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クレイトン・ムーアとローン・レンジャー(2003)

クレイトン・ムーアとローン・レンジャー
Saven Satow
May, 23, 2003

“Hark! I hear a white horse coming!”
Clayton Moore

 2003年春に当選したザ・グレート・サスケ岩手県会議員が議場内ではマスクを外すべきか否かをめぐって、岩手県議会で問題になっています。サスケ議員は議場用のマスクを用意したものの、マスクを脱ぐつもりはないと言っています。議会の外においても、この行動に対して賛否両論があがっています。アメリカで、こんなことが起きたらどうかと聞かれたら、アメリカの有権者はこう答えるでしょう。「一般的にはわからないけど、少なくとも、クレイトン・ムーア(Clayton Moore)が議員になったら、マスクを脱げとは誰も言わないと思うよ」。

 クレイトン・ムーアはTVシリーズ『ローン・レンジャー(The Lone Ranger)』で主役のローン・レンジャーを演じていた俳優です。『ローン・レンジャー』は、日本でも、1958年に最初の放送が始まり、何度か再放送されていますから、見たことがある人もいるでしょう。

 『ローン・レンジャー』のストーリーは次の通りです。6人のテキサス・レンジャーが西部の無法者に襲われ、ただ一人「ローン・レンジャー」だけが生き残り、ネイティヴ・アメリカンのトント(Tonto)に助けられます。トントがローン・レンジャーの兄弟のベストから作ってくれた黒いマスクをつけ、腰に二丁拳銃を下げて、彼はその相棒と愛馬シルバー(Silver)と共に仇討ちへと出かけるのです。犯人たちにローン・レンジャーが生きていることを知られていない方が好都合だと考えたからです。

 拳銃には銀の弾丸(Silver bullet)がこめられています。彼は良質の銀が産出する鉱山を私有し、そこの銀を加工しているのです。正直で勇敢なトントは、ローン・レンジャーにとって、最も頼れるパートナーです。拳銃だけでなく、ナイフの腕前も抜群です。それに、シルバーは純白の野生馬で、走り出したら、どんな馬でも追いつけません。その輝くばかりの美しさに、ローン・レンジャーが「シルバー」と名付けたというわけです。

 『ローン・レンジャー』は、もともとは、1933年、連続ラジオ・ドラマとして登場しています。デトロイトのラジオ局WXYZのオーナーのジョージ・トレンドル(George W. Trendle)と脚本家のフラン・ストライカー(Fran Striker)が中心になって、大不況にあえぐアメリカ社会を少しでも明るくしようと考案しています。好評だったため、その後、漫画化され、さらに、ロバート・リビングストン主演で、シリーズ映画として劇場で公開されます。

 しかし、『ローン・レンジャー』のイメージを決定付けたのは、1949年9月15日から始まったテレビ・シリーズでしょう。1957年6月6日まで放送され、全部で221話もあります。その中で、ローン・レンジャーに扮していたのがクレイトン・ムーアです。

 ローン・レンジャーはその登場シーンが最も有名であると同時に圧巻です。ルイ・エクトール・ベルリオーズが「四部からなる交響曲である」と絶賛したジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニの『ウィリアム・テル序曲(William Tell Overture)』をBGMに,時折、「「ハイヨー、シルバー!(Hi Yo Silver!)」の掛け声をあげ、白い騎兵隊の帽子に怪傑ゾロのようなドミノ型の黒いマスクの男が白馬にまたがり、疾走してくるのです。

 『ローン・レンジャー』は、日本でも、大変な人気となります。ジェイ・シルバ-ヘル(Jay Silverheels)扮するトントがローン・レンジャーに対して言う「キモサベ(kemosabe)」が、当時、日本の子供たちの間で、流行語になっています。これはミシガン州付近に住んでいたネイティヴ・アメリカンのポタワトミ(Potawatomi)族の言葉です。「誠実な友(faithful friend)」や「真のスカウト(trusty scout)」という意味があります(この場合のスカウトはボーイ・スカウトなどで使われる「スカウト」を指します)。

 クレイトン・ムーアはこの役をよほど気に入っていたらしく、放映中だけでなく、番組終了後も、黒いマスクをつけ、ローン・レンジャーとして、公共の場に現われています。俳優によっては自分の演じた役を負担に感じる人もいますが、クレイトン・ムーアにはそんな気持ちは微塵もありません。彼はクレイトン・ムーアではなく、ローン・レンジャーになりきっていたのです。

 確かに、ローン・レンジャーを演じていたのはクレイトン・ムーアだけではありません。1952年9月11日放映から翌年の9月3日まで、ジョン・ハート(John Hart)が演じています。けれども、ローン・レンジャーと言えば、クレイトン・ムーアです。ジョン・ハートがマスクをつけて現われたとしても、人々は彼をローン・レンジャーとは認めません。

 クレイトン・ムーアは、1996年、フランク・トンプソン(Frank Thompson)と共著で、自伝”I was That Masked Man(私があのマスクの男だ)”(日本未出版)を出版しています。ファンもクレイトン・ムーアのローン・レンジャーを愛し、誰も、どこであろうとも、マスクを脱げとは言いません。ただし、ラザー・コーポレーション(The Wrather Corporation)を除けば、です。

ラザー・コーポレーションは、1979年、人前でローン・レンジャーのマスクをつけることを禁止する旨の訴訟をクレイトン・ムーアを相手に起こします。別の俳優を使って、新作の『ローン・レンジャー』を撮影するためです。ディープ・パープル(Deep Purple)は、この馬鹿馬鹿しい訴訟からインスピレーションを受け、『ヘイ・シスコ(Hey Cisco)』という曲を発表しています。けれども、裁判所はコーポレーションの主張を支持する判決を下します。

 しかし、苦境に陥ろうとも、最後はローン・レンジャーが悪人をやっつけることになっているのです。1981年、新人のクリントン・スピルスバリー(Clinton Spillspury)を主演に”Legend Of The Lone Ranger”(日本劇場未公開)を製作したものの、ヒットしなかっただけでなく、アカデミー賞のパロディであるゴールデン・ラズベリー賞(Golden Raspberry Award)の5部門──最低作品賞、最低主演男優賞、最低新人賞、最低主題歌賞、最低作曲賞──にノミネートされ、最低主演男優賞他2部門を受賞するという結果に終わってしまうのです。

 1985年、再度行われた訴訟の結果、ローン・レンジャーのマスクを被る権利はクレイトン・ムーアに戻されます。1914年9月14日に生まれたクレイトン・ムーアは1999年12月28日、85歳で亡くなりましたが、その決定の直後のインタビューで、あの世でもマスクを外すつもりはないと言っていましたから、今もそうしていることでしょう。

 事件が解決し、ローン・レンジャーが去っていく頃、悪人たちは、お決まりの台詞を口にします。「あのマスクの男は誰だ(Who was that masked man?)」。悪人はマスクの男を嫌います。悪人たちは排他的ですから、素性のわからないものには、神経質になるのです。謎を謎のままにしておけないという悪人の心情を熟知した上で、ローン・レンジャーはマスクを被って登場するのです。

 ローン・レンジャーに限らず、アメリカの正義の味方の多くはマスクをつけています。それも黒いものです。正義は後ろめたい謎だからでしょう。悪人には後ろめたさはあっても、謎はありません。けれども、正義が短絡的に堂々としていてはうっとおしいいものです。後ろめたい謎が混じっている方が正義にはふさわしいものです。正義は後ろめたい謎を楽しむ姿勢にあります。政治に正義が欠けていると感じられているなら、むしろ、それが希薄だからなのです。

「トルコ軍の大砲に、子爵は吹っ飛ばされて、体がまっぷたつ、半身になってしまった。しかも、その半身に悪の部分が詰まって、領地へ帰ってきたものだから、領民は大迷惑。ところが、残りの半身も、やがて帰ってきた。こちらの方は、善の部分だけが詰まっているのだが、それは領民にとっては、悪の半身以上に迷惑な存在だった」(イタロ・カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』)。
〈了〉
参照文献
イタロ・カルヴィーノ、『まっぷたつの子爵』、河島英昭訳、晶文社、1997年
Clayton Moore & Frank Thompson, “I Was That Masked Man”, Taylor Pub, 1998
https://www.youtube.com/watch?v=p9lf76xOA5k&t=36s

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