのですが、当時の環境相も「確かに必要だ」と答弁してくれた。さぁ、これで進むかと思うと、まったく動かない。環境省は「県から聞いていない」と言い、県は「うちは伝えたけど国がウンと言わない」と言う。そんな無駄なやりとりを繰り返すうちに1カ月、2カ月が過ぎてしまう。ですから、どこが何をするかという基本的なことが、この国は全然決まっていないんですよ。
(戸羽太陸前高田市長)

 加えて、広域がれき処理がすでに利権になっている。昨年11月3日に岩手のがれきが東京に到着する。処理事業分から発生する可燃性廃棄物の焼却はすべて東京臨海リサイクルパワーが請け負っている。これは東京電力の関連会社である。東京都の条件をクリアできる事業者はここの他にない。この事業に伴い、都は1億円、東京臨海リサイクルパワーは140億円ほどの利益を手にしている。政府の進めるこの政策は焼け太りを生み出している。こんな輩を見逃している首相こそ資質が「試されている」と反論されることだろう。

 もちろん、福島県産品に対する風評被害や避難民への人権を無視した差別が横行していることは確かである。まったく胸糞が悪くなる。しかし、がれき処理は、莫大なカネが関係する点で、それとは異なっている。大型公共事業であり、かつ苦しい地元は潤わない。大金が動く話が聞こえたら、それで儲けようとしている奴がいると疑ってかかる必要がある。

 がれきの処理で被災地とそれ以外とで溝が大きくなるよりも、その有効利用を進めた方がはるかに建設的だ。実際、すでにアイデアは提案されている。

 がれき処理の問題に関する文学者の発言は、残念ながら、先に挙げた報道の論調を超えるものではない。個々の事象はそれに応じた事情を持っている。その文脈への焦点の合わせ方に社会のありようが映し出される。それを認識もせず、規範論を振りかざし、「言葉」に没入することが文学者のすることではない。コンテクスト共に言葉の意味は進行していく。真の文学者ならそれを語る。
〈了〉
参照文献
戸羽太、『被災地の本当の話をしよう』、ワニブックスPLUS新書、2011年
青山貞一=池田こみち、「三陸海岸 津波被災地 現地調査⑮復興に向けての提案」、2011年8月28日
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-touhoku1011..html
浅倉創、「東京都と東電子会社が被災地がれきビジネスで焼け太り 税金から都1億円、東電140億円」、My News Japan、2011年11月15日
http://www.mynewsjapan.com/reports/1507
「被災地の本当の話を知るべし! 陸前高田市長が見た『規制』という名のバカの壁とは?」、『日刊サイゾー』、2011年8月
http://www.cyzo.com/2011/08/post_8323.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?